その七 老師訪問(2)
海岸線をそのまま走り続け、青潟市街から少し離れた家に到着したのが八時十五分を回ったところだった。約三十分程度。車には幸い酔わずにすんだ。
──かなり寒いな、ここ。
温度差がかなりある。スーツを着てきて正解だった。父に促されて後ろから歩いていく。二階建ての邸宅だが取り立てて見るべきものはない。よく住宅地で見かけるものとほぼ変わらない。ただ、庭が広く、テーブルなどがすえつけてある。二階のベランダから見下ろせそうだった。
「上総、わかっているな」
「十分に」
短く返答し、父のすぐ後ろにくっつく。呼び鈴を父が鳴らす。
「おはようございます。お約束しておりました立村です」
ドアホンごしに「どうぞお入りください」と女性の声がする。真っ黒い、重たそうなドアを開きそのまま待っていると、奥から年配の男性がゆったりと現れた。
「お待ちしてましたよ。立村さん、さあどうぞ。それと君の?」
「おはようございます、それとこれが先日お話しました、息子の上総です。お世話になります」
ちらと父は上総を見やった。挨拶しろ、の合図だろう。
「立村と申します」
そこで父のささやき声が飛んだ。
「フルネームで挨拶しろよ」
しまったしくじった。慌てて続ける。
「立村上総と申します。初めまして。本日はよろしくお願いします」
舌打ちしたそうな顔をしている父に目で謝ろうとするが無視される。目の前の年配男性はにこやかにふたりを見比べて、
「朝からそうぴりぴりしなくても大丈夫だよ、立村くん。まあとにかくあがってゆっくりお茶でも飲もうか。それと上総くん、だったか」
じっと上総の中を探るようなまなざしで、
「飲みたいものは何かあるかな」
尋ねてきた。さっそく質問ときた。どうすればいいんだろう。素直に「いえ、何でもいいです」とか「朝は牛乳かオレンジジュースにしてます」とか「今の時期はまだ麦茶ですよね」とか答えればいいのか。さすがにそれはまずいだろう。
「あの、お任せいたします。恐れ入ります」
「遠慮しないでいいんだよ。さあどうぞ。お待ちしてましたよ」
白髪をつややかに整えた穏やかな男性は微笑みながら向かって左側を手で指した。背を向けた隙に父がささやく。
「あとはお父さんがなんとかするから、お前は黙っていろよ」
「もちろんそうするって」
今のように質問を投げかけられたらどうしようもないというのに。
いわゆる居間のような部屋に案内された。「の、ような」というのはちらと見えた隣の部屋が完全なる客間だったからだ。よくわからないが由来のありそうな銅像とか絵画とかが飾られていていかにも、だれか偉い人をもてなすような雰囲気が漂っていた。上総たちが案内されたのは、その隣りにある少し気さくな感じのする部屋で、ソファーとピアノ、本棚が並んでいた。
「立村くんと私の仲だから、ざっくばらんにいきましょうか」
「いえ、そんなもったいない」
父がやたらと固くなっているのが気になる。とにかく合わせることにする。奥から同じ年代らしき女性が現れ、慌てて挨拶する父に対し笑顔で、」
「立村さんの息子さんにお目にかかれるとあって、主人も心待ちにしていたんですよ。今日はゆっくりしていらしