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その九 レコーディング(4)

 しばらく再開のタイミングをうかがっていたがどうも関崎はじめ演奏者ふたり燃え尽きたような顔をしている。恐る恐るこずえを捕まえて、

「もう一度、やってもらいたいんだけどだめかな」

 ささやいてみたが、肩を竦められた。

「立村あきらめな。無理だよ、なんなのあの、三人の達成感ある顔、見なよ。最高の一発って感じじゃん。二発め、三発めったってそりゃ無理よ」

「やはりそうだよな」

 聴いている途中で正直あきらめてはいた。やはりあとでこずえに頼んでテープをダビングしてもらうしかあるまい。その時は自分のカセットテープを持ち込んでケーブルでつなぐ必要がありそうだ。


「おい、忘れてた、立村」

 ふと関崎が思い出したかのように上総を呼んだ。同時に他の生徒たち、および先生たちもこちらを向いた。

「何か」

「お前に頼まれてたこと忘れてた、悪い。これからもう一度歌わないとまずいだろう」

 真顔で言う関崎に、また周りの観衆がざわめき出す。期待が感じられそうな雰囲気ではある。本人はやる気満々なんだろう。しかしふたりのピアニストたちが戸惑ったように顔を見合わせている。

「なんでそれやんなきゃいけないの」

 問いかけたのは静内だった。さっきまで楽しげに関崎へ声をかけていろいろ語らっていたのだが、さすがに思いがけない展開だったのだろう。不審そうに尋ねる。

「ああ、さっき、立村に自分の練習用にもう一本テープを録音してほしいと頼まれていたんだ。それで一本目は保存して、二本目は入れ替えてと、そういうつもりだったんだ。立村もさっきテープ入れ替えてただろ?」

 目ざとい。が、なんとなく側でじとりと見つめる静内の眼差しにびくりとしてしまう。

「いや、いいよ。あとで古川さんにテープダビングさせてもらうし。それに関崎も疲れているだろうしさ」

 上総も笑顔を作って首を振り答えることにする。隣りで静内も同じことを言う。

「こういったらなんだけど、関崎、あんた調子にのって喉壊したらどうするの。少し養生しなよ。無理することないじゃないの」

「だが約束したからな」

「約束なんて、あんな」

 言葉を切り、ちらと上総に目線を向ける。明らかに苦手意識が満杯の眼差しに思わずひく。いつもこの人にすれ違うたび思うのだが、あまり特長がないというか、見てすぐ忘れそうなタイプの顔立ちをしている。くせのない、といえば褒め言葉なのかもしれないが、美人不美人という切り分けとは全く別の意味で、存在感が薄い。かといって発するさばさばした言葉遣いや美里を絡めたいろいろな出来事なども加味すると、比較的クールなタイプの女子なのだろうと想像はしている。

「自分を大切にしなってことよ。ね、そう思うよね」

 さっとA組の女子たちに向けて放つ言葉。それにみな悔しいほど素直に頷く。A組だけではなく、ご相伴したC組、その他の人々も。

「そうだよねえ、結局立村くんのためだけって冗談じゃないよねえ。ふたりとも一生懸命この時のために全力投球したんだから」

 ふたり、とは宇津木野さんと疋田さんのことだとわかる。

「義理、ないわよねえ」

 麻生先生も間を取り持つ形で上総を含めて声をかけてくる。

「まああれだ、今日はこのあと別のクラスが稽古控えているんだし、今日はさっさと引き上げないか。練習するなら教室でやればいいだろう。テープについてもまああれだ。こういっちゃなんだが立村にここまでの技量は誰も求めてないだろう。お前は自分のできるところまでやればいい。それは関崎も同様で、新たなチャレンジの指揮者準備に時間を費やしたほうがいいんじゃないかな」

「ですが、やはり約束は」

 さらに言い募る関崎を頼もしげに見つめる藤沖が、肩をまた抱くようにする。

「いいじゃないか。また続きは教室でやろうじゃないか」

 なんとなくそれで流れが決しそうになったその時、前にひとり、するすると出てくる女子がいる。見覚えはある。いや先週の焼き直しかもしれない。

 小柄な女子が関崎の前に立った。

 あの時と同じだった。

 野々村先生もじっと彼女を見つめて凍り付いていた。

 瀬尾さんが、無表情なまま関崎に語りかけた。


「伴奏が大変なら私が代わりに弾いてもいい?」

「え、あ、あの?」

 全く接点のない女子に話しかけられることに、関崎はまだなれていないらしい。すっかりどもってしまっている。

「私もちょっとなら初見演奏できるし、楽譜見ればある程度のところまではいけるから」

 少し上総と離れたところで天羽が合いの手を入れる。

「瀬尾ちゃーん、どうした、ピアノの練習で勝負かよ。まだまだ勝負の時は早いぞ」

 全く相手にせず、瀬尾さんはすぐに宇津木野さんと疋田さんから楽譜を受け取った。ひったくったと言ったほうがいい。ふたりもすっかり瀬尾さんの勢いに飲まれてしまったようで言葉もない。

「ピアノを一曲弾くとなると体力を消耗するのは私もわかる。だったら代わりに私が弾いてもいいよね。目的は録音するだけなんでしょう。同じ曲ならそれでいい?」

 みな、ぽかんと口を半ば開いた状態だった。野々村先生が遠慮がちに割り込んだ。

「瀬尾さん、あの、先週はごめんなさい」

「先生には関係ありません」

 ぴしゃりと跳ね除け、瀬尾さんは唇をかみ締めたままグランドピアノの前に座り、高さを調節した。ペダルに足を乗せ、静かに、

「マイクの準備をお願いします」

 関崎に頼んでいた。

「なら俺も歌って、いいのか」

「もちろん!」

 ここで初めて瀬尾さんはにっこりと微笑んだ。


 話の転がり方にしばらくついていけなくなった男子連中、女子の一群から少し離れたところで、野々村先生はじっと瀬尾さんの弾き始める姿を見守っていた。A組女子たちがひそひそ話をしながらそれでも関崎の歌が始まるころには黙りながら見つめている。一方お膝元C組では「瀬尾ちゃんさっすが!」「プロだぜやっぱし!」「我がクラスの最終兵器だわな」などと天羽」・難波・更科中心にささやき声が膨らんでいる。たぶん録音されているんじゃないだろうか。

 関崎の歌声は、他の連中が心配することもなくいっそう伸びを増した。もしかしたら一回目はリハーサルだったのではないかと思わせるほどだった。そのくせ、顔には陶酔感がなくただひたすら生真面目に口を動かしている。

 ──うちの学校に合唱部とか歌を歌う感じの部活ってなかったかな。

 なんだか関崎が進むべき道は、生徒会でも委員会でもなくて、そっちのほうなんではないかと思わずにはいられなかった。

 「恋はみずいろ」と「モルダウの流れ」二曲が終わり初めて気がついた。


 ──しまった、伴奏全然聴いてなかった。せっかく弾いてくれたのに。

 関崎の歌だけに頭がすべて集中してしまい、伴奏のよしあしを全く感じる間がなく終わってしまっていた。明らかに上総よりはうまいことだけは把握したが、宇津木野さんや疋田さんのような曲の盛り上がりというのも、旋律の美しさという押し出しもなぜか全く感じなかった。いつのまにか、さらりと終わっていた。拍手にそれすら溶け込んでしまっている。笑顔いっぱいで一礼し、肥後先生からお褒めの言葉をいただき、C組男女それぞれから勝利の雄たけびで迎えられている瀬尾さんがどういう個性を持って曲を弾きこなしたのか、上総には気づくことができなかった。

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