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その十 あねおとうと(6)

 なんとなく、こずえと美里の思惑は感じ取っていたこともあり、ふたりが戻ってきてからはなんともなしの無難な会話に止めた。一度もこずえの母が顔を出さぬうちにお暇の時間となり、四人でマンションの外に出た。

「じゃあさ、悪いけど私ゆいちゃん送ってくから、あんたたちふたりで先に帰りなよ」

 嫌がるかと思ったが美里はあっさり頷いて、

「うん、わかった。じゃあね。ゆいちゃんまた今度ゆっくり話そうね」

 笑顔を振りまき霧島さんに話しかけた。霧島さんもすでに気品あるお嬢様の風情で、

「美里も、元気でね」

 とだけさらりと答えこずえと一緒に背を向け、歩いて行った。確かにそちらの方面が「霧島呉服店」の存在する商店街方面ではあるのだが。


「立村くん、行こう。あーあ、それにしても今日は楽しかったね。思いっきり歌っちゃたよ!」

「ほんと、歌があるのとないのって違うよな」

 ふたり肩を並べてのんびり歩き始めた帰り道。途中、青大附属の校舎前を通りすぎ、何人か顔見知りの生徒とすれ違った。話す程仲がよい相手はいなかったので挨拶もしないままでいた。美里も同様だったらしく、

「部活でみんなこんなに遅いのかな」

 後ろから追い越していく自転車組の姿を目で追っていた。

「委員会かもしれないな」

「ううん、それないない。今日規律委員会ないもん」

 それはわかっている。関崎も、南雲も、参加していないのだから。

「でもね、合唱コンクールに燃えている人はたくさんいるかもね。貴史たちもそうだし、うちのクラスもそれなりらしいし」

「B組はかなり気合入っているような印象あるけどな」

 正直な感想を述べた。

「違うの。単にうちの担任と評議同士の癒着に尽きるの。なんでだろうね。静内さんとうちの担任とがいっつもべったりおしゃべりしていててね、そのとばっちりがみんな私に来るんだけどどうしてって感じ」

 ──単に気が合わないだけなんじゃないかな。

 美里に激しく抗議されそうな気がするのでここでやめておく。一方美里は口を尖らせつつさらに不満を述べ続ける。

「私何も悪いことしてるつもりないのになんであんなに噛み付くんだろうね。ほら、私たちの自由研究あったじゃあない? そりゃ、未熟かもしれないよ。頭のなかでまとめただけの文章かもね。でも、いかにも私たちの作品を当て馬にして静内さんたちのものを褒め称えるのってなんでって気、しない?」

「そんなことされたのか?」

 少し気になる。B組の担任が野々村先生であることは承知しているけれども、そんないやみったらしいことをする人にはどうしても思えない。まあ、かなり変わった価値観の持ち主だとは思うが、数学が得意な人が普通の頭脳なわけがないし、それはしょうがない。上総の思い切り偏った価値観ではあるが。

「そうなの。聞いてよ立村くん。この前決まったじゃない、自由研究の評価が高かったからって、製本してもらえるって話。もちろん私たちは外されたけど、まあがんばったしいいかなって思ってたの。研究している最中もものすごく楽しかったし、ね?」

「うん、そう思う」

 否定などするものか。

「それに静内さんたちの研究ももちろんすごいレベルの高いことしていると思うし、青潟の石碑めぐりと歴史研究だっけ? 内容も濃いんだってことは想像つくよ。読んでないけど、すべての場所に足を運んで取材してたんでしょ。文句なんてないしやっかんでなんかない。けどね、それを褒め称えるのになぜ、『中には地のつかないテーマを選んで自分の頭の中だけですべて構成し、架空の物語でもって完結させようとする作品もありましたが、背伸びしすぎていてかえって心に届かないものを感じました』って言う?」

「清坂氏、聞きたいんだけど、それ本当に俺たちへのあてつけなのかな? たまたまじゃないのかなって気がするんだけどさ」

 聞き返す。美里の言い分だけではどうもぴんとこない。幅広い意味での批判に過ぎないような気もするし、いささか自意識過剰なんじゃないかとも思える。

「違う、絶対そう! だってこの話しながらうちの担任じっと私を睨みつけるようにしてたもん。私をターゲットにしてたってわけ。もう頭に来るよね。言い返してやろうかと思ったところで鐘が鳴ったからうやむやに終わっちゃったけど」

 美里の愚痴はまだ続いている。しばらく聞き流しつつ、上総は自分の中に野々村先生の発した、と思われる言葉を噛み砕いた。

 ──背伸びしすぎていて心に届かない、ということか。あの先生の言いたいことって。


 野々村先生の実際接した時に感じる人柄と、美里から聞かされるえこひいき教師のイメージとがどうも噛み合わない。美里を疑いたくないのだが、どうも被害者妄想が強すぎるのではないかと思わずにはいられない。むしろ、静内菜種に対するさまざまな嫉妬じみた感情が飛び火しているだけなのではとも感じる。

 ──どうしたんだろう清坂氏も、なんだか合唱コンクールのことも含めて苛立っているみたいだよな。今日も、霧島さんに一生懸命話しかけるけれどいなされてしまって落ち込んでるようだしさ。いろいろ辛いのかもしれないけどな。

 美里の価値観に共感できない場面は中学時代からしょっちゅうだったけれども、だからといって嫌いにはならない。正反対だったとしても、それでいいと思えるつながりが確かにあるから。でも、今の美里の思い込みがかたくなすぎることにはどう対応していいかがわからない。とりあえず、野々村先生の問題と静内菜種に関しての件は分けて考えたほうがいいんじゃないだろうか。


 言うだけ言ってすっきりしたのか、美里は上総にいたずらっぽく微笑みかけた。

「ごめん、立村くん面白くないよね、こういうこと」

「聞いてるだけだし、意見言わなくていいならいくら言ってもらってもいいよ」

「そっか。そうだよね。立村くんうちの担任にいつの間にか贔屓されちゃってるんだもんね」

 特段怒った風もなく美里はカバンで上総をつついた。

「そんなわけじゃないけどさ。たまたまだよ、向こうだってそんな気なかっただろうし」

「わかってるってば。たぶんうちの担任は真面目で一生懸命で地道に頑張っている人が好きなだけ。私みたいな要領だけで乗り切ってるように見える生徒や、こずえみたいにエッチ話で盛り上がるタイプは虫唾が走るほど嫌いみたいよ」

「ということは、今日の霧島さんみたいなタイプは一番のタイプかもな」

 無理やり話を逸らした。美里もすぐに乗ってきた。


「ゆいちゃん? あっそか、立村くん、ゆいちゃんやっぱり変わったって思ったよね?」

「半年前の霧島さんかって、本当に自分の目、疑ったよ」

 一番の驚き事項だった。美里が気づいていないわけないと思ったのだがやはりそうだった。一気にまくし立てた。

「そうでしょ、私もびっくりしちゃった。夏休み初日に一回電話かけたことあったけどあの時から変だったのよね。私がいろいろ遊びに誘おうとしても行かないって断られちゃったし。けどこずえの誘いには乗ったのよね。なんでだろうね」

「まあ、霧島のこともあったんだろうな」

 余計なところに話を持ち込まないようにするため、わざと弟のことを持ち出した。美里は気持ち良いくらい乗ってきてくれる。

「そうだよね。こずえもそう言ってた。霧島くんがあれだけ立村くんに懐いていたからお礼言いたいって言ってたみたいだしね。さっきもたくさん話したんでしょ?」

「わざわざ二人きりにしてくれたおかげで、それなりに」

 さりげなく触れてやった。気づいていないわけがない。もっとも嫌味のつもりはない。美里は天を見上げて「なあんだ」とつぶやいた。

「気づいてたんだね。あっさりすぎる」

「でもおかげで、あの家のきょうだい関係がなんとなくつかめたよ。霧島さん、やはり長女なんだな、弟をそれなりに心配しているんだよな、当の弟はなんにも気づいてないみたいだけどさ」

「そう、でもね、立村くんそれよりどう思う?」

 美里の視点は上総の考えとはまた別のものらしい。話がどんどんずれていく。

「ゆいちゃん、なんかすっかり元気なくなっちゃったね。別人みたいになっちゃった。可南できっと、辛い思いしてるんだろうなって、なんか悲しくなっちゃった」

 ──え?

 女子から見るとそんなふうにみえてしまうのだろうか。控えめに感想を述べた。

「確かに青大附中にいた頃と比較すると、おとなしくなったよなって気はするな。更科も今の霧島さん見たら目を何度もこすって幻かって思うんじゃないかな」

「更科くんだけじゃないよ、天羽くんも、元C組のみんなも」

 なぜか難波の名前は出さなかった。

「あの、なんにもしゃべらない、おしとやかゆいちゃんが本来のゆいちゃんだなんて誰も思わないよ。きっと、みんなに馬鹿にされているあの学校で自分を押し込めてるんだよね。私も元気出してもらいたくっていろいろ話しかけたけど、だめだった。ずっと落ち込んだまんまだった。悲しいよね。一番輝いてたゆいちゃんがどっか行っちゃったって」

「輝いてた?」

 繰り返すと美里は何度も頷いた。心底、という意味らしい。

「もし、今のゆいちゃんが外部入学で青大附高に入ってきて、私、中学時代と同じ感覚でゆいちゃんと友だちになれたかなって疑問に思ってるんだ。きっと無理だったなって。ゆいちゃんの男子に負けずなんでも強気でぐいぐいいくところ、私、すっごく素敵だと思ってたもの。あんなお上品に、可愛らしい話し方するゆいちゃんはやっぱり自分を出してないんだって思うの」

 

 美里のいじらしく言い募る姿に、上総は何を伝えればいいのかわからなかった。伝えるべきかどうかも判断がつかなかった。

 ──霧島さんは、青大附中に自分の居場所がなかったと言ってたんだけどな。

 やはりこの言葉は、誰にも伝えてはならない秘密なのだと改めて自覚した。

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