その十二 九月十四日(3)
繊切の音色 その十二 九月十四日(3)
一足早くクラス全員の顔ぶれが揃ったのはA組だった。
「時間がないからすぐ始めよう。部活の練習を抜けてきた奴もいるからな」
藤沖の指示に従い、男女それぞれがゆるい扇型となりアップライトピアノの前に整列した。こずえがそれぞれの位置を調節し、
「みんなもう出来上がってるも一緒だし気楽に行こうよ」
と明るく声をかけている。聞きとがめた藤沖に、
「調子に乗りすぎるなよ、気が緩んだらどうする」
注意されているもののあっさり交わす。
「なーに言ってるの。うちのクラスに努力と根性なんていらないの。みんな楽しくわいわいやってれば結果がついてくるもんだって。さ、立村も準備はいい? あんたが上手に弾けるなんてだーれも思っちゃいないんだから安心してやりな。関崎も、タクトの準備は?」
「俺は手でいいと思っているが、やはり指揮棒がないとまずいか」
全く話のずれたところで返答する関崎。相変わらずののんびりしたムードが流れる中上総は関崎の手元をじっと見つめていた。一曲目の「恋はみずいろ」用」楽譜を並べたままだ。まだ美里からもらったノートには貼り付けていない。
「それならすぱすぱ行くからな、立村、いいか」
「了解」
短く答え、手元が動くのを待った。少しタイミングがずれたような気がしたがなんとか前奏に進んだ。まだ指揮者側……関崎の手……を見るだけで弾くところまでは進まず、途中楽譜を見ざるを得ない。歌が始まり時々釣られて早く進んでしまいそうになり焦る。これが歌と合わせる時のはっきりした違いなのかもしれないと改めて思い知った。
──歌を聞かないで弾くほうが楽だけどそうはいかないのか。
関崎は両手を固く動かしつつもそれなりに上総側にも目を向けていた。結構早く指揮の手順を覚えることができたのだろう。そつなく進めているようにも見える。なんとか最後まで弾き終えたところですぐにこずえのダメ出しが飛んだ。
「あのねえ、全然テンポあってないよ。伴奏と指揮者。立村もそうだけど関崎、あんた自分でも少し早すぎるとか思わなかった?」
「このくらいでよくないか?」
意外といった顔で関崎がこずえに問い返す。
「いいわけないじゃん。歌ってて息継ぎかなりしんどかったようちら。もう少しゆったりさ、歌聴かせようよ。それとさあ、立村もあんた自分ひとりでいい気持ちになってるんじゃないよ。ひとりでフィニッシュするのは夜だけにしてよね」
卑猥な笑いが男子連中の顔に浮かぶがすぐに打ち消す。みな思い当たる節があるのだろう。こずえの下ネタにはみな、耐性がついている。女子はみな気づかない顔しているのでさほど空気も荒れない。上総はもちろん知らんぷりを決め込んだ。要するに歌に合わせて弾く努力をもっとせねばというだけのことだ。
「けどみんな歌はいいよね。ね? 男子もよくここまでみんな腹から声出してくれるよねえ。男前だねえ。それと女子のみんなも、ずっとパート練習一生懸命してくれたかいあったよ。宇津木野さんも疋田さんも、練習用のピアノ弾いてくれてほんと助かったよ感謝感謝」
ころっと態度を変えて今度は合唱組を褒め称えるこずえ。そばで憮然としている関崎を上総はさりげなく声かけした。
「関崎、怒るな、あれが古川さんのやり方なんだ」
「何がだ。俺はそれほどスピード違反したつもりはないが」
「違う、合唱の人たちに言いたいことを俺たちに伝えて意識させようとしているだけだよ。俺たちよりも他の人たちのテンポがばらばらだからそれが気になったんだろうな。俺も悪かったけど、関崎はそれほど問題があるとは思わない」
「そうなのか」
かなり驚いた風に関崎はこずえを眺めやった。その間にも褒めたたえつつさりげなく各パートにダメだしをし、パートリーダーにもねぎらいの言葉を男女関係なくかけつつ進めていくこずえに、みな雰囲気もなごみつつ二曲目の準備が始まる。
「さあさ次、問題の『モルダウ』よね。立村、あんたいい加減音飛ばしたり和音ごちゃごちゃにするのなんとかしなさいよ」
「なんとかする。始めていいかな」
