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その一 高校一年始業式(4)

繊切の音色 その一 始業式当日(4)


 生協で現像した写真の清算を済ませ、上総は杉本梨南とふたりで一階のカフェテリアに向かった。あまり杉本を連れて生協で時間をつぶすことはそうなく、大抵は外に出て「おちうど」などでお茶を飲むのが普通だった。しかし、少しテーブルを汚したりする可能性もあるので今日は仕方ない。杉本も特に文句を言うことなく従った。

「アルバムは」

「こちらにございます」

 薄いアルバムが五冊で一箱に収まるタイプのものを購入していた。杉本は席に着くなり包んだ袋と中のビニールを手早くはがし、かばんにしまった。

「立村先輩、それではお写真を」

「あれ、何か食べないの」

「なぜそんなに食べることに執着なされるのですか」

 それでも飲み物くらいは用意してもいいだろう。杉本の文句を無視して、紙コップのジュースを用意した。冷たい紅茶を二人分運んでおいた。

「恐れ入ります」

 すでに写真整理に入った杉本も、「なぜ私に払わせていただけないのですか!」などと怒鳴ることはなく簡潔に礼を述べたあと、黙々とファイル整理に励んだ。さほど難しいことでもなさそうで、プリントした順番に一ページ五枚ずつはめ込んでいけばいいだけの話だった。

「俺も手伝おうか」

「いいえ、結構です。途中で順番がずれては大変です」

 手持ちぶたさをごまかす意味で、上総はカフェテリアに向かった。やはり口寂しいものがあるので、冷たいチーズケーキを二人分お盆に載せて運んだ。

「立村先輩、私は別に」

「いいよ、あまったら俺が食べるから」

「立村先輩はこんなに中学自体食べ物に執着するお方でしたか」

「昔と変わったわけじゃないけど」

 変なところで誤解をされているらしい。ちなみに青潟大学の学食で出るケーキは正直、さほどおいしいものではない。単純に腹を満たすための高カロリー食品としかみなしていないところがある。だから杉本の前で食べる機会がさほどなかったとも言える。

「せっかくですのでいただきます」

「もうここまで終わっているなら十分だろ」

 ケーキを選んでいる間に杉本の作業もほぼ完了していた。あとはのんびり、紅茶飲みながら話していればいいだけのこと。そうだ、これからが本番だ。

 ちらちら、上総たちの様子を伺う気配を感じる。すでに覚悟は済んでいる。

 

「誰かに何か言われなかったか?」

「いつものことです。たいしたことではありません」

 つんと澄ましたまま、杉本は上総の顔をまっすぐ見つめて言い切った。

「ありもしないことをあげつらう男子連中に話すべき言葉もありません」

 例の、修学旅行濡れ衣事件だ。杉本の意向で真犯人をあえて内密にする方向で進んでいる。学校側の希望を飲んで、ひとりの女子の命を守るために。事情を知る上総としてその判断が正しいとは全く思っていないが、杉本の意思を尊重しなくてはならないのも事実。

「それにしてもすごい分量だよな。こうやって見るとさ」

 アルバムを受け取り、上総はゆっくりページをめくった。暗くて一部読み取りづらいものもあるけれども、大まかな内容は明らかだった。「舞姫」を始めとし、英単語の辞書漫画あり、理科室でのラブストーリーあり、しばらくは家でめくって楽しめそうだ。

「これ、俺が預かっていいよな」

「そのつもりとおっしゃいましたでしょう」

 杉本は頷き、函ごと差し出した。

「少なくとも本日の領収書があるわけですから、今後誰がまねしても私たちがオリジナルと言い切ることができるわけです。桜田さんの才能を超える人がそうそういるとは思えませんが」

「俺もそう思う。ところで杉本、第二弾の編集会議はいつごろなのかな」

「公立の授業がどのような展開を迎えるかによります。青大附中の授業とは進度が大幅に違いすぎますから、できるだけ合わせないといけません。それに公立高校入試の場合は公民が対象になりますけれども、大抵の学校はそこまで手が回らないと聞いたこともあります」

「毎年、三月半ばに試験回答が新聞に載るけど」

「過去五年分は集めてあります。自分のためにも」

 ──自分のため、なのか。

  杉本は決して嘘を言わない。それならば、信じてもいいのだろうか。

 ──本当に、自分のためなのか?

 上総は杉本の顔を見つめ返した。コンクリートにボールを投げつけたがごとく、まっすぐ跳ね返されてきたその眼差しを、逃さなかった。


「立村先輩!」

 横入りする声に遮られ、上総はつい目を杉本から逸らした。男子の声、声変わり前の甲高い響き、とくれば相手はもう、ひとりしかいない。

 ──なんだってあいつが来るんだよ。

「先輩?」

 杉本も小首をかしげて一緒にその声の方向に振り返り、驚いた表情を見せた。

「まさか、あの彼、ですか」

「そう、あの彼だよ」

 杉本に詳しい事情をまだ話してはいなかった。霧島ゆいの麗しき弟でかつ骨肉の争い中という触書もあり。杉本も霧島真についてはあまりよい感情を持っていないだろう。霧島ゆいとはこまめに連絡を取っているということだから、当然弟の真に対してもそれなりの情報を得ているはずだ。もっとも、それは霧島ゆい経由のつながりだ。まさかあいつが上総の家にわざわざ料理一式セットを持ち込んでがつがつ食い漁るような猫かぶり野郎とは、たぶん知らないだろう。

 ──杉本とお世辞にも相性が合うとは思えないな。

 その他、あまり知られたくない事実もいろいろと潜んでいる。できればこの一年、杉本と霧島とを顔つき合わせて語り合わせるなんて場面を作りたくはなかった。だが、世の中は甘くない。霧島の嗅覚を甘く見てはならないと、夏休み中何度思い知らされたことか。それをすっかり忘れてしまっている自分の鳥頭にも腹が立つ。

「ちょっと、挨拶してくるから待ってろよ」

 せめて距離を置いて話をしたい、腰を浮かして立ち上がる間もなかった。霧島がつんと澄ました狐面でもって、意気揚々と現れる方が早かった。

「立村先輩、お久しぶりでございます。何度かご連絡いたしましたが」

「昨日も電話で話をしただろ」

 軽く流す。こうやってしゃちほこばっている姿こそが霧島の仮面であることを上総は夏休み一杯たっぷり思い知らされた。毎日何か用を見つけてはつかまるまでしつこく電話をかけてくる。取り付かれたかのように一方的にしゃべりまくる。そのくせ、飽きたらさっさと自分から電話を切る。この気まぐれぶりがどこまで学校で発揮されているのか、いまだに上総は把握できていない。

 上総が杉本の前でケーキを手付かずのまま放置しているのを見つけたのか、霧島はちらっとそれを見やり、

「よろしければ、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」

「いや、俺も今は相手がいるから」

 ──目の前に杉本がいるんだからさ、わかるだろそりゃ。

 気づいていないわけがないにも関わらず、促されるまで知らん振りをしていたようだが霧島もわざとらしく咳払いをし、

「これは失礼いたしました。お久しぶりです、杉本先輩」

 慇懃無礼に頭を下げた。学年最低嫌われ女子だとしても、一応は先輩、一応は姉の可愛がっている後輩、礼儀は守られねばならないと判断したからだろう。

 さらに目ざとく霧島は、ケーキの隣りにおいてある、さっき受け取ったばかりのアルバムに興味深そうな眼差しを向けた。

「立村先輩、アルバムですか」

「そうだよ、五冊セットのものだけどさ」

「旅行なさったと伺いましたが」

「昨日話しただろ。結洲に行って来たって」

 用意しておいてよかった。上総はかばんから結洲の粉末抹茶を取り出した。透明ビニールにかわいらしくまとめたものだ。本当は美里に渡すつもりだったが出し損ねた。

「ほら、これが土産」

「恐れ入ります。頂戴いたします」

 丁寧に両手で押し頂くようにし、霧島は上総の隣りに陣取った。杉本が目の前で仏頂面したままにらみすえている。さっきまで上総とかち合っていた眼差しは、霧島を鋭く、ぶっこわしそうな刃に変わっている。警戒心ばりばりの、全身総毛立ちといったところか。

「先輩、よろしければ拝見したいのですか」

「だめだよ。これは旅行の記念写真じゃない」

「杉本先輩からいただいたからでしょうか?」

 ──なんで知ってるんだこいつ?

 舌打ちしたくなる。どうやら霧島は、上総が杉本とアルバムをはさんでやり取りしている様子をどこかで観察していたに違いない。気づかなかった自分が愚かと言えばそれまでだが。その後タイミングを見計らって、どの方向から声をかければいいかなども計算尽くして「立村先輩!」とやったわけだ。

 ──まずいな、杉本またすねるよ。どうしようか。なんかいい言い訳ないかな。」


「立村先輩、このアルバムは先輩にお渡ししたものでございます」

 杉本がいつもの一本調子な声で口を切ったのは、霧島との押し問答に限界を感じたあたりだった。それまでじっと上総と霧島のやり取りをにらみつけていたのだが、

「そんなに霧島くんが興味をお持ちであれば、減るものではありませんのでご覧いただければと思います」

 同時に立ち上がった。霧島を厳しく全身ねめまわしたのち、

「どうせ、この内容をすべて、生徒会長に告げ口なさるおつもりかもしれませんが、私は決して後ろめたいことはいたしておりません。どうぞ、お好きに調理していただければよろしいのです。それでは、失礼いたします」

「おい、待てよ。まだ杉本、話、終わってないだろ?」

 上総の止める声も聞こえないかのごとく、杉本は一礼した後くるりと背を向けた。

 ぴんと張った背、静かに揺らぐポニーテールの長い先、白いショールの背中。

 ──あーあ、あいつすねちゃったよ、どうするんだよいったい。

 隣りでいつのまにか、上総のケーキをくすねて舌鼓を打っている霧島を、上総はため息と共に見下ろした。そういえばまだ、飲み物を用意していない。

「あのさ、霧島。誰か生徒会かに見られたらどうするんだよ」

「どうもいたしません。僕は高校に内偵で向かっていると言い訳すればいいことですから。嘘ではありません。それと、杉本先輩から許可をいただいたことですしこのアルバム、拝見してもよろしいですね」


 深いため息とともに頷き、上総は霧島と自分の分サイダーを買ってくることにした。

 自分の分の紙コップ紅茶はすでに霧島によって飲み干されていたからだった。


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