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その十五 家族団欒(4)

 止めることは最初から諦めていた。父を急かして家に戻り上総がまずしたのは部屋の掃除だった。しばらく母がご無沙汰だったこともありかなり家事は手抜きしていた。父も文句を言わなかったし男所帯の気楽さで多少散らかしっぱなしのところもあり。しかしながら今はそんなこと言ってられるわけもなく、ただひたすら生ゴミやら古新聞の整理やらでてんてこ舞いだった。

 父は手をこまねいているのみ。しばらく上総の働く様子を見つめていたがやがて自分の書斎に戻った。やはり罪悪感あるのかもしれない。当然だ、反省しろ、そう言いたい。


 ──要するに母さんをうちに呼び寄せる機会がほしかっただけだろ。ああいう見え見えなことやらかしてそれにひっかかる母さんもなんだろう。さっさと交わして無視してくれればいいのにさ。もう合唱コンクールまで一週間もないんだし、別に母さんの特訓なんかなくたって平気なんだから。俺のピアノの腕なんてたかがしれてるんだから、そんなこと気にしないでのんびりやってればいいだけだってのに。何いきなり。

 明日、月曜の夜あたりに荷物持ってやってくるであろう。せめて朝ごはんくらいは担当してもらえるとありがたい。こちらだってピアノの練習ばかりやっているわけではないし、さすがにそろそろ勉強もやっておかないとまずい。その他いろいろ考えることもある。風呂に入ったらさっさと自分の部屋にこもって、キーボードに電源を入れるとしよう。そうだ、忘れていたがキーボードを返す時、こずえに何かお礼の品を用意しないとなるまい。女子だしやはりお菓子がいいか。そのあたりこずえと親友の美里に確認するのが一番よさそうだ。

 ──いや、清坂氏はちょっとな。

 明日から何事もなかった顔で野々村先生と接しなくてはならない身の上、美里の鋭い追求をどうやって誤魔化せばいいだろう。羽飛にも当然話せやしない。いや、青大附属関係者には口が裂けても言ってはいけないことばかりだ。

 台所の床ぶきを念入りに行い、牛乳を一杯コップに汲んで飲み干した時だった。

 車の気配、家の前に停まる気配、少し間があり玄関の呼び鈴が鳴る。

 壁にかかっている時計を眺める。午後十時半。

 ──まさか。

 嫌な予感がまさに的中する瞬間。

 ──本気かよ。

 上総が玄関に向かう前に父が飛び出していた。玄関の鍵を開け、晴れ晴れとした声で呼びかけていた。

「沙名子さん、待ってたよ」


「悪いんだけどちょっと車の荷物運ぶの手伝ってもらえる?」

 男ふたりに対し、髪の毛をまとめていかにも外出するような格好で現れた母は、

「なんで来たの?」

 上総の質問も無視し、すぐに後部座席を指差した。

「あんたはそこに置いてあるものを運んでちょうだい。あんたの部屋に今すぐ」

 続けて父には、

「この荷物は着替えだから私の部屋ね。今日はそれほど荷物ないから楽だわ」

 トランクを一抱え運ばせている。ほとんどじいや扱いされている哀れな父を様子見しながら上総は言われた通り車の後部ドアを開けた。座席を覆うばかりの巨大な長いダンボールで埋め尽くされているのに息を呑むが取り急ぎ引っ張り出す。どうやって母はこの大荷物を押し込んだのかが理解不能だし、さらに自分の部屋に持っていかねばならないというのがさらにわけわからない。

 力仕事が一段落した後、上総はふたたび家族団欒を楽しんでいる両親の様子をのぞきに行った。予定では明日からのはずだったが、もう母は前倒しで始める気まんまんだ。その気まぐれさがいつものことと言われればそれまでだが、振り回せるこちらの身にもなってほしいと思う。とりあえず、部屋を掃除しておいたのは正しかった。これしかない。


「上総、さっきの荷物だけど荷解きした?」

「まさか、あんな大きな荷物どうしろって。部屋狭くなるよ」

「どちらにせよあんたは私に感謝することになるから、早く部屋に戻ってダンボール開けてきなさい。それから改めて私に何か文句があれば言いに来なさい、いいわね」

 ──なんだよ偉そうに。

 今の上総の部屋は、こずえからかりたキーボードもあってかなりものが増えつつある。あまりものがない環境のほうが好きなだけに、また余計なものを押し込まれるのは勘弁してほしい。取り急ぎ部屋に戻り、中を確認することにした。確認して明らかに迷惑千万な代物と確認ができれば、即、居間に戻って文句をたらたらぶつけることができるわけだ。ガムテープでしっかり留められたダンボールをハサミの先使って切り開いていった。

 開いてみて、我が目を疑う。

 ──これ、もしかして。

 詰め物もなにもない、ただまるのまま押し込まれているのみ。黒と白の鍵盤がそのまま顔を出している。少し使い古されているようだが綺麗に磨き上げられている。その下に用意されているのは組立式の設置台。ちらっと見た感じだとかなり奥深く押し込まれている。ハサミを机において、改めてひとつずつ取り出してみる。パーツをひとつひとつ、並べてみる。鍵盤をじっと見やる。こずえから借りたキーボード楽器とは違い特段何かの機能がついているわけではないが、鍵盤の数が格段多いことだけはわかった。組立説明書を広げてみて、「電子ピアノ」の文字を目にして初めて理解した。

 ──電子ピアノ、ってこれ、もしかして、母さんが?

 組み立てるのもほどほどにして居間にかけ戻った。頭の中が真っ白くなり、次に曲が流れ、次に揺れる。


 居間でのんびりお茶を飲みながら語らっている両親を目の前に、何を口にすべきか迷った。出てこなかった。母の悠々たる笑みにすべてが手の上で転がされているだけと知る。

「母さん、あのさ、あれ」

「そういうことよ」

 また父に微笑みかけ、ゆっくり足を組み直す。

「どうして、あれを」

「まずお礼くらい言いなさい。それからよ、こちらに来なさい、説明するから」

「ありがとうございます」

 反射的に礼をいう。なんだか心がこもっていないような口調になってしまったが、母は特に気にするでもなく上総をソファーのひとり席に座らせた。父も満足げにうなづいている。どうやら確信犯と見た。

「あんたたちが帰ってから知り合いの方に連絡してみたら、お嫁に行ったお嬢さんの古い電子ピアノが残っているという話を聞いたのよ。偶然だけど面白いわね。もうすでに本物のグランドピアノに買い換えたのでお役御免だったみたい。場所塞ぎでもあるし粗大ゴミで出すよりは気持ちも楽だからということですべてもらってきたわよ」

「けど、そんないきなりなんで」

「あんたもなんでなんでってしつこく問い詰めるのやめなさい。まあこれもそうね、いろいろお付き合いがあるとその流れでいろいろな情報が入るのよ。私もまさか、あんたのためにピアノ買う羽目になるとは思っていなかったけど、私もまああればあったで弾くこともできるし。本物のピアノとは音も響きも全然違うけど、ないよりはましじゃないの? ちょうどあんたの誕生日プレゼントにもなるしね」

 父が口を挟んだ。立ち上がりながら、

「組み立て、手伝うか。明日から練習厳しいぞ。今日のところはゆっくり寝て、これから四日間のしごきに耐えて、まあ頑張ることだな。父さんも夜食を作るくらいは協力するからな」

 上総の部屋にそのまま向かう。追いかけようとして、上総も立ち上がった。やはりこれは何か言わねばならない。言うべきだ。

「母さん」

 じっと見つめた。ふっと力が抜けたような表情をしている母に、上総は深く礼をした。

「すぐ弾くから。ありがとう」

 返事を待たず、すぐに背を向けた。組み立てて、一刻も早くその音色を聴きたかった。鍵盤を重ね押しした時の響きを確認したかった。

 

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