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その十七 歌い出し(2)

繊切の音色 その十七 歌い出し(2)


 校長先生のお話、生徒指導担当教諭の注意事項、審査委員長である肥後先生の励ましのお言葉など続いている間に一年A組は舞台の袖にてスタンバイしていた。

 なにせ一年A組。合唱コンクール開幕直後に歌うわけなのだから、半端な緊張感ではない……はずだった。伴奏者たる上総を除いては。

「随分お前落ち着いてるな」 

 顔に出したつもりはなかったのだが、関崎がずっと右手をぐるぐる回しながら問いかけてくる。こいつは見るからに気合が入っている様子が伺える。

「もうどうしようもないしさ」

 軽く受け答えした。ふと誰かからの視線を感じたが気のせいとして片付けておくことにした。こずえが女子たちの肩をぽんぽん叩きながら、

「みんなよくがんばってきたから大丈夫! もう最初から飛ばしちゃおうよね!」

 気分を和ませている。同時に男子たちに向かっても、

「あんたらも、麻生先生からのなんかわからないけれど貢物もらっちゃうために、溜まったものここで思いっきり出しなさいよ! まさかと思うけど昨日自家発電しちゃった奴なんていないよねえ」

 これもいつものように調子づけている。クラス連中はみな慣れたものだが、裏方に回っている生徒たちが渋い顔をしているところみるとこずえのキャラクターがすべての人々に受け入れられているわけではないことがよくわかる。広い学内そういうものだ。

「静かにしてください。まだ先生たちのお話が終わっていません」

 しっかり釘を刺された。みな黙って時を待つ。

 関崎がまだ手を動かしている。上総は近づき耳元に囁いた。

「ピアノの前からだと少し手が見づらいから、思い切り高く振り下ろして合図してもらえると助かる」

「こんな感じか」

 切り捨て御免を思わせるようなざっくり切りを関崎は見せ、にこりともせず上総に確認しようとした。周囲、爆笑しそうになるものの、他の委員生徒たちの冷ややかな視線にみな言葉を飲み込んでいる。


「肥後先生のお話が終わったら音楽委員が合図しますので、後ろから一列で壇上に上がってください。列はきちんと、この前のリハーサル通りにお願いします。それと指揮者の方は全員が定位置についた段階でやはり音楽委員が手をあげて合図しますので、それに従って一礼し、そのあとで指揮台に上がってください。それと」

 小声で三年の女子音楽委員が気ぜわしく指示を出していた。

 伴奏担当の上総にも振り返り、

「伴奏者の方はピアノがほとんどカーテンで隠れてますので、挨拶はしなくていいです。その間に弾く準備を整え、譜面は早めに立てておいてください。譜面めくり担当は誰かいますか」

 広げっぱなしでよしの屏風折ノートに感謝だ。いないと答えた。ちょうど肥後先生が頭を下げて反対側の階段から降りていった。すぐに放送委員らしき生徒がマイクを幕の後ろで持ち、開会の辞を述べた。

「それでは、青潟大学附属高校合唱コンクールを始めさせていただきます。まずはじめは、一年A組のみなさんです。拍手でお迎えください」

 響きある綺麗な発音で全校生徒に呼びかける。一方、一年A組連中に事細かな注意を続けてきた音楽委員女子はすぐに時計を覗き込み、きっとした眼差しで睨みつけ、

「早く整列してください、早く!」

 と急き立ててきた。結構慌ただしい。タイムテーブルがかなりしっかり組まれていると見た。中学時代評議委員会でも本条先輩がかなり細かく指示を出していたけれども、さすがに高校その上を行く。

