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その十 あねおとうと(2)

「遅かったね。また何か呼び出しされたの?」

 美里が駆け出して迎えてくれた。羽飛も一緒かと思ったのだがいなかった。

「いや、ごめん。けど羽飛は今日は?」

「貴史ねえ、今日はお昼食べてから合唱コンクールの特訓なんだって」

 予想通りの言葉だった。美里はどうでもいいというふうにつぶやく。

「C組本気でやってるからね。特に難波くんが燃えてるんだって。それに女子たちもこの前、ほら、瀬尾さんのことがあったじゃなあい? あれがきっかけでクラス一丸になっちゃったんだって」

 すでに美里にも関崎のコンサートに関する情報は上がってきているようだった。いや知らないわけがないとも思っていたのだが。かばんに入っているカセットテープがかたかた返事しているかのようだ。

「瀬尾さんにはもう感謝しつくせないな。あのテープがなかったらえらいことになってた」

「そっか、立村くんにとっては練習用テープなんだもんね。そうかそっか」

 気持ちを切り替えるような表情を見せ、美里は上総のとなりに並んだ。

「じゃあ行こっか。きっとこずえ待ちかねてるよ。それと、今日は私、お母さんからチョコクッキー焼いてもらってきたから、お土産は気にしないでいいよ」

「俺もうちから、紅茶の缶持ってきたから、一緒に渡そうか」

 やはり手土産は欠かせない。笑い合い、マンションの入口に向かった。


 すぐにエレベータで昇り、すぐ降りた。

「清坂氏はB組の練習とかはあまり参加しないのか」

「してるよ。でも今日はこっち優先したの」

「それまずくないか。B組だって真剣にやってるって話噂で聞いてるし」

「そうね、そうかもしれない。来週からは参加する。けど今日は立村くん優先でいく」

 あっさり交わし、玄関の呼び鈴を押した。

「ごめーん、遅くなっちゃって。立村くんもいるよ」

 ──ちょっと待ってて。

 こずえの声が聞こえると同時にドアノブがかちゃかちゃ鳴り、すぐに開いた。

「お待たせ。それにしてもまた羽飛欠席?」

「しょうがないよ。あのC組だもん」

 いかにも大げさながっかりポーズを見せる私服のこずえに、上総も言い返す。

「悪かったよ。俺も次回はちゃんと連れてくるよう説得するから」

「あんたにそんなこと期待してないってば。まあとにかく、今日は盛り上がるよ。期待しててよ」

 テンションが高いこずえの姿は決して珍しいわけではないのだが、今日はやたらとふんわりしたスカートはいているし、ブラウスもこれまた珍しくふりふりのレースもの。こういう服を着たこずえを美里は見たことあるのだろうか。小声で囁いた。

「古川さん、ああいう服着るの見たことある?」

「ううん、ない。かなり、びっくり」

「だよな」

 すぐに靴を脱いだ。脇に揃えて置こうとして気づいた。黒いつややかなローファーがやはりきちんと並べられていた。ということは先客ありか。

「こずえの靴じゃないもんね。サイズ違うもん。二十一センチなんて」

 美里も断言した。こずえには気づかれぬよう部屋に続いた。

「さあ、どうぞどうぞお入りなさいましな、それと今、母さんうちの弟の部屋で看病の真っ最中。移すとまずいからご挨拶出れなくてごめんねってメッセージあり」

 こずえは早口に伝えた後、居間ジャングルの扉を開けた。

「お待たせ! さあお二人ともお待ちかね、さあさ」

 先に美里が入り、素っ頓狂な声を上げた。背中で中の様子が見えない。思わず覗きこもうとした瞬間上総も凍りついた。叫ぶのもわかる。

「あ、あの、これ」

「これなんて失礼じゃないのさ、さ、早く挨拶しなよ。久々でしょふたりとも」

 居間に入り、部屋一面に並んでいるゴムの木サボテン鉢その他緑にうもれた中、上総は一言、なんとか絞り出した。

「霧島さん、お久しぶり」

「ゆいちゃん、元気だった?」

 

