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その八 関崎との呼吸(2)

 関崎のありがたい申し出に一瞬退いた上総だが、

「ありがとう、たださ、今日、これから補習があるんだ」

 言い訳をすぐ見つけて笑顔で返すことができた。

「ああそうか、毎週水曜はそうなんだな」

「数学と理科のプリントを解き続けなくてはならないんだ。結構ハードで、それが終わってから音楽室に行こうと思ってる」

「ピアノの練習か」

「そう、たぶん少し遅くなったら人も少しは減っていると思うから、ピアノも空いているんじゃないかなと思うんだ」

 実際嘘ではない。月・火曜ともに音楽室を訪ねてみたが、四時半くらいまではかなり混みあっていてピアノの蓋に触ることも難しそうだった。しかたなく図書館で時間をつぶしてもう一度覗いてみたら運良く占領することができた。三十分程度しか練習できなかったとはいえ、弾けないよりはずっといい。

「そうか、俺も一応、肥後先生から呼び出されて指揮棒の振り方を習っているんだがなかなか大変だな。意味があるんだと言うことに初めて気づいた」

 指揮者の指導の方がもっと大変なのかもしれない。難波の話も重ねて考える。

「どちらにせよ、立村とは一度きっちり練習をする必要があると俺は思うんだ」

 ──あまり急ぐ必要もないと、俺は思うんだ。


 こずえが女子たちに声をかけて回っている間に上総は教室を出た。本当は今週の土曜日にまたピアノの稽古をさせてもらう予定だったこともあってその打ち合わせをしたかった。いつまで経っても終わりそうにないので、さっさと補習の行われる一Bの教室に向かうことにする。先週は野々村先生とのいろいろよしなもあって気まずさもなくはないが、すれ違って礼をする時にはなんでもなさそうなのでたぶん忘れたのだろうと判断することにした。難波や更科がすねに傷あるゆえにぴりぴりするのもわからなくはないのだが、あまり余計なことを考えないようにしたほうがよさそうだ。

 教室に入る。まだB組の連中がうろうろしていて、一方で補習組の生徒たちもひとりふたりと集まってきている。なんとなくまとっている空気が違う。顔見知りの友だちに、

「あれ、立村どうした? うちのクラスになんか用か?」

「補習で来ただけだって」

 声をかけられてあっさり答えるのみ。みなあっさり頷いて教室を出て行くのは上総の事情をよくよく知っているからだろう。意外に思ったことなのだが野々村先生の謎の振る舞いについてもあまり余計なことを尋ねる奴がいないのがありがたい反面不思議でもあった。

 とりあえずB組連中が全員いなくなったのを見計らって、廊下側の最後尾に座った。


「失礼します」

 最初に現れたのは新倉先生ではなかった。声を耳にした時思わず身体が硬直する。

「新倉先生ですけれども、少し遅くなるとのことなのでプリントだけお預かりしてきました。全員の分を用意してありますので各自取りに来てくださいね」

 まだアルバイトの大学生たちも集まってきていない。珍しい状況だ。野々村先生は凛とした風情で、ブラウスに紺のタイトスカート姿で佇んでいた。

「それと、立村くんにはこちらから課題をお渡ししますので少し待っててくださいね」

「はい」

 と、しか答えようがない。他の生徒たちも……男子ばかりだが……気味悪そうに上総を見やる。決して自分のせいではないのだが、「えこひいき」の匂いがしてもしょうがない。一応、個人面談の担当の先生なのだからしかたないといえばそれまでなのだから。野々村先生は他の生徒にすべてプリントを手渡しして、急ぎ早に上総の前席の椅子を引きこしかけた。すぐに立ち上がり、机を上総のと向かい合わせにした。

「こうしたほうが説明しやすいから、そうさせていただきます」

 遠慮したり手伝ったりする前に野々村先生はすばやく座りなおし、上総にプリントを手渡した。一枚のみ。問題の数は四題のみ。意外と少ない。

「今からこの問題の答えを渡します。そのまま、黙って写してください。写し終えたら言ってください。また同じく紙を渡しますのでまた書き写してください」 

 野々村先生は上総に何も書いていないわら半紙を何枚かひらひらさせた。

「この問題、覚えてる?」

「なんとなく」

 さすがに一週間前に出題された実力テストの問題くらいは記憶に残っている。解けたかどうかは別として。当然答えは間違っていた。

「実力テストの問題ですか」

「よく気づきました、えらいえらい」

 なんだか子どもっぽい褒め方をいきなりされて、あっけに取られてしまう。野々村先生はちらと他の生徒たちの様子を伺いつつ微笑みながら。

「テストで一番大切なのは復習なんです。でもみなそれをおろそかにしてしまい点数だけに一喜一憂しています。しかたないことなんですけどね。でも、せっかくこういう時間があるのですから、今はこの問題の答えを丸暗記してしまい、最後には花丸をつけてしまいましょう」

 ──花丸、ときたかよ。

 やはり数学の得意な先生の考えることにはついていけない。野々村先生は続けた。

「きっと、今まで立村くんは数学や算数で花丸をもらう機会がなかなか少なかったと思います。初見のテストの場合はそういうものでしょう? でも、一番大切な、『解き方を覚える』ことさえできれば、立村くんのなかでは十分満点をつけていいことなの。私たち教師が目指しているのは、テストの点数だけではないの。その後に十分な花丸をつけてあげられることなの。わかるかしら?」

「つまり、復習が必要、ということでしょうか」

 おずおずとたどり着いた答えを口にしてみると、野々村先生は大きく頷いた。

「そういうことなの。立村くん、あなたに必要なのは、数学でたくさん丸をもらう経験です。私が数学でお手伝いしたいのはそういうことなの」

 ──わからない、何がなんなんだか。けど、まあいいか。

 無理に難しい問題に頭を悩ませて爆発しそうになるよりも、とっくの昔に答えが分かっている内容をさらった方が楽に決まっている。書き写すだけであればいくらでもできる。

「やってみます」

 上総は言われた通り、答えをそのまま写し続けた。中学の修学旅行で経験した写経を思い出した。一枚はあっという間に埋まり、野々村先生がすぐに紙を補充してくれた。裏表にそのまま筆写し続けていくうちに決まった数式の文字だけがどんどん身体に染み付いていくのを感じた。また一枚、また一枚。紙は気がつけば十枚ほど積み重なっていった。


「そろそろ飽きたでしょ。今日はここまでにしましょうか」

 いつのまにか新倉先生およびアルバイト学生たちが集まり、教室内はにぎやかに盛り上がっていた。集中しすぎたせいか気づかなかった。顔を挙げて新倉先生に頭を下げ、プリントをたたもうとした。止められた。すべてを机の上に並べると、赤いサインペンを取り出し、いかにも小学校の先生がつけるような花丸をでかでかと描いた。見ているだけで恥ずかしい。花丸が一枚、二枚、三枚と積み重なり不気味な花畑に見えた。

「あの、ありがとうございます。でも書き写しただけです」

「いいえ、私も見ていたけど最後の一枚は立村くん、全く答えを見ないで書いていたわ」

 すぐに取り出し、上総の目の前に差し出した。

「きちんと頭の中に入ってきた証拠です。丸に値します。大丈夫よ」

「でも」

 言いかけた。遮られた。全く関係ない話に引っ張られた。

「立村くん、ところで今日はこれから、音楽室に行くの?」

 かなり強引な話の切り替え方である。


 ──どう答えたらいいんだよ、まったく。

 一週間前の音楽室の光景が蘇る。

 ──そりゃ行くよ。行くつもりだけどまたこの先生着いてくるつもりなのかな。冗談じゃない。またタイミング悪くC組連中がいたらどうするんだよ。教えてもらえるのは助かるけどそういう問題じゃないんだよ。それにこの先生も自分の立場意識してるんだろうか。女性の先生が男子をえこひいきなんてしてるなんて勝手に思い込まれたらB組でも大変なことになるのにさ。

 何か、よい言い訳を考えねば。何か、あるか。

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