その十 あねおとうと(3)
繊切の音色 その十 あねおとうと(3)
「悪いんだけど今日はスーパーのお惣菜パーティーね」
こずえが用意してきたのは食パンとバターとハム、そしてポテトサラダ。飲み物はオレンジジュースと烏龍茶のそれぞれ紙パック。
「そういえば弟くん大丈夫?」
ちらっと聞いたこずえの弟の事情について、先に美里が尋ねる。
「いやねえ、学校で季節の変わり目のせいかやたらと風邪が流行ってるみたいなのよねえ」
「インフルエンザにしてはまだ早いよね」
「なんだかわからないけど、結構流行しやすいらしくって、今のところうちのママンがひたすら看病、ご機嫌取り。全くおぼっちゃまはめんどくさいったらないわよね」
そこで上総を横目で見る。
「何か言いたいことあるのかよ」
「別に。ただね、やっぱり弟を面倒見るのって大変よねえ」
今度は霧島さんに話を振る。霧島さんもひとつ、頷いた。
「最近それは思うわ」
「最近?」
思わず上総も問いかけてしまう。霧島さんは続けた。
「うちの場合もともと仲があまりよくないからあまりあいつのことを考えたことなかったの。でも、家の事情とかいろいろあるし、そうなるとやはり思うところはあるかもしれない」
──家の事情か。確かにな。
霧島弟の口からここ数カ月しつこく説明されているさまざまな家庭事情が影響しているのだろう。想像はつく。ただ姉である霧島さんからするともっと言いたいこともあるだろう。あとで少し探りをいれてみようとは思っている。パンをひと切れ手に取り、バターを塗ってハムを挟む。本当はこの程度のもてなしが一番気楽でいい。ただ、ポテトサラダの味付けが妙に濃すぎるような気がした。
「ゆいちゃんも大変だよねえ。あ、そうだ、ゆいちゃんは今、学校で部活かなんか入ってる?」
「入ってない。興味ないし」
「じゃあ委員会は」
「入るわけないじゃない」
ここまでの会話を霧島さんは憤ることなくたんたんと交わしている。それが上総にとっては信じがたいことでもある。今までのパターンでいけば、霧島さんはこずえを相手に、
「当たり前じゃない! あんな頭の悪い学校で何部活入れっていうのよ! 私だって青大附中卒業生としての誇りがあるんだから!」
くらい言い放ちそうなイメージがあった。成績が悪かったという現実はまずおいといても、青大附中にかつて在籍していたことは事実。卒業までした。私立可南女子高校……弟曰く「女子刑務所」……とか馬鹿にされている悔しさだってもちろんあるだろう。
「でもどこの弟もおんなじね。お母さん大好き。お母さんに甘えたいのよ。だから何かあるとはい水、はいりんご、はい枕ぬるくなったから替えて、とまあその連呼」
「わかるわかる」
穏やかに微笑む霧島さんにかつての「C組の美少女アマゾネス」の面影は完全に消えていた。
しばらく食べ続け、霧島さんの近況を美里とこずえのふたり中心に聞き出しているのをなんともなく聞いていた。もともと上総は霧島さんと特別仲が良かったわけでも悪かったわけでもない。単なる評議委員としての付き合いでありそれ以上ではない。本当だったらさっさと理由つけてここから席を外したほうがいいのかもしれないとも思う。
──けど、霧島さんも俺に霧島のことで話があるとか言ってたしな。
たぶん霧島弟が現在の状況を知ったら激高して何しでかすかわからない。かなりのマザコンであることは本人も自覚しているようだし、上総もそれに対して何か言うことはない。ただ、霧島さんが姉として何か思うことがあるのなら、秘密厳守の上で確認したほうがよさそうだ。タイミングを待った。
「でさでさ、可南では新しい友だちできた?」
「ひとりだけいるわ」
美里も興味深げに話を持っていく。
「どんな子なの? 私たちが知ってる子でいうとどういうタイプなの?」
「真面目な子」
ぶつ切りで霧島さんは答える。愛想がないわけではないのだが、言葉を選んでいるような雰囲気がある。
「頭良いのかな」
「いいと思うわ。今の段階で学級委員任されてるし」
「学級委員なんだね」
評議委員ではない、そのあたりの微妙な違いを感じ取る。
「素直でやさしくて、ちっともいばらない。クラスのいろんなタイプの子から好かれている、かつての私と正反対のタイプ」
少し伏せ目になった霧島さんをこずえが慰める。
「なーに言ってるの! ゆいちゃん嫌いな奴いるわけないじゃん!」
「ありがとう」
言い返さずに霧島さんはお礼を言った。ささいな言動が上総にとっては驚きの連続と、さすがにそこまで言えはしない。
「でも、彼女を見ているとなぜ私がC組のみんなから評価されなかったのかがわかる。なんであの頃に、もっと早く気づかなかったんだろうかって思うことがあるの」
「ゆいちゃん嫌われてないってば! でなかったらみんなあんなに卒業式で泣かなかったじゃない!」
美里も力強く拳握りしめて訴える。それでも霧島さんは首を振って続ける。
「私があんな人間でなければ、青大附属から退学させられないですんだのよ」
「退学じゃないんだってば! ゆいちゃんちゃんと卒業したじゃない!」
一生懸命訴える美里の言葉を、無理に言い返さず霧島さんは一言、
「そうね、美里の言う通りよ」
とだけ返した。
場が湿気ってしまったのもなんなのでということで、こずえが食べ終わった皿やフォークを一通り片付けに行った。残された上総と美里、そして霧島さんは手元のウーロン茶をグラスに注ぎ合った。間を持たせるのがこずえ抜きではなかなか難しい。美里も何度か霧島さんに話しかけているのだが、どうも噛み合わない。かつてのエネルギッシュな霧島さんをイメージして話しかけても、やんわりと交わされてしまう。手応えのなさに美里も戸惑っている様子だった。
「でも、こずえちゃんから聞いたけど、立村くん今度合唱コンクールの伴奏するの?」
同じく穏やかに霧島さんは上総に問いかけてきた。
「そうなんだ。事情は全部聞いているかもしれないけれど、そういうことになったんだよな」
「クラスに疋田さんいるのに?」
かつてはC組伴奏担当だった疋田さんの名を出した。
「ピアノの世界は難しいことが多いらしいし」
「でも、誰か説得しようとしなかったの? 私がもしいたら、たぶんちゃんと話をしてたのに。でも宇津木野さんと同じクラスだものね、いろいろランク付けされてしまうのが嫌だったのかしら」
「たぶんそうだと思う。でもあのふたりの演奏聴かされると、自信なくすよ。今日も古川さんにそのテープ聞かせてもらおうと思うんだけど、すごいよ、とにかく」
霧島さんは少し考え込むように手のひらを見つめた。
「ピアノ習っていない立村くんが担当するということは、私レベルの弾き手でもよかったということになるのかも」
「そうよ! だからゆいちゃんが居てくれたらって!」
上総は美里を目で制した。逆効果だ。幸い霧島さんは気づかぬように話し続けた。
「私が知っている限りなんだけど、疋田さんはいつも宇津木野さんと同じコンクールに別の先生のところから参加していて、上位争いしていたと聞いたことあったの。だからライバル意識持っていて、それであえて牽制したなんてことは」
「俺もそれ思ったけど、なんかあの二人仲がいいみたいだよ」
直接思ったことを告げた。合唱コンクールに振り回されはじめてから観察してきたことをそのまま素直に。
「なんか、ふたりで最近は一緒に行動しているようだし、ピアノを演奏する時も疋田さんがいろいろと宇津木野さんを立てたり面倒みたりしているような感じがする。面倒見いい性格なんだろうな。古川さんもふたりがそれほど仲良しという感じはしないとか言ってたけど、俺の目からしたら十分友だちだよ」
「そう、とすると」
霧島さんがゆっくりとひとつの憶測を述べた。
「あのふたり、友だちになりたかっただけなのかもしれないわね。ライバルじゃなくて、仲良しになりたかったから、上下関係が出来上がってしまいそうな合唱コンクールの担当なんてしたくなかったのかも。私の想像よ」