 ソファーにはセーラー服に紺のスカーフを結んだ霧島さんが静かに微笑んでいた。髪はふわふわした天然パーマをポニーテールに結い上げている。かつて青大附中にいた頃と同じ髪型そのものではあるのだが、どことなく突き刺さってくるような棘がなくなっているような感じがした。一目でそれだけ感じ取った。

「けどゆいちゃん、今日どうしたの? もしかしてこずえ呼んでくれたの?」

 霧島さんが答える前にこずえが素早く説明した。

「半分当たりってとこ。今日、美里も来れるかどうかわからなかったじゃない。B組で練習するかもしれないからって。だから男子と一対一ってのはどうよとか思って、それだったら私の前々からの計画をこの機会にやっちゃおうってことで、ゆいちゃんをお招きしたの。立村ひとりだったらピアノの練習に没頭してもらって、私ら女子ふたりで思いっきり甘い話したいなとか思ったわけ」

「私が来ないって思ってたんだ、ひどいな、ずるい」

 ふくれそうになる美里をこずえは素早くなだめた。

「あのね、そういうわけじゃないんだってば。ったくもう、今日美里が来てくれたからラッキーも倍じゃない。ね、ゆいちゃんもそうじゃない?」

 この部屋に入って初めて、霧島さんはこっくりうなづいて笑顔で答えた。

「そうよ、こずえちゃんのおかげで美里に久々に会えたし。私も嬉しいの、それに」

 行き場をなくした上総にも、天使のごとき微笑みを分けてくれた。ありがたや。

「立村くんにも、この機会にきちんとお礼を言わなくてはならないと思ってたの。うちの弟のことを面倒みてくれてありがとうってこと、なかなかこういう機会でないと面と向かって言えないし」

 ──やはりあいつのことか!

 顔色が変わったのかもしれない。息が止まりそうになるのをこずえが助けてくれた。

「やっぱそうよねえ。ゆいちゃんの弟のこともいろいろ、これから先の相談として聞きたいと思ってたんだ。この機会、立村が居てくれるのはありがたいよね。ゆいちゃん、私たちが混じっててもまずくない話だよね、それ」

「もちろんそうよ。できれば、ふたりにも客観的に話を聞いてほしいの。その上で立村くんにも相談したいことがあるから」

 かろうじてなんとか上総が口にしたのは、

「俺にできることがあるとは、正直思えないけど、役に立つならそれなりのことはするよ。ただ、相手もいることだしさ」

「わかってるわ。そのこともわかっているから、今日、ここに来たの」


 見たことのない霧島さん、といった雰囲気だった。今まで上総の知る霧島ゆいとは「青大附中の美少女アマゾネス」であり「天使の微笑と同時のからっぽ脳みそ」とか外見と学業成績の低さ、もしくは桁外れの気の強さとがセットで語られる存在だった。評議委員で三年間一緒に活動してきたこともあり彼女の性格にはかなり振り回されてきたところもある。一番の被害者は三年間コンビを組んできた更科かと思われるがあいつも、

「キリコは単純だよ、ちゃんと自分を認めてほしいってこと訴えてるからそれをすれば素直に言うこと聞いてくれるし、扱う分にはすっごく楽だよ」

 とか手のひらで結構かるがる転がしていたところがある。

 評議委員としてのクラス内での仕事ぶりは認められていたがいかんせん、あまりにも青大附中の生徒として認められないレベルの成績が災いし、青潟市内の私立高校に推薦入学という形で去った。しかし、それからまだ、半年しか経っていない。

 ──たった半年で、こうも変わるのか?

 まじまじと改めて霧島さんの顔を眺めやる。弟によく似た顔立ち、それが変わるわけはない。制服、もちろん違う。しかし、口調といい今まで上総の知る、男子たちへの強い競争意識のようなものがするりと抜けているような気がしてならない。かつての霧島さんなら上総を一目見るなり自分の方から、なにかかしら辛辣な言葉を投げてきたんじゃないだろうか。それが、こずえが促すまでずっと静かに微笑むだけ。かつて、

 ──霧島さんはこうやって静かに壁の花としてにっこり笑っていて、見つめているだけで十分価値のある人なのにな。

 と密かに思った上総の本心をそのままなぞっているがごとくだった。

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