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その九 レコーディング(1)

 関崎の歌声は一夜明けてあっという間にクラス中へと広がった。もちろん上総が伴奏でお付き合いしていたこともそれなりには伝えられたが、A組の女子たちにはどうでもいいことだったらしい。今までは遠巻きに眺めていた女子の数名も、

「関崎くん、昨日歌ったんだって?」

「B組の子たちが絶賛してたよ! すっごく上手だったって」

「今度音楽の時間に歌うべきだよ」

 などと囲み、口々にたたえていた。実際彼女たちも関崎のソロを聴いたことあるのかどうかが疑問だが、たぶんそれなりに噂にはなっていたのだろう。からかい調子ではなくかといってまじめに褒めるのでもなく、自然な笑顔で語りかけている。

「いや、やはり指揮をするには自分でも音が取れないといけないからな」

 まっすぐ返すのはやはり関崎の性格だった。しばらく女子のあしらいに戸惑っている様子だったが、坊主頭の藤沖が現れて、

「さすがだな、またお前の伝説が響き渡ってるぞ、朗々とな」

「何がだ。俺はまじめに合唱コンクールのために」

「わかっている十分にだ。それはそうとこのクラスでは公開しないのか? 俺たちはみな待ち構えているんだが。そうだ、提案なんだがそろそろうちのクラスでも合唱の練習を本格化させないか? B組もそうだがC組の猛りっぷりたるやすさまじいものだぞ。朝・昼・夕ととにかく時間があれば歌い続けている」

「来週からと古川からは説明を受けている。俺もそれでいいと思う」

「いや、遅いだろう!」

 今まで全く口を挟んでこなかったくせに、こういう時だけはいきなりの評議委員面をする藤沖。いい根性しているとひそかに上総は思う。

「いいか、とにかく早めに俺たちは前に進まないとならないだろう。俺がお前を見込んであえて推したことが間違っていないという証明はできた。さてさて、これからだぞ、目指すは優勝だ!」

 ──無理だって。

 上総は背中で熱く語り続ける藤沖の声を聞いていた。関崎を真の友として認め、A組を変えるための秘密兵器として押し出したことは素晴らしいしさすがとも思う。だが、上総からしたら応援団とその他いろいろにかまけてほとんどクラスの行事をこずえにまかせっきりというのが何か間違っているような気がする。決してこずえの手際が悪いとは思わないがただでさえ面倒な事情を抱えているA組クラスメートの面倒を見るのはひとりだとかなりしんどいはずだ。

「まあまあ、藤沖もそう燃えなさんな。あのねえ、私だって本当は早く練習始めたいよ。わかるよそのくらい。でもさ、みんないろいろと面倒な事情がてんこ盛りなのよ」

 いつのまにか顔を出していた古川こずえが藤沖の頭を撫で回す。

「世の中には短期集中型が向いているグループもあるのよ。たぶん私が見る限りうちのクラスはそちらのタイプよねえ。それにさ、私思うんだけどね、さっさと早いうちにデモテープを作っておけば練習しやすいんじゃないの。そのデモテープを作るためにまずは立村の伴奏を完成させる必要があるんだよね。それまであともうちょっと必要ってとこ?」

 ひょいと上総を見るこずえ。あまり話に誘ってほしくないのが本音だがしかたない。言うことは藤沖前でも言う。

「今週いっぱい、時間もらえれば、たぶんある程度は形になると思うからそれまでもう少し待ってもらえるかな」

 藤沖が関崎に問いかけるような眼差しを投げる。

「俺も立村の意見に賛成だ。昨日合わせてみたができればもう少しうまくなってからのほうが歌いやすいんじゃないかという気がした。俺ひとりの判断だが」

「だが、伴奏が完璧になるのを待っていたらいつまでたっても始まらないだろう」

 上総には見向きもせず関崎を説得し続ける藤沖。相当恨みが深いと見た。

「ならどうすればいいだろう」

「俺に提案がある」

 藤沖は立ち上がり、女子たちの一群に声をかけた。

「すまないが宇津木野、疋田の我がクラスの誇るソリストおふたりに相談がある」

 宇津木田さんと疋田さんが同時に振り返った。怪訝な表情をしている。

「どうしたの?」

「今日の放課後なんだが、悪いが一瞬だけ助けてもらえないか」

 首をふたり顔合わせながらかしげ、疋田さんが問い返した。

「ピアノのことなの?」

「無理にとは言わないが、この関崎の独唱に伴奏をつけてもらえないか。それと、昼休みのうちに俺もテープを買っておくから、古川、肥後先生からラジカセを借りてきてもらえないか」

 いきなり話を持ってこられたこずえも目を白黒させたまま、

「なんなのいきなりあんた、何スイッチ入ってるんだか。いわゆるさかりがついたって奴?」

 とかいつもの下ネタも今ひとつ冴えぬまま。藤沖は特にかまうでもなく宇津木野さんと疋田さんに向かい、

「昨日、関崎があのごつい顔にしては想像できないような美声をB組の連中の前のみで披露したと聞いて、どうしてもそれを確認したい気持ちがある。だがまだ中途半端なピアノ伴奏で奴の歌を観賞するのはどうも好かん。そこで、ふたりならば関崎を包み込むにふさわしい伴奏をしてもらえると思う。もちろん合唱コンクールの諸事情については古川からもよく聞いているし無理はしない。だが、せめてA組の中だけでも本物の伴奏というものを頭に焼きつかせたいんだが、どうだろう。忙しいところ申し訳ないが協力してもらえないか」

 頭を下げる藤沖に、宇津木野さんと疋田さんはふたり近づいてひそひそ相談を済ませ、改めて関崎に目を向けた。

「ごめんね、いきなりでびっくりしたかもしれないけど」

 こずえもフォローを入れようとする。

「ただ、まあここだけの話だけど、私も関崎がひとりでカラオケでのマイク離さずにいる姿は拝見してるんだよね。まじ、ほんと、うまいんだから。たぶんB組の子たちが驚いたのもそこにあると思うんだよ。私、音楽のことよくわかんないけどね、ただ、ピアノを本気で弾いているふたりに伴奏してもらえたら、関崎もうれしいんじゃないかな」

 こくっと、背の高い宇津木野さんが頷いた。少しびっくりしたように疋田さんが丸い目で見る。

「私も、そんなに関崎くんが上手なら、ぜひ伴奏してみたいな」

 様子を伺っていた疋田さんも小柄な身体を大きく動かして、

「宇津木野さんがそういうんだったら私も付き合う。立村くん、楽譜ある?」

 上総が口を開く前にこずえが即答した。

「大丈夫、こいつさっきから机の中に楽譜突っ込んでて、朝学習終わったらひたすらじっくり見入ってたよ」

「でも練習とかしないとまずいんじゃ」

 小声でつぶやく上総をすぐに遮り、疋田さんが答えた。

「私たち、初見であの程度の曲、いつも弾いてるから放課後見せてもらえれば十分間に合うと思うよ」

 宇津木野さんも頷いた。「初見」とは、いわゆる初めて見た楽譜を弾く、ということだろうか。昨夜もひたすらキーボードで同じところばかりひっかかって練習していた上総には信じられない能力である。

「よし! なら今日はみな、無理にとは言わん。クラスで時間が少しでもある奴集まって、関崎の独唱と我がクラスのピアニストを愛でる会を行おう! 古川の言う通り合唱は短期集中型だが、本物を耳にするしないとでは全く違うぞ。それとだ、この独唱会は特別に俺がカセットテープを一本私費で負担する。録音するぞ。そのテープを聴きながら最初はとことん練習だ」

 

 関崎がすっかり困惑した面持ちで上総に問いかけた。

「決してお前を下手だとは言ったつもりないんだが、完全にこのままだと誤解される。俺としては一週間かそこらであそこまで弾けるようになった立村も相当だと思うが」

「いやいいよ。事実なんだから」

 男女ともに盛り上がっている藤沖の演説を聞き流しながら、上総は答えた。

「それに俺も、あのふたりのピアノでの伴奏は録音したいしな。昼休み、自分用にテープ持ってくるから、関崎悪いけど各二回、歌ってもらえると助かるよ」

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