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その一 高校一年始業式(5)

繊切の音色 その一 始業式当日(5)


 どっかり座って置物の犬のごとく離れようとしない霧島。紙コップに注がれたサイダーを差し出し、上総は両手を組んでテーブルに載せた。ひと呼吸おいた。

「お前さ、今日生徒会の用事とかないのか」

「女子のみなさまがうるさいので逃げ出してきました」

「お姫様はいないのか」

 当然、嫌味である。霧島はげんなりした顔で答えてきた。

「僕どもの相手で大変なようです。男子の出る場はありません」

 ──いろいろ面倒なんだろうな、けどさ。

 一応頭を下げてこくこくサイダーを飲み干す霧島、その顔を覗き込みつつ上総は周囲のささやきを聞き取ろうとした。大学生メインの客層ではあるが附属中・高生も多い。今日は特に始業式で委員会や部活動もまだ始まっていないところが多いと聞く。さっきもなんとなくひそひそ声を耳にしたような気がしたのだが。

 一学期のうちはそれでも霧島も人目を気にしてかなりとんがった言動をやらかしていたようだが、今はまだ夏休みの緩んだ気分がそのまま来ているらしい。

「時に、立村先輩」

「なんだよ」

「せっかくの逢瀬を邪魔してしまいまして申し訳ありません」

「分かっているなら何も言うな。それでいったい今度何の報告だよ」

 隠す気もない。杉本が立ち去った後の何一つのこっていない席を見やる。

「先日お話した通りですが、本日、我がクラスの新担任が正式に決定いたしました」

「やはりか?」

 夏休みに上総の家で話していた、担任交代の件だろう。

「そうです。やはり狩野先生でした。クラス内はただいま、ざわめいています」

「そりゃそうだろうな。予告のようなものは全くなかったのか?」

「僕は生徒会ルートでいろいろと耳にしておりましたが、他の連中はほとんど初耳だったようです。男子の意見としては、それほどうるさくないだろうし好き勝手できると甘く見積もったものばかりでした」

「そう見えるだろうしな」

 狩野先生の一見物静かな言動は、実際じっくり話してみてもほとんど印象が変わらない。ただ狩野先生に、担任持ってもらったわけでもないのに世話をかけ続けてきた上総としては、ただならぬものを感じているのも確かだ。中学卒業してからも、わざわざ上総と相性の合いそうなタイプの先生を見繕って紹介してくれたりといろいろ面倒を見てくれる。そのような細やかな対応が、霧島を始めとする生徒たちにも行われるのだろうか。

 ──けど苦労するだろうな、こいつにはきっと。

 なんとなく予告編を夏休みに見せ付けられたような気がしていた。


「それはともかくとして、先輩なんですかこれは」

 杉本梨南のお許しも出たとあって、霧島は次にさっさとアルバムの函を取り出し、一冊一冊丁寧にめくっていた。しょうがない、止めたくても大元の杉本に言われたことなのだからあきらめざるを得ない。先輩としての威厳なんて全くなし。

「杉本たちがこしらえた、漫画風の参考書。写真だから見づらいかもしれないけど、目を凝らせば文章もじっくり読むことできるよ。読めばいいさ」

「ご遠慮なく」

 ふんふんと軽蔑しきった眼差しで斜め読みする霧島、上総を見上げ、

「こんな無駄な時間をなぜ費やすんでしょうね。杉本先輩もご自身の勉強があるでしょうに」

「学年トップに何言ったって無駄だってさ」

「それになんですか、この『舞姫』は。この安易なストーリー設定はふざけすぎてます」

「言いたいことは分かるけど、目的が違うんだ。杉本たちはある生徒ふたりのために、『舞姫』を分かりやすくまとめて読みやすくし、最終的には読書感想文を書くところまで持っていこうとしているんだ」

「読書感想文ですか? 物好きですね。相手は女子ですか」

「そうだよ、女子だった」

 桜田の友だちというりんりん、あっこを思い出す。顔の造形記憶残念ながらなし。

 さっぱりわからないといった風に霧島はアルバムを一通り読みきり、函に五冊しまいこんで上総に渡した。

「これだけ無駄なプリント代を使用して何をしたいのか、僕にはさっぱり理解できません」

「理解してもらいたいと、杉本も思ってないから、いいんじゃないのか」

 最初からそこのところは上総もわかりきっていた。もともと霧島の想い人がかの佐賀はるみ生徒会長であるところから、杉本にとっての敵であることは決定していた。杉本の目からみたら上総が霧島と仲良くじゃれているということイコール、自分の敵として認定されている可能性もある。霧島のやりたい放題ぶりを目にするたび、卒業まで杉本にばれないよう振舞うなんてことは無理とあきらめ、いつかは来る暴露の時を覚悟していたのだがこんなに早いとは考えていなかった。

 ──さあさ、どうすればいいんだろうな。ご機嫌どうやって取るかがこれからの問題だよな。

 ため息吐きたくなるのが本音だが、ばれてしまった以上しょうがない。

 今は目の前の霧島が、何かをしゃべりたくてうずうずしているのを促すのみだ。

 信じられないことだが、上総の敵陣地にいる連中に心酔しているこいつが、現段階で上総の弟分であることもまた事実なのだから。


「実は、昨日新しい情報が入りましたのでお伝えしようかと」

 きょろきょろ周囲を見渡した後、霧島はつんと澄ました顔で上総に話しかけてきた。

 霧島の「情報」とは決して侮れないルートのものなので上総も耳を傾けざるを得ない。この夏休み中いやというほど思い知らされたことのひとつでもある。

「俺に昨日電話掛けてきた後にまた、新しいネタが入ったのか?」

「その通りです。僕が立村先輩と話し終わった後、すぐに母の元へ電話がかかってきたのです。本当に偶然過ぎますが」

 含みを持たせるような言い方で霧島は上総を射た。

「それと俺とが関係あるのか」

「あります。どなただと思いますか?」 

 上総は答えず、頷いて答えを促した。

「杉本先輩のお母さまです」

「杉本の?」

 もう十分過ぎるほどばれているのだろう。自分の杉本に対する関心度の高さが夏の温度計と同じくらい目盛りが上がっていることを。もう隠す気もなくなった今、上総は黙って促すしかない。

「先輩、お聞きになりたいのではないでしょうか?」

「だったらどうする」

「それなら、もう少しお付き合いいただけますか」

「わかったよ、何か飲み物買ってこようか」

「今度は珈琲が欲しいです」

 ──人の弱みにつけこみやがって……!

 

 リクエスト通り珈琲は用意した。しかし、

「何もホット珈琲とは言いませんでしたが」

「黙れ、俺は冷たいものばかりで身体冷やすの嫌なんだ。健康にもよくないし」

 恨めしそうに湯気の立つ珈琲を見下ろし、霧島はつぶやいた。

「珈琲だって健康によくないと母が話しておりましたが」

「家ではなかなか飲めないんだろ。ありがたくいただいてくれないかな。それで続きは」

 上総にせかされつつ、霧島は仕方なさげに口を開いた。

「母の会話は僕の部屋に筒抜けでした。襖を閉めておりましたのでたぶん気軽に話していたのでしょう。母曰く、近いうちに杉本先輩のお母上と直接ランチをご一緒する予定のようです」

「それが珍しいのか?」

 自分でそう言ってみたけれども、確かに霧島の言う通り想像が少しつかない。一度だけ杉本の母という人に会ったことがあるが、今にも倒れそうな細く病弱そうな人だった印象だけが残っていた。杉本のような独特の感性の持ち主を育てたのだから、只者ではないだろう。もっとも近年の出来事により、精神的にぼろぼろになりつつあり、娘にもかなりきつく当たっているとも聞いている。噂では、

「泣きながら娘のために近所を土下座して周り、塩をまかれたというあのお方らしいですが」

「どうしてお前知ってるの」

「姉の言葉です」

 もっともだ。杉本と霧島の姉とは良好な関係だ。もしかしたらそのつながりで母親同士も仲良くなったのだろうか。

「詳しいことは僕も把握できておりませんが、杉本先輩の将来に関して僕の母はかなり親身になり相談に乗っているようです。あの、進学先の話や殿池先生のことも」

「そうか、そういうことか」

「姉の愚かな振る舞いにより苦しんだ経験が、おそらく杉本先輩のお母上にも役立つのではとうちの母も考えたのではないでしょうか。青大附中を出るという道についても、姉と杉本先輩とのつながりは共通点があります。成績は別として、ですが」

 霧島は意味ありげに微笑み、やっと熱い珈琲に口をつけた。

「もしや、先ほど杉本先輩とお話なさっていらしたのは、例の件に関するご報告ですか」

「例の件がなんなのか、たくさんありすぎてわからないけどさ」

 上総は知らん存ぜぬを通すことにした。本当に選択肢が多すぎてわからないのだから仕方ない。



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