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その九 レコーディング(2)

 本来は内輪の話だったはずなのだが、噂は昼休みを迎える前にすべてのクラスへ流れたらしい。上総のことはとにかく、あの関崎がということで。

「そうなのですか。面白いねそれは」

 こずえと一緒にラジカセを借りるため許可をもらいに音楽室へ立ち寄った時、肥後先生にも興味深げに言われた。

「関崎くんは今回指揮者として参加と聞いたが、自分で歌いたいと考えるとはなかなか目の付け所が違う」

「そうなんですよ先生、うちのクラスで前代未聞の外部スターですからね、あいつは」

 顔をかすかにしかめるのを上総は見てしまった。もちろんラジカセはステレオタイプのものを快く差し出してくれたのだからそれはそれでいい。ただ、先生の視線がどことなくこずえに対しての苦手意識を浮かび上がらせてくる。女子が苦手、というわけではなくこずえの持つキャラクターに、と言ったほうが近いだろうか。気づかないふりをしておいた。

「二曲彼が歌うだけならそれほど時間もかからないだろうし、せっかくの機会だからピアノ一台は押さえておくよ。ただ他クラスの人たちの都合もあるからね。終わったら席をできれば譲ってほしい。それとだ、立村くん」

 機械的にこずえへ要望を伝えた後、肥後先生は上総に語りかけた。水色のシャツに蝶ネクタイを結んでいる。あまり、学校の先生がするようなファッションではない。

「今回は宇津木野さんと疋田さんという、外から見ても優れたピアノの弾き手が演奏してくれる。こういう機会はそうそうない。録音して何度もまねすればいい。必ず得られるものがあるはずだよ」

「はい、お言葉に甘えてそうさせていただきます」

 上総も同感だった。今の段階で他クラスの伴奏者と比較して自分のレベルが低すぎることはいやというほどわかっているつもりだ。誰が上手か下手かくらいの聞き分けはつく。テープで録音してもらえれば、関崎の歌はとにかくなんとなくテンポをつかめるような気がする。

「それじゃ、六時間目終わったら来まーす!」

 元気よく飛び出していくこずえに続いて上総も音楽室を出た。途中、生協でカセットテープを一本購入し教室に戻ると、それまでずいぶんにぎやかだった女子たちがふっと黙ってそれぞれ席に着いていった。まるで、というか上総のいつものパターンというか、

 ──俺がいるといろいろ面倒なんだろうな。

 に、尽きる。


 麻生先生にも藤沖がすでに話を通しているようで、

「藤沖の発想にもたまげたが、関崎が喜んで乗ってくるのもびっくりだ」

 帰りのホームルームでけたけた笑いながら言い放った。

「できれば俺もお前らのミニコンサートを楽しみたいところなんだが残念ながら会議がある。録音してくれるというのならぜひ、後で聴かせてもらえるもんだと信じたいんだが、期待していいのか」

「先生、それ無理よ。音楽は生ものだから、足を運ばなくちゃ」

 こずえがまぜっかえす。

「それがたやすくできるようなら俺も教師なんかやってないぞ。とにかくだ、我がクラスのピアニストふたりの名演奏もぜひぜひなんらかの形でお目にかけてくれることを楽しみにしているぞ。どうせ合唱コンクールでは」

 ここまで言いかけて、すぐに気づいたのか麻生先生は話を逸らした。

「まあ早く練習するに越したことはないがな」

 一言、きっぱり告げて号令を促した。


 ──わかってるさどうせ。俺の伴奏だと期待するも無駄だってことだよな。俺も反対の立場だったらそう思う。

 当たり前すぎて腹も立たない。授業中からずっと一部の女子たちがひそひそ話に盛り上がり何名か注意されていたが、聞き耳立てた限りでは関崎の噂ばかりのようだ。具体的な内容はよくわからなかったが、すでにクラス女子たちの間で関崎の評価がうなぎのぼりだということだけはよく理解した。取り急ぎ、二人のクラスピアニストに楽譜を渡すべく立ち上がると、隣りからこずえにひったくられた。

「あのさ、なぜそういうことする?」

「悪いけど私、預かっとくよ。それと関崎、ちょっと来な」

 楽譜を取られたままぽかんとしている間に、こずえはすばやく関崎を呼び寄せた。何も考えていないような顔で、

「どうした、これから音楽室に行かないとまずいだろう」

「その前に楽譜、楽譜。あんたもおいで。あ、立村はここで待ってな。一緒に行くからさね」

 上総を取り残したまま、ふたりは教室の隅で話をしている宇津木野さんと疋田さんに声をかけた。これからの本番を迎えるにあたって、まだこのふたりは楽譜を見ていないはずだ。たしか『初見演奏』とか言っていたが、それはいくらなんでもきついだろう。

「ねえねえ、これ立村からぶんどってきたんだけど、この楽譜、今のうちに目通ししておきたいかなと思って」

「ありがとう、古川さん助かる」

 小柄な疋田さんが受け取って、せいたかのっぽの宇津木野さんに、

「ほら、曲、どうする? 今度は私が『恋はみずいろ』弾くから、『モルダウ』にする?」 

 などと打ち合わせている。全くの初見で行うわけではなく、まじまじと立ったまま楽譜を手に取り読み比べている。

「まあ立村でもなんとか弾けるようになったってことだからそれほど難しくないよね」

「うん、そうだね。早く見せてもらえたから大丈夫。それと関崎くん」

 関崎に向かい、また疋田さんが楽譜を見せつつ説明した。

「歌のタイミング、私もできるだけ合わせるつもりだけどスピードが合わなかったらあとで言ってね。何度でも弾き直すから」

「私も」

 小声で宇津木野さんもはにかみ気味の笑顔を見せる。関崎は言葉に詰まっていたが、すぐに、

「ありがとう。俺としてもカラオケ以外で歌うのはそうそうないことなんだ。生演奏というのは贅沢だが、昨日立村と組んだ時も気持ちよかった」

「生が好きなのねえ、生、が」

 淫靡な言い方をさりげなくしてこずえは茶々を入れた。

「立村のレベルじゃないからねえこの二人。ま、ふたりとも大変な時なのにわざわざ手伝ってくれて本当に感謝! ふたりが弾いたとこは録音して、あのへっぽこ伴奏者に耳たこになるくらい聞かせてしごくから安心してよ」

 ──礼儀として否定してくれないのかな。

 上総が様子を伺っていることにも気づかないのか、一Aピアニストコンビは納得した顔でこっくり頷いていた。関崎だけがちらと上総のほうを見た。


「あれ? こずえ」

 開けっ放しの教室に飛び込んできたのは美里だった。すぐ上総に気づいたのか、手を振ってきた。雰囲気がどことなくこわばっているのを感じたらしく、すぐ上総にささやきかけた。

「これから音楽室なんでしょ。うちのクラスでもすっごい噂になってる」

「清坂氏も来るか? 他のクラスも音楽室で練習しているみたいだしひとりくらい混じってても目立たないよ」

 少し考え込んだが、美里は首を振った。てっきり関崎とこずえに声をかけるかと思ったが、

「やっぱりやめとく。けどね、立村くん」

 まっすぐ目を見た。上総にだけ聞こえる声で、

「立村くんが一生懸命練習しているってこと私は知ってるよ。もし他の人たちに変なこと言われたら、私絶対、言い返しに行くからね。いつでも声かけて」

 笑わず、きっぱり言った。

「ありがとう」

「じゃあね、土曜日、またね」

 美里が教室から出て行くのを、こずえも関崎もほとんど感知しなかったようだった。見送ったのは上総だけだった。

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