 ──ちゃんと委員会別に役割分担されてる。まあそれが自然か。やっぱり本条先輩がいるといないとの違いなのかもしれない。

 つい伴奏のことも忘れ、委員たちのてきぱき活動する姿に見入りそうになるものの、そんな暇など本当は全くない。

 上総は丸いピアノ椅子に腰掛け、座る高さを調節した。ペダルに足をかけてみて踏みやすいかを確認し、楽譜を広げた。


 外で拍手が聞こえる中、関崎が舞台正面に立ち几帳面に礼をする。 

 かすかに「あ、あいつ外部の面白い子だ!」とか「関崎くんだ!」とか、この半年間において関崎の名がどれだけ売れたかがよくわかるささやきが聞こえてくる。

 ──さあ、今日が総決算だ。最後まで弾き切ってやる。

 たとえ思い切り弾き間違えようとも、へまやらかそうとも。

 この件においてのみ、母の言葉は正しい、そう思う。

 関崎が片手を上げ、上総の方に目線を投げた。

 さすがに少しだけ息を止めた。

 さっと空気をざっくり切り裂くように関崎の手が降りた。


 ──恋はみずいろ。

 覚えていないくらい何度も奏でた前奏のメロディだった。体育館一杯にマイクで拾われた音色が広がっていく。弾いている自分自身で思っているよりもはるかに大きく不自然なほどに。聞き覚えない他人の奏でるメロディに聞こえるけれども、確かに自分がここで弾いている。時々関崎の指揮する手を見て拍子を併せ、同時に楽譜に目を留め間違った旋律を弾いていないかを確認する。ペダルを踏んで音を膨らませる。母や印條先生が教えてくれた通りにたっぷり息を吸って吐くようにゆったりと踏んでみる。

 ──こうやって聞いてみると、やはり俺の弾き方は感情なさすぎだよな。

 勝手に指が動いていくのをどこか遠くから見つめているような感覚が、舞台に立たされるたび蘇る。普段はちゃんと自分が一体化していてあたふたしてしまうのに、いざ本番となると演奏したり演説したりしている自分を観察しつつ、修正したりできる。卒業式の英語答辞もそうだった。今も鍵盤を叩いて響いた音色が心臓の音と一緒に響くようで、ただただ心地よい。あともう少しで弾き終わる。歌など知らぬ。ただそのまま、できればもう少し弾いていたい。なぜこの学校の合唱コンクールは一番しか歌わないのだろう。想像していなかった恨み言すら心によぎる。

 ──もっと早く、練習しとけばよかったな。もっと、気持ちよく弾けたろうにな。

 やはり来月以降も印條先生のところへ通おう。どうやって父を説得しようか。最後の和音を響かせゆっくり鍵盤から離した。たぶん、関崎の拍子とはずれていなかったと思う。

 ──やっぱり関崎が今後はパートリーダーで歌うべきだな。古川さんに来年説得してもらおう。

 トップバッター組ゆえに誰も居眠りせず聴き入ってくれたようだ。舞台の袖からも聞こえるそれなりの拍手が観客席に溢れた。素晴らしき歌声のハーモニーだからというのではなく、ただ「お疲れ様」に似たたぐいのものだった。ピアノにかまけて合唱などほとんど聞いていなかったので、ハーモニーが美しかったかどうかは判断できない。 

 ──優勝狙えるかどうか、ってどこで判断すればいいんだろ。さあ次だ。

 気は抜けない。次の「モルダウの流れ」譜面を広げた。

 美里と羽飛の手作りノートは非常に収まりがよくてしかも見やすい。ふたりがどこまで上総のニーズを考えて作ったのかは確認していないけれど、ついさっきの「恋はみずいろ」をほぼ完璧……あくまでも上総の自覚分でだが……に弾き終えられたのはまさにこの楽譜のおかげだろう。上総はカーテンの陰から一年B組方面、及びC組方面にこっそり手を合わせた。

 

 関崎がいったん指揮台から降り深々と頭を下げ、また台にあがる。

 ──あれ、あいつなんで一曲ごとに頭下げるんだろ?

 確かに礼儀にかなっている。しかしこれから何クラス歌うかあとがつかえている状態でそれをするのは時間が無駄だということで控えるよう指示がでていなかったのだろうか。少なくとも中学の合唱コンクールではそうだったはずだ。上総もクラスの指揮者として二曲一気に、客に尻向けた状態で指揮し続けたはずだ。。附属上がりならばすぐ気づいているはず。

 ──俺が教えるべきだったのか? いや、やはり藤沖だろこれ教えるのは。

 関崎のおちゃめな行動にさりげなく笑いが起こっていた。もっとも関崎は特にプレッシャーを感じる気配も見せずまた片手を高々と掲げた。ちらと上総を見た。いかにも「俺は義務を果たしてるんだぞ」と言いたげな大げさな格好だが、きっと本人は大真面目なのだろう。まだ笑い声が聞こえる。たぶん、一年A組連中も心中にやついているに違いない。緊張がほどよく溶けているのかもしれない。よく取っておく。鍵盤に両手を置き、上総はピアノから上総は頷き、その手が降りるのを待った。

 関崎の手が降りた。


 深く、とことん深く。

 「恋はみずいろ」よりも「モルダウの流れ」のほうが気持ちもとことん深く弾き尽くせるような気が弾き始める前からしていた。じんわりしたものが身体中に染み渡っていくように、それとも大河のうねりか。

 上総は弾き始めた。前奏はさほど長くない。最初から少し強めに和音を鳴らし、力いっぱいにペダルを踏んだ。身体と鼓動のリズムに合わせた。

 関崎が歌い出しの合図を両手上げて行おうとしたその直後だった

 歌始まる、その瞬間だった。 

 関崎が突然指揮するのをやめ、指揮台から降りた。上手に走り出した。同時に鈍い音が舞台の上にはっきり響いた。

 ──何があった? 

 関崎、なぜ降りる?

 歌い出す奴は誰もいない。指揮者がいきなり責任放棄したようなものだが、舞台の上では誰も動かない。一部の女子たちを除いてただつっ立っているだけだった。緊急事態が発生したことだけはわかる。ざわめきが生徒たちの席から聞こえるがまだ先生たちが駆け寄ってくる気配はない。

 ──誰か倒れたのか? 貧血起こした人いるのか?


 上総はひたすら弾き続けた。

 近くにいた音楽委員の生徒たちが駆け寄るべきか否か迷い、立ち尽くしている。弾き続けつつも誰ひとり歌っていないことだけはわかる。それでも引き続けねばならない。それが自分の義務だ。それが伴奏者の仕事だ。誰ひとり歌わなくとも。


「立村、いい加減にしろ! 弾くのをやめろ!」

 目の前の譜面を舞台そでに駆け込んできた麻生先生の手により床に投げつけられた時、初めて上総は手を止めた。

「お前、クラスの仲間が倒れたというのに、助けに行こうともせずに弾き続けて、それでいいと思っているのか!」

 血相変えて上総を怒鳴りつけたあと、麻生先生は舞台に駆け上がり、

「申し訳ありませんが、生徒の急病につき一年A組はこれで終了させていただきます。申し訳ございませんでした」

 マイクを使わず頭を下げ、つっ立っている生徒たちを下手に降りるよう手で指示した。ぞろぞろとピアノ側に降りてきてしゃべり続ける男子たち、そして泣きそうな顔をしている女子たちがいる。

「宇津木野さんが」

「どうしちゃったんだろう」

「貧血かな」

「関崎かっこよすぎ」

「こずえちゃん付き添ってたね」

 みな、上総の一番知りたい情報を断片的に口走っていた。その中で疋田さんだけが顔を覆い一目はばからず泣きじゃくりながら通り過ぎていく。

 関崎とこずえのふたりがいなかった。

 一番知りたいことを知っているふたりがいなかった。


 上総は藤沖を呼び止めた。自分から声をかけるのは二学期に入って初めてだった。厳しい表情で立ち止まり、冷ややかに上総を見つめた。

「関崎はどうした?」

「あいつは、宇津木野を背負って保健室に走っていった。古川も一緒だ」

「何があったんだろう?」

「宇津木野が突然前にばったり倒れた。それを関崎が見つけて駆け寄った」

 ちらと上総を睨むようにして、付け加えた。

「あいつは指揮よりクラスメートの体調を優先した。弾くのに没頭していて気づかなかったお前とは違う」

「確かに」

 軽蔑の眼差しを上総は静かに受け止めた。非難されるのは当然だが、弾くことを選んだ自分に悔いはない。それでも、やはり喉もとが熱くなり、息苦しさを覚えてしまう自分の弱さに泣きたくなる。皮が向ける程下唇を噛んだ。

 

 一年A組は合唱コンクール途中棄権という結果のもと舞台を降りた。

 



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