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その九 レコーディング(3)

 音楽室の入り口が開け放たれている。三階の階段を昇り立ち止まると声をかけてきた奴がいる。

「立村、ギャラリーすごいことになってるぞ」

 難波だった。かばんを引っさげてめがねを押し上げている。

「そんなにすごい噂になっていたのか?」

 答えて音楽室の中を覗きこむ。すでにA組の女子たちが集まっていて、グランドピアノを占拠しつつ、宇津木野さんと疋田さんを囲みわいわいやっている。それだけならわかるが、なぜC組の女子たちも、またなぜかそれ以外の男女も混じってうろついているのだろうか。A組男子たちもちらほらいることはいるがすべてではない。

「天羽と更科もそろそろ顔を出すはずだ」

「なんで?」

 繰り返し尋ねる。上総の頭の中において、今回のイベントは単なる合唱コンクール用のお手本録音に過ぎない。関崎に男子の音取りをしてもらい、ピアノはまさにプロなみ……と上総には感じられた……の腕前であるふたりの演奏をカセットテープに収め、来週以降の集中練習に活用するためのものだ。合唱の場合、どうしても女子の声に引っ張られてしまいがちというところがある。そのために男子のパートをしっかり歌ってもらい、それに合わせて練習するのは効果的だと思う。

 ──少なくとも、コンサートじゃないだろう。

「偵察は欠かせないからな。また現場での確認が何よりも大切だ」

 難波はまたわけのわからないことを言う。

「でもC組は今日も練習だろう?」

「もちろんだ、ほらほらおいでなさった」

 階段を見下ろすと天羽と更科のふたりがふうふう言いながら昇ってくる。

「立村も来てたんだ」

 のんきに更科が子犬の笑顔を見せる。

「当たり前だろ。俺だってテープ用意してるんだからな。うちで練習するのに必死なんだ」

「まあ、お前があせるのもわからなくはねえが、なあ」

 天羽が軽く背中を叩いた。

「のんびり行こうぜってとこで、まあいきましょか」

 気づいた。羽飛はいなかった。


 中に入ってみるとA組女子たちの一部が責めるような眼差しで見る。気づいたのかすぐに天羽たちはC組グループに混じりこみ、けたけた笑っている。A組男子たちを探してみたが親しく話す奴はいない。しかたなくC組男子グループに割り込んでみる。

「そろそろ真打は」

「遅いな」

 関崎がまだ来ない。ついでに古川こずえもいない。

「たぶん古川さんと打ち合わせしてるんじゃないかな。あと藤沖あたりと」

「それはあるある」

 すでに準備が整っている巨大なラジカセにカセットテープをセットした。自分の分を優先して入れさせていただく。あとでこずえが入れ替えるだろう。いじくっているうちに、一瞬空気が静まるのを感じる。戸口を眺めやる。なんと麻生先生他数人、教師陣の登場ときた。しかもその中には野々村先生までいる。その後ろには静々と関崎、古川、そしてタイミングを少しずらす感じで静内菜種が姿を現した。

 ──静内さん、か。

 B組女子は彼女のみ。美里はいない。


「それではただいま会議を一時休止して、一年英語科が送るハプニングミニコンサートと行くわけだが、まずは紹介だな」

 ずいぶんかしこまった言い方をする麻生先生。苦笑している他の先生たちをよそに、脂ぎった顔をさらにてかてかにして、

「まず、我がクラスの誇るピアニスト二名、そして今回特別にソロデビューを果たす関崎。これだけお客さんに集まってもらったら燃えるだろう、な、関崎?」

「もちろんです」

 きっぱり、すごいことを関崎は言い切った。やはり茶々を入れるのはこずえだ。

「公開本番だもんねえ、そりゃ燃えるよねえ」

「こら、古川お前も女の子なんだから」

 叱る麻生先生、笑う先生たち、ひとりだけむっとした顔をしている野々村先生。妙なコントラストだった。ちらと上総を見て、野々村先生はすぐに目を逸らした。

 ピアニストふたりが関崎を挟むようにして並び、生真面目に礼をした。音楽準備室からは肥後先生が現れ、わざわざマイクとコードを用意してラジカセにつなぎ、足元に置いた。

「迫力があるほういいからね」

 なんなのだろう、この盛り上がり方は。やはり何かが違う。

「では、初めてくれるかな」

「はい」

 関崎はふたりのA組ピアニストに頷いてみせた。すぐに疋田さんが「恋はみずいろ」を軽やかに奏ではじめた。音色は触れたとたんふんわり風船玉が浮かぶようなイメージ。関崎と顔を合わせてこくっと合図を送る。関崎もすぐにメロディーに乗っていった。普段の関崎ではない、やわらかな響きが音楽室に満ちた。

