その十 あねおとうと(5)
何度か女子たちの歌声に合わせて弾いていくと、どのあたりで呼吸をおけばいいのか、だいたいどのくらいのテンポで進めればちょうどいいのかが少しずつ飲み込めてくる。
「このくらいでいいよ。助かった、ありがとう」
「私もひっさびさにこんなに大きい声で歌ったなあ。あーあ楽しかった!」
「ほんとね」
「もう、こんな豪華メンバーでの合唱コンサート誰も聴いてないんだもんねえ。もったいないったらないよ。さてと、喉も渇いたし水分補給するとすっか! ねえ、美里、ちょっと手伝ってもらえるかな」
「いいけど」
こずえが美里を連れてジャングルな居間を出たあと、上総と霧島さんとが残された。
ソファーの真ん中に腰掛け、手を丁寧に膝の上で重ねている。
「立村くん、今のうちにいい?」
「いいけど、あいつのことか」
尋ね返した。同時にこずえと美里の行動のわけが飲み込めた。あえて黙ったまま話を聞く。霧島さんは真面目な顔で上総をじっと見た。同級生っぽさのない、大人びた眼差しだった。色っぽさなどない。ただただきっちりとしている。
「そう。真のこと、面倒見てくれて本当に感謝しているの。この前電話でも話したけど、私の母も」
「たいしたことしてないけど、助けに少しでもなっているんだったらそれは嬉しい」
「たぶん、弟は私のことを獣のうおうに馬鹿にしているでしょうけど、そのことはわかりきっていることだししょうがないと思っているの。私も青大附中にいた頃はあいつのことをとことん憎んでいたし、今でも好きになったわけではないし。でも、ある程度距離を置けたせいか、家族のひとりとしては見方が変わったわ」
──一番変わったのは、霧島さん、あなただと思うんですが。
喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。かつてのアマゾネスがなぜこうもおしとやかな女子に変貌してしまったのだろう。いわば「見た目に釣り合う所作」とでも言えばいいのだろうか。もともと天使の容貌を持っていた霧島さんが男子たちに張り合ってぎゃあぎゃあ戦っていた姿を見ていた上総としては、その格差に気持ちがついていけていない。
──難波はこの姿を見てるんだろうか。
毎日霧島さんの家の前を通ったり時には通って様子を見たりとかしているらしいが、詳しいことは聞いていない。知らないことはないだろう。むしろその変貌の様を野郎仲間に報告しようとしなかったのがすべてを物語っているとも言う。
「でもなぜ、あんなに立村くんに懐いたのかしら」
「わからない。なんでだろうな」
──まさかエロ本で向こうが鼻血吹いてて焦っていたところを助けたなんてこと言えるかよ。
あえてごまかした。やはり言っていいことと悪いことがある。
「真くんは、俺のことをなんか話していたのかな。たぶんろくでもない話だと思うけど」
「言ってないわ。真はあまり友だちのことを話したりしないし、もともと同じ年頃の友だちがものすごく少ないの。ああいうふうに人を見下したような話し方するから、嫌われていくのも無理はないわよ」
「確かにな」
家族も霧島真の性格について、野放しにしていたわけではなかったということか。
「立村くんに真があんなに懐いていることを知ったのは、学校の先生たちからの報告のようね。両親共々仰天してたわ、真に同年代の友だちがいると聞いたことと、相手がなぜか立村くんだったことと。私も驚いたわよ。だって、立村くんのことを真は評議委員時代あれだけ攻撃してたじゃない。それがなんでって」
「なんでだろう。俺もよくわからない。気がつけば話をしてたってそれだけだけど」
霧島さんはまっすぐ、身じろぎせずに淡々と語り続けた。
「それも接点なんて、ないじゃない。真は中学二年だし、立村くんは高校一年だし。校舎も離れているし、特段委員会にも入ってないんでしょう。美里がら聞いたけど」
「なんでかわからない。向こうとしては評議委員会に関しての情報が欲しかったのかもしれないとか思ったけどそのくらいだな。実際委員会の話なんてすることあまりないしさ」
「そう。不思議ね。でも、どちらにしても立村くんのうちに遊びに行きたがったり、連日夏休み中、男のくせに長電話したがったりとあいつの変わり方はすごかったのよ。だから、見たでしょ。立村くんの家に遊びに行った時、母と相談してお土産持たせたの」
思い出した。なぜかスパゲティー調理するためのセットをひとまとめ。普通、男友だちの家に手土産にするようなものではない。結局それらは上総がほぼひとりで調理して霧島に食わせたのだ。その間、霧島は皿を運んだりするだけでほとんど役たたずだった。
「あの時は全部料理したよ。たぶんあいつ全然家で料理なんてしたことないだろうなとは思ったけどさ」
「当たり前じゃない。料理できるなんて私の知っている限り立村くんだけじゃない」
確か、この前の電話では美里から聞いたとも話していた。ある程度女子として知っていることも多いのだろう。あえてごまかした。
「言われてみるとそうか。でもそれで思い出したんだけど、聞いていいかな」
「どうぞ」
「本当に真くんは、友だちってそんなにいないのかな。いくらなんでも、ゼロってことはないだろ」
霧島さんの答えはあっさりしていた。
「ここに住む前に、祖母の家で暮らしていたのだけどその頃はそれなりにいたみたいね。連絡とっているところなんて見たことないけど。でも、青潟に戻ってきてからは全部縁が切れているようよ。私も、真が家に友だちを連れてきたところなんて見たことないもの」
「生徒会に入っててもか?」
「立村くん、委員会と生徒会とは感覚が違うのよ」
きっぱりと言い切った。
「私たち評議委員同士はいろいろあったけれども、それなりに濃密なつながりがあったと思う。喧嘩もしたし嫌われたりもしたけれど言いたいことは言い合えたし。でも、生徒会はなんとなく雰囲気が違うようね。うまく言えないけれど、仕事という割り切りがなされているみたい。仕事の付き合いだからプライベートには持ち越さないっていう感じ」
「でも、上の先輩たちからはかなり買ってもらっているみたいだけどな。俺はともかく、天羽たちも」
口をすべらせた。霧島さんの顔がひきつるかと思ったが、全く動じた気配はなかった。
「そうね、様子見ている限りだけど更科くんもあいつのことを気にかけてくれているみたい。更科くん、相変わらずなのかな。まだ、都筑先生との関係隠してるのかな」
やはり、三年間の評議としての相棒だけあって事情は知っているらしい。当然といえば当然か。知っている限りで答えた。
「相変わらずみたいだよ。夏休み、元男子評議同士で海に行って花火で遊んだりしたけど、その時遠くから都筑先生が来てたみたいだしさ」
「下手したら法律違反で先生、首になってしまうかもしれないのに。そこんとこうまくやりなさいよって言っておいて。ほんと、更科くんにはいっぱい迷惑かけたけど、評議をやっていたおかげでいい思い出たくさんだったから」
「霧島さん?」
問いかけた。どうしても聞いておきたいことがひとつあった。
「青大附中で評議委員やっていて、正直、どうだったのかなって気になっていたんだ」
「どういうこと? 聞きたいわ」
不思議そうに霧島さんは上総の方に身を乗り出してきた。
「評議委員会で三年間過ごしていて、楽しかったのかなとか、そういうことだけど」
うまく言葉にならず上総がさらにつなげようとするのを霧島さんは遮った。
「立村くんの聞きたいことはわかるわ」
凛とした眼差しで、まっすぐに。
「私はあの学校で三年間過ごしたことを後悔してない。青大附中では少なくとも私には価値があると思えたから。能力がある人間だっと信じてこれたから。賢い友だちやなんでもできる人たちと出会えて、嬉しかった。でも、半年経った今ならわかるの」
強い言葉だった。
「私の居場所は、青大附属にはなかったの。僻みじゃなくて、本当に」
たおやかな物腰は変わらずに霧島さんは微笑んだ。