言い返すと今度は関崎を叱り飛ばしている。
「関崎も、この曲はおおらかな響きの曲だってこと、あんたくらい歌える奴なら理解してるでしょ。あんたが歌えない代わりにみんなにきもちよーく歌ってもらえるようにしてもらわないと困るわけ。あんたも独りフィニッシュタイプだからさあ」
「古川、褒めてくれるのはありがたいが、独りフィニッシュというのはなんなんだ」
男子を中心にまた笑いをこらえる。関崎の生真面目さを知っているだけになんともフォローがし難い。あきれた風にこずえは頭を抱えてぐるぐる回した。
「じゃあさっさと行ってちょうだいな、さあさ行った行った!」
こずえにダメだしされた分を上総も、また関崎も意識して進めたおかげで、「モルダウうの流れ」は特に問題なくおしまいまで弾き終えられた。まあ、間違いが全くないとは言えないし関崎の手を見ながら弾く程の余裕もなかったが歌声が重なったおかげで多少のミスタッチはごまかせたんじゃないかという気もする。
「まあねえ、立村のピアノの腕をもう少し磨けって結論よねえ」
やはり厳しいこずえのお言葉には頭を下げるしかない。言い返せやしない。女子たちもなんとなくこずえの言いたいところは認識しているようでみなにやつきながら上総を眺めている。
「てか、ねえ、もうこいつがこれ以上上手になるという見込みってあまりないと思うんだわ。だからさ、私思うんだけどもっともっと歌でカバーしないとさ、まずいと思うわけ。この歌だとねえ、もっと後半のあたりの盛り上がりをさ、ピアノの限界を超えてぐぐぐっと持ち上げる必要あるのよねえ」
──えらく俺のこと叩いてるよな。
普段聞いているのならば言い返すが、おそらくこの場だとこずえなりに何か考えがあるに違いない。関崎が見るに見かねて言い返そうとしてくれるが腕をひっぱり黙らせた。
「だから、思うんだけど、男子パートをもうちっと、ほんっとに悪いんだけどもうちょこっと腹から声出してもらえると、立村のあらもごまかせると思うんだよねえ」
「古川、つまり俺たちの声が小さいと言いたいのか」
藤沖がいらだち気味に文句を言う。こいつは意外とダメ出しに弱い。すぐにこずえは首を振る。肩もすくめる。
「なーにあせってるのよ藤沖、あんた、ちょこっと考えなよ。こんな新米ピアニストをこんなすっごい『モルダウ』みたいな大曲弾かせるわけよ。無理じゃん普通じゃあ。けどやっぱうちのクラスだって優勝狙いたいじゃん? 麻生先生だってなんかご褒美出してくれそうじゃん?」
「中華料理付きトイレ掃除だったらノーサンキューだがな」
爆笑した。思い当たる節があるらしい。不参加だった上総以外は。」
「そこんとこはうちら評議の交渉にかかってくるんであんたも手伝ってよ。とにかく、ここは本気で一発優勝したいじゃん? となると、マイナス部分をうちらの持ってるプラス部分で隠す必要があるわけ」
「プラスとはなんだ、つまりは」
「合唱部分に決まってるじゃん!」
こずえは高らかに言い切った。
「うちで勝てるとこったら、ハーモニーのとこぐらいじゃん! 指揮者も伴奏者も新米となったらあとはそこで勝負するしかないよ。それに、いっちゃなんだけどまじで上手いと思うんだよねえ、合唱だけは!」
「だけ」とのところを強調されると縮こまりたくなる。
「だからさ、ここんところを特に男子のみなみなさまにお願いしたいってとこよ。あんたたちならできるって! ね、お願い」
最後は声を裏返して甘えるお願いポーズまで取られてしまい、その似合わなさに三度目の爆笑が湧いた。女子たちも吹き出している。あの下ネタ女王でなければ使えない技だ。
「要するに何を古川は言いたいんだ?」
やはり意味がつかめず戸惑う関崎に、上総は説明してやった。
「男子の声が小さすぎるからもっと恥ずかしがらずに腹から出せと。結論から言えばそれだけ」
「じゃあなんでそんな褒め殺しするんだ」
あっさり上総は答えを教えた。
「露骨にそんなこと言われて気持ちよく受け入れる気になれるか?」
関崎は腕を組んでしばらく考え込んでいた。




