その十二 九月十四日(2)
──俺の誕生日なんて覚えてたんだ。
決して意外とは思っていない。中学時代はそれなりに互いの誕生日を意識しあったりもしたし、プレゼント交換もしたりした。しかしあの頃は曲りなりにも「付き合っていた」わけだからそれなりの意識があったはずだ。現在はいわゆる恋愛感情もない代わりにかけがえのない親友としてのつながりがあるのみ。ただ「誕生日」を祝うような感覚はもうとっくの昔に消えたものと思っていた。実際上総も、美里にはっきり目に見えるような形で今年の誕生日を祝った記憶はない。知らない振りして、ケーキをご馳走したかもしれないが。
教室に戻ると興味津々といった顔でこずえがまた近づいてくる。
「どうしたのよあんたたち」
「なんでもないよ」
「その袋どうしたのよ」
見ると他の女子たちも不審げに上総の手元をじっと見つめている様子だった。特に話しかけるでもないがささやきあってはいる。面と向かって尋ねるのはこずえのみだ。
「清坂氏とあと、羽飛からもらっただけ。席つくからどいてもらえないかな」
「なあに、あんた見せなさいよ。ほんと美里もなにこそこそやってるんだか」
「別に悪いことしてないし、俺がもらったものなんだからそうとやかく言われる筋合いないだろ」
美里もこずえに何か話したわけではないのだろうか。少し意外だった。親友同士の美里とこずえ、こっそり打ち明けていてもおかしくはないはずなのだが。
「隠し事してるってことは相当、後暗いことしてるってわけよねえ。やらしいわねえ」
「古川さんに言われたくない」
あしらって自分の席についた。とはいえたぶん、時間が経てばばれるだろう。こずえの言葉を借りるならば「後暗いこと」なんて全くしていないわけなのだから。美里も楽譜を貼り付けるとかなんとか言ってくれているし、どうせ気づかれることなのだから無理に隠す必要もないといえばない。ただ、
──関崎の前じゃ、やはりな。
誤解を招く可能性大だろう。そのあたり美里が計算していないとは思えない。あの後関崎が美里に対してどういう形で振ったのか、そのあたりは最小限の話しか聞いていないので上総もつかめていないが、少なくとも昔の交際相手と現在の片思い相手が雁首並べている環境で、周囲を誤解せしめるようなことはできれば避けたいだろう。
もしばれたらばれたで、羽飛と美里との合同制作作品として補足説明しておく必要がありそうだ。どちらにしても羽飛を捕まえてお礼を早めに言っておこう。
六時間目の授業が終わるやいなや、即、関崎が姿を消した。
「おい関崎がいないがどうしたんだ?」
帰りのホームルーム前、麻生先生が教室をぐるりと見渡して藤沖に声をかけた。本来居るべき時間に関崎がいないということは通常ありえないことなので戸惑っている様子だった。打ち合わせ済みなのだろう、藤沖はすぐに答えた。
「実はこれから、音楽室で合唱コンクールの練習をするため早めにピアノを押さえておく必要があります。そのこともあり評議委員権限で関崎を先に送り出しました」
「評議権限と言われてもだなあ。気持ちはわかるが、一応はホームルームだろ? まだ授業が完全終了したわけじゃあないんだが。あとでお仕置きぺんぺんだな」
そこまで言い終わったところで息を切らした関崎が後ろ扉から戻ってきた。全員、驚いて振り向く。麻生先生が呼びかける。
「関崎どうした。便所でも言ってたのか」
「いえ、実は音楽室に行ってきてすぐ戻りました」
──すぐ戻った?
てっきり音楽室でピアノの前に陣取り、全員向かうまでの場所取り要員だと思っていたのだが。関崎は息を整え、生真面目な顔で答えた。
「六時間目の授業が終わってから音楽室に行って肥後先生に頼んできたところです。今日はどうしても立村のピアノ伴奏で音合わせをしたいのでピアノを優先で貸してもらうようお願いしました。先生申し訳ございませんが、帰りの会を早めに切り上げさせていただけませんか」
大爆笑。関崎本人が真面目に語っているだけにそのずれかげんが極端で笑ってしまう。麻生先生も唇を歪めて懸命に吹き出したいのをこらえているのが見え見えだった。
「よっくわかった。それでお前、なんで戻ってきた?」
「帰りのホームルームに参加するのは生徒としての義務です」
「義務か、関崎だなやはり。ということならわかった。今日はとりあえず連絡事項はほとんどないし、さっさと喉からしてこい! 藤沖、号令」
間髪いれず藤沖の「起立、礼」が響き渡った。
──やはり関崎は先生に評価されるというか、取り入るのが上手いよな。
今更ながら上総もため息を吐く。鞄に荷物をまとめ、楽譜をファイルに挟み込みそそくさと教室を飛び出すことにする。関崎にはもちろん礼を伝えたが、一番の礼儀はやはり自分がきっちりピアノで演奏することだろう。宇津木野さんや疋田さんと比較できるレベルでない以上、そこまで行っている努力だけはしっかり見せつけないとまずいのではないかと思う。一回か二回は練習したい。どうせ今日も放課後、他のクラスが帰った後に少し練習させてもらうつもりではいるけれどもだ。
──同じことを俺がやったら、さっそく嫌味を浴びせかけられているに決まってる。
いくら麻生先生が上総の両親に頼まれて厳しく接するように言われていたとしても、やはりある程度の本心は見えてくるものだ。わざとやっているとか言っても、本質として好きになれない生徒であることはなんとなく伝わってくる。菱本先生がどんなにカバーしようとしても、上総としては自分の直感を何よりも大切にしたいと思っているので無視をする。関崎はいい奴だし異論はないが露骨な贔屓にはむかっとくる、そのくらいの気持ちは許していただきたいものだ。
三階の階段を昇りきり音楽室に向かう。すでに先客がいるらしく扉を開けると顔見知りの生徒たちがグランドピアノのそばで固まっている。一年A組の男女生徒はアップライトピアノにて蓋をなでなでしている。とりあえずマーキングというところか。
「おお、立村、今日はお前らもここで稽古か?」
東堂だった。いつぞやの合唱練習メンバーとほぼ一緒だった。ということは、一年B組の練習もここで行われるということになる。上総は頷いてアップライトピアノを指差した。
「早めにピアノを押さえてもらったから、悪いけど一緒にクラス練習することになると思うんだ」
「まあお互い様ってとこよ。昨日、今日とさ、なぐっちらのクラスと一緒だったからまあ新鮮だわな」
つまり一年C組連中が毎回音楽室で合唱練習を続けていたということか。それにしてもすごいバッティングだ。B組とC組ということは、美里と羽飛が毎回顔を合わせていたということになる。何も聞いていなかった。
「けど、一年だけなのか? 二年、三年はそういえばほとんど顔合わせしたことないけどな」
前から不思議に思っていたことを東堂にぶつけてみる。話をしているうちにこずえ、関崎、藤沖、その他A組B組面子が揃い始め、知り合い同士会話を交わし始めている。ちらと見えた限り、関崎もB組女子の静内菜種を捕まえて一生懸命手で調子の取り方を確認している。東堂は上総の肩をぽんぽん叩いた。
「まあ、俺の知る限りだと上級生のみなさんは公園とかいろんなとこで練習しているみたいだし、中には誰かの家を借りて集まってたりするケースもあるみたいだねえ。それにここだけの話、合唱コンクールにここまで燃え上がる連中って実は一年のみみたいだって噂もあるんだわ」
「一年だけって、まさか」
ノンノンノン、と口ずさみながら東堂は小声で囁いた。
「去年の合唱コンクールがまあ、凄まじい荒れっぷりだったらしくって、現在の二年、三年はほとんどやる気をどっかに捨てているって話だわな。だからたいていバッティングするのは一年のみ。同じ顔ぶれ。それはそれで気楽ではあるがなあ。ただなぐっちはもう愚痴りっぱなしだわ。バイト遅れるからいっつも怒鳴られてるってな」
「みつや書店でのバイト、そういえばどうしてるんだろう」
放課後の南雲のバイト先だ。いろいろ面倒だとは聞いていた。シフトがずれているとはいえ関崎と同じ仕事ではある。東堂は上総の肩に手をもたせかけた。
「ま、今度あいつの家で詳しく事情聴取したいわな。またあそこのハンバーガー持参で食おう食おう。そいじゃ俺たちも練習なんでまたよろしく」
東堂はグランドピアノのB組集団に再度混じり、他の女子たちへいろいろと話かけしていた。静内も楽しそうに語らっている。関崎はA組連中を前に熱く歌い方指導に没頭している。上総もいそいでアップライトピアノの前に陣取った。
──しかしずいぶん馴れ馴れしいな。東堂は。
東堂が高校に入って以来、上総に対して距離を縮めてくることに正直戸惑いがある。東堂の親友が南雲だということは中学時代から誰もが知る事実だったけれども、上総にとってはどちらかというと距離のあるクラスメートに過ぎない。南雲と友人であるイコール東堂も同じ濃さのつながりでは決してない。なのになんでか、東堂は上総のことをかなり近しい友人として認識してくる。利害関係も全くないわけではないのでなんとなくそのままにしているが、かなり戸惑う。なによりも上総は身体に触られるのが死ぬほど苦手だ。上総と親しい友だちならばみな、気づいているはずだった。
──それにしても清坂氏どうしたんだろう、練習来ないのかな。
肩ごしに入口を振り返ってみたが、まだ美里の姿は見当たらなかった。