 ──こいつ本当に、中学時代音痴だと思ってたんだよな。

 そこにいるみな、息を呑みただ聞きほれている。関心のなさそうな連中は最初から音楽室になんか来ないわけで、当然ここにいるメンバーはそれなりに音楽なり、合唱なり、伴奏なりに興味を持っている。関崎の喉から響き渡る歌声が何を描いているのかを感じ取れる者だけが揃っている。だから、ただ黙る。耳を澄ます。それだけだ。


 歌が終わる。一瞬の静寂は本物、拍手鳴りやまず。思わず頬を赤らめる疋田さんに関崎がふかぶかと礼をする。二言三言、何か言葉を交わし、すぐに宇津木野さんにバトンタッチする。なぜかふたりとも関崎の顔を見て微笑みかけている。女子たちも笑顔でふたりの交代する姿をあかず眺めている。呼吸を整え、次に流れる曲、「モルダウの流れ」を宇津木野さんと目で合図しつつ待っている。

 ゆったりと流れていく大河が目の前に広がるような深い音色。最初の疋田さんとは違う重厚な雰囲気。曲のイメージもあるだろうが、先週音楽の授業で聞き比べた限りではあきらかに宇津木野さんの方が表現力に勝っているような印象がある。上手下手というよりも軽さ重さ、の違いかもしれない。どちらにせよ、上総には手の届かない世界であることには変わりがない。

 それにあわせたのか関崎の歌声も、最初の滑らかさよりもさらに深さを求められているようだ。最初は少し戸惑ったのかもしれないがすぐに調子を捕らえ、途中宇津木野さんと頷き合いながらまた声を響かせた。カラオケボックスの雰囲気とは違う、ずっと大人の声といえばいいのだろうか。

 ──どう考えても、関崎に音痴だと思わせた中学教師は変だよな。

 上総は、見知らぬ水鳥中学の音楽教師の感覚に疑いを持ちつつ、ピアノの音をひたすら数えていた。どうしても、どちらにしても、どうやっても届かない。

 ──みんな、俺が伴奏やるってことに決めてしまって、後悔してるだろうな。


 拍手止める奴なんていなかった。

 数人腕を組んで頷く奴もいないことはなかったが、女子はほぼ百パーセントが拍手だった。気がつけばいつのまにか上級生たちの聴衆も増えている。いや、驚いたことにかの結城先輩までいる。激しく両手を打ち鳴らしているのが誰かと思ったら、案の定だった。

「関崎さっすがすげえわ」

「お前、本当に指揮者でいいのか? ソロパート作る必要ねえのか?」

「合唱にしちまったらかえってもぐっちまうし、指揮者というのもありかもしれねえけどなあ」

 A組男子連中も、藤沖が肩を抱き、側で片岡が目を輝かせて拍手し続け、同時に麻生先生が頭をかかえるようにして、

「ああ、なんだろなあ、うちのクラスにはこういう隠れた才能がばりばりあるってのになあ。これこそ合唱コンクールで出すべきだよなあ。藤沖どう思う?」

「俺も賛成です。関崎、これからはお前が我がクラスのマイスタージンガーだぞ」

「藤沖、マイスタージンガーってなんだ?」

 ──関崎、ワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」知らないのか?


 喉まで出掛かってやめた。無駄なことだ。オペラ、さらにはワーグナー好きの誰かさんを思い出したってしょうがない。上総はカセットテープを別のものに入れ替えた。自分用とクラス用を作ってもらうわけだからもう一度三人に再演してもらう必要があるわけだった。

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