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その十三 みずいろ(2)

 想像以上に合唱コンクール関係の準備が多すぎて、中学校舎へ顔を出す暇がなくなっていた。杉本とも二学期の始業式以来ほとんど顔合わせる暇がなかった。忘れていたわけではないのだが、気がつけばこんなに日が経っていたということだ。

「杉本、どうしてここに?」

「古川先輩のお宅へおよばれして本日で二回目でございます」

 いつものまっすぐな口調もそのままに、杉本の鋭い眼差しは変わることなし。

「二回目って、初めてはいつだよ」

「先週の日曜日です」

 きっぱり答える杉本を制するようにこずえが割って入り、面白げに二人を眺めた。

「あのさ立村、あんたもびっくり仰天してるのはわかるよ。けどさ、もう少しもっとなんてか、女子に対する接し方を考えなよ。さ、とにかく座りな。今日は女子っぽくティーパーティーって奴だけどあんたもそのくらいは付き合えるよね」

「付き合うもなにも、すごく華やかだな」

 素直な感想だった。食事抜きで来るようにとのきついご沙汰があった以上、上総としても従わざるを得ず、おそらくなんらかの昼ご飯が用意されているのだろうと予想はしていた。お土産も本来なら持っていくべきだろうと考え、実は鞄の中に頂き物のチョコレートクッキーを隠しておいた。しかし、この本格的なアフタヌーンティーの雰囲気たるや、いったいなんなのだろうか。

「でしょ。あんたも驚くと思ったよ。ほんとは美里も混ぜて作ろうかとか思ってたけど、美里がああいうことになっちゃったしってことで今回は杉本さんとふたり。うちの母さんも手伝いたがってたけど今回は思うところによりパスしてもらって、ほとんど飾り付けとかは杉本さんのお手製だよ」

 改めて眺めると、クッキーにはホイップクリームが上品にあしらわれているし、サンドイッチも形が整っている。つまようじを差してあるのでそのまま軽く口に押し込める大きさで、男子にとっては少し物足りなさもあるが女子にとってはちょうどいい分量だろう。しかもよく見ると、オレンジやキウイ、ミニトマトやブロッコリーなどもお菓子の顔してクッキーの上に重ねられている。不思議なセンスと思えなくもないがこれが杉本の好みと考えれば納得する。

「簡単ですこのくらいは。ほとんど出来合いのクッキーを用いてこしらえました」

 にこりともせず一本調子に答える杉本。目つきはきついまま。ずっと睨みつけられている。機嫌があまり良くなさそうだというのだけはわかった。

「杉本が作ったのか? すごいな、手がこんでるよ」

「そうなんだよ、そりゃ杉本さん言うようにクッキーとかパンとか、スーパーで用意するにはしたよ。けどサンドイッチも杉本さん、口に一回で収まる大きさを研究して材料を整えたり、果物が足りないとなったら野菜で生のまま食べられるものがいいからってブロッコリーをゆでたりとか、いろいろ工夫してたんだよ。それに、やっぱアフタヌーンティーってきたら紅茶じゃん? 立村、そのへんはわかるよねえ」

「社会のたしなみとしては」

 こずえとやり取りしている間、杉本の表情は堅くこわばったままだった。何かを言い返せばいいのに、ただ黙って上総を見つめるだけだった。

「とにかく、今日はさ、せっかくだから杉本さんを呼んでお茶会して、その合間にあんたがピアノを弾くってとこでどう? 杉本さんも音楽好きだよね」

 促すこずえに杉本は身体を向けて、はっきり答えた。

「オペラは好きです。鑑賞するのであれば、ですが」

 ──自覚があるのかな。

 誰もが知っていることだが杉本ひとりは気づかなかった事実を。

 ──古川さんも、杉本が音楽を聴くことのみ、好きだということを知ってるのか?

 

 こずえのお母さんは一度、紅茶ポットを用意してくれた後すぐに居間から出て行った。

「やっぱねえ、うちの弟いるじゃん? あいつの体調全然落ち着かないもんだからさ」

「風邪が長引いているんだな」

「違う違う。風邪そのものは完璧治ってるの。ぴんしゃんしてるのよ。けどさ、甘えぐせっての? そういうものがついちゃって、何かあると母さん母さんって甘ったれっぱなし。私には言わないんだよね、怖いから。怒鳴るから。甘ったれるなってね」

「目に見えるようだよな」

 紅茶ポットは杉本がまずこずえに、次に上総にそれぞれ注いでくれた。白地にもみじ模様のあしらわれたティーカップに、まさに紅葉色の液体が広がり揺れる。

「誰がこのカップ用意したんだろう」

 思わず感心して尋ねた。時期的に紅葉には間があるけれども、ちょうどいい。

「うちの母さんのに決まってるじゃん。おもてなしする準備くらい、いくら私みたいに大雑把女だったとしても意識するわよねえ」

「いやさ、季節感にこだわるってすごいよ」

「ずいぶん私のこと馬鹿にしてくれてるじゃあないの。まあいいけどね。そういうイメージで売ってる私だもんねえ。とにかく杉本さんがせっかく注いでくれた紅茶なんだから冷めないうちに手をつけようよ。とりあえず食うことが先でしょが」

「杉本、ありがとう」

 お礼を言い忘れていたことに気づき、慌てて上総は伝えた。とってつけたような言い方になってしまったのではと少しはらはらする。また「立村先輩は礼儀知らずですね!」とか叫ばれてすねられるのだけは避けたい。特に、こずえの家では。

「恐れ入ります」

 きっとした目で、杉本が返してきたのはその一言だけだった。


 男子の食欲ゆえに、どうしても最初は食べることに徹してしまう。また杉本に、

「立村先輩はどうしてそうもいやしいのですか」

 と怒られそうなくらいむしゃむしゃかぶりついた。一口サイズのサンドイッチとはいえ、実際食べてみるとからしバターとハム、レタスだけのあっさりしたものなのに何とも言えないくちどけ感を感じる。また「出来合い」というクッキーも実際食べてみて驚いたのだが、冷たく冷えていてしかも柔らかい。おそらくスーパーで販売されている箱入りのバタークッキーだろうが、中のクリームが溶けているせいかどことなくミニケーキを食べているような感触だ。さらに、

「これ意外なんだけど、野菜って合うね。あまったるくなりすぎないでさ。杉本さんが野菜を付け合せにするって言った時ちょっとまずいんじゃないとか思ったけど、とんでもない、大当たりだよね!」

 こずえが大絶賛した野菜との組み合わせ。とにかくいろいろ工夫を凝らした結果ということがよくよくわかった。結果、あっという間に皿は空っぽと相成った。

 上総とこずえが合唱コンクールの話にしばらく花を咲かせている間、杉本はずっと紅茶を口にしながら黙って聞いている様子だった。これも珍しいことだった。いつもならなんだかんだ言ってびしばしと上総を責め立てる口調でなじるだろうに。

 ──やはり、去年の合唱コンクールでは辛い思いしたんだろうな。

 今はいろいろあって元のクラスに戻されたけれども、去年はほとんどE組で過ごした一年だった。合唱コンクールも一応は参加していたようだが、実際どういう雰囲気で過ごしたのかは想像するのみ。もしかしたら歌うことを止められていたのかもしれない。明らかに杉本の声がハーモニーを崩すであろうことは誰もが知っていたはずだから。

 ──けど、杉本もなんで全然しゃべらないんだろう。

 

 突然、こずえが立ち上がった。お盆に皿一式をすべて重ね、紅茶ポットだけ残して、

「さてと、これからお稽古タイムとなるわけなんだけど、私も美里とおんなじく、他の子たちと一緒にパート練習しないといけないんだよねえ」

「え、来るのか? 誰か?」

「違う違うって」

 一瞬身をこわばられた上総を、こずえは呆れたようにみやり笑った。

「そんなびくつくんじゃないよ全く! 連れてくるわけないない。いやね、クラスの女子たちが自主練習したいって話をしててさ、私もちょこっとだけ顔を出したいなって思ったんだよね」

「自主練習をなさるのですか」

 杉本がオウム返しに尋ねた。

「そうなのよん。私が声かけたわけじゃなくって一部の子がね、やっぱし頑張りたいって気持ちあって。それでさ、私もその心意気嬉しいってことで、差し入れだけしようかなと思った次第なのよ。あ、もちろんすぐ戻ってくるよ。お客さん迎えておっぽり出すわけいかないじゃん。けど、どうせ立村も一時間くらいはピアノ弾いてるだろうし、その間だけちょっと家、空けるけどゆるしてよ」

「古川さん、けどさ、そうなると」

 問いかける上総を遮り、またにやにやする。

「立村、あんた今スケベなこと考えてたでしょうが。ちゃんと顔に描いてたよ。悪いけどそのご期待は無駄。うちの母さんに、時折部屋覗いてもらい杉本さんの貞操が守られるよう見張っててもらうつもり。母さんだってあんたたちを一日中見張るなんてこと、できるわけないからここの戸を開け放すだけだけどね。とにかく杉本さんが立村の野獣の本能の餌食にはならないように手はずは売ってあるから大丈夫」

「古川さん、今の話、ものすごく俺に対して侮辱的なこと言ってるような気がするんだけどさ。なんで俺が野獣なんだよ」

 笑い話に留めつつ上総が抗議するのもどこ吹く風、つんと澄ました顔で杉本は丁寧に礼をした。

「かしこまりました。古川先輩のお言葉、謹んで承ります」

「じゃあ、悪いけど立村、ピアノ、勝手に弾いてて。杉本さんもよかったらこいつの下手っぴさに呆れて思いっきり叩きのめしてやってよ! うちの母さんが覗きにきたら、ついでに一緒に歌っててよ」

 

 杉本はこずえを見送った後、そのまま上総をじろりと睨んだ。ずっとこの部屋に入ってから、杉本には睨まれっぱなしだった。いったいこの状態でどうやって野獣の本能を目覚めさせろというのだろう。

 



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