その十四 印條先生の提案(5)
おふたりだけでごゆっくり、という見合いの定番時間がやってきて、上総はもう一度印條先生の部屋でピアノレッスンを再開した。一応は「結婚」前提としたお見合いの席でもあるし連れ子にあたる上総がいないところで話し合うべきこともあるのだろう。
──父さん、どう出るつもりなんだろう。
ピアノを弾いている間、頭を離れない疑問。
──絶対タイプじゃないってことは証明されてるんだけど、野々村先生がどう出るかなんだよな。そればかりは全く予想つかないよ。
幸いだったのは、ピアノの特訓中印條先生は一切父たちに関わる話を振ってこず、ひたすら練習に集中してくれたことに尽きる。もし「上総くん、お父さんたちを応援してあげようとは思わないのかね」などと聞かれたらとんでもないこと口走ってしまいそうな気持ちになる。猫かぶりにも限界がある。
──母さんに隠さないと、ことだよな。
おやつの時間に差し掛かり、再度お茶とケーキのもてなしがなされた。上総も再度父たちと合流してケーキにかぶりつくことにした。一般的なショートケーキで、クリームが軽めであっと言う間に平らげた。
「おふたかた、いかがだったかな。いろいろ楽しんでいらしたようだけども」
「立村さんにリードしていただいて、心地よい時間を過ごすことができました」
野々村先生のほうから先に発言あり。父も、
「いや、さすが青大附高の先生だけあって、野々村さんは聡明な方ですね」
当たり障りのない感想を述べている。男女の仲に発展する見込みがあるかどうかをうまくごまかしているように、上総には聞こえる。印條先生は特にこだわることなく紅茶のおかわりを勧めた。
「先生、ひとつお願いしたいことがございますが、よろしいですか」
二杯目の紅茶に手を付ける前に、野々村先生が涼やかな表情で提案をした。
「できれば、少しお時間をいただいて、上総くんとお話をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか」
父の表情が一瞬こわばったように見えた。すぐに間に入った。まずいと思ったに違いない。
「いえ、息子とは学校でいろいろお世話になっているようですし」
──父さん説得力ない言い訳だよそれだと。
上総がはらはらしているのも顧みず、父は懸命に野々村先生の提案に反対しようとしている。しかし無駄だ。すでに印條先生と奥さんもにこやかに許可を出している。
「それはいい考えだ。上総くんも、まさに当人同士と考えるべきだからね」
──確かに当人だけどさ。本当にわかんない、この先生、俺には未知すぎる。
もう流れに従うしかなかった。唯一救われたのは、父が野々村先生に惚れているような気配を一切感じさせなかったことだった。身内だからと勝手に思い込ませていただくと、絶対にこの展開は「ご縁がなかった」ことになるはずだ。信じている。
上総がそんなことを思いつつも静々と野々村先生とテラスに出た時、海辺から吹き付ける風は午前中よりも和らいでいた。日が照りつけてきたようだ。
「このくらいのお天気がちょうどいいわね」
「はい」
隣で目の前に広がるさまざまな木々を眺め、緑色とかすかに黄色みがかった色が混じり合っている様子に目を留めた。紅葉も近いだろう。
「ところで立村くん、今日は驚いたでしょう?」
いきなり直球で切り込んできた。文系の情緒と理系の切れ味、両方を持つ人だ。慌てて答える。
「もちろんです。まさか、野々村先生が」
父の見合い相手だったなんて、と答えるべきところか迷い、言葉をとどめた。
「私もお話を先生からいただいた時は驚きました。まさか立村くんのお父さまとこういった形でお目にかかることになるとは思いませんでしたしね」
「でも、僕の父であることはいつ頃に」
上総の予想通りの答えを返してくれた。
「青大附高に通っている息子さんがいらっしゃると伺ったので、すぐに気がつきました」
「では、なぜ」
確認したいのはやまやまだが、卒業するまでの三年間は「教師」と「生徒」としてお世話にならなくてはならない。うっかり妙なことを口走りたくはない。
野々村先生はテラスの椅子に腰掛けた。上総を誘った。向かい合って座る。学校の机と椅子ではないがほとんど気分は個人面談と変わらない。緊張が走る。
「立村くんと接するようになってから、ご家庭の教育方針なども含めて一度ご両親とお話しさせていただければ、とは常々考えていたことは確かです。そのことはきちんとお父さまに伝えてあります」
テーブルには何も並んでいない。風だけがそよぐ。
「目的は別のものでしたけれども、今回私はあえて利用させていただいたというのが本当のところです。でも、誤解しないでほしいの。ゆっくりお父さまとお話しさせていただいて、お互いよいお友だちになれるのではという実感を得られたのも事実なんです」
「誤解しようが、ないのではないですか」
やはり理系感覚が染み付いている人の思考回路にはついていけない。どうやら野々村先生は父を最初から「ご縁がなかったこと」にしたいらしい。確認ができてほっとしているのは実は上総の方だ。しかし、それだけで終わりそうもない、残響音のようなものはなんなのだろう。
野々村先生はすっと上総と真正面に向かい、いつぞやの個人面談と同じ雰囲気でやさしく語りかけた。上総も身体を堅くして受け付ける。
「安心してほしいの。私は立村くんのお父さまと現在のお互いの状況について情報交換をしただけ。決してここから先、ご家族の生活を乱すようなことは考えていません。たぶん、心配だったかもしれないけれども、そのことだけは約束します。ただ私が今日先生のもとにお伺いしたのは、最初にお伝えした別の目的があったからなの。立村くんの学校生活についてもっと、深く、何かよい手助けができないかどうかを考えていたからなの」
「先生、大丈夫です、学校で十分それはしていただいてますから」
「いいえ、違うの。学校側では限界があります。私は青大附高の教師ではありますが、立村くんの担任ではない以上、口を出せないこともたくさんあります。でも、仮に私とお父さまとが『お友だち』だとするといかがでしょう?」
「お友だち、ですか」
ますますわからない。だんだん自分が瀬戸際に追い詰められていることだけは確かだ。
「そう、お友だちだったとしたら当然家族の話に触れることもあるでしょうし、お友だちの息子さんである上総くんにも接することだってきっとあるでしょう。職業柄機密事項を漏らすことはしませんが、そんなことがなくても十分、お友だちとして理解しあえることはたくさんあるはずです」
「先生、その『友だち』って、つまり、父と、ということですか」
──つまり何か? 野々村先生はもしかして父さんと「お友だちから始めましょう」というのりで付き合おうとしてるのか? ってことはどちらにしても将来何かあるって可能性あるのかよ。うちの母さんのことも知ってるのかよ?
「そうよ。だってお父さまにはあなたのお母さまがいらっしゃるわけですし、私としてはお友だちになるのが自然でしょう?」
──母さんの話も、もう通ってるってわけかよ? じゃあなんで?
上総の思惑を知ってか知らずか、野々村先生は学校で決して見せない愛らしい微笑みを浮かべた。
「これから学校の外でお会いする時には、上総くんと呼ばせてもらっていいかしら? それと、私のことは学校以外では先生と呼ばず、『弓絵さん』と呼んでいただけるとうれしいわ」
──俺が名前で呼ばれることを死ぬほど嫌ってるってことは、きっと知らないんだろうな。
もう運命と思って諦めるしかない。諦念の中、上総は答えた。
「学校以外であれば、お任せします」
──弓絵さん、って呼ぶのか、これから。どうすればいいんだろう。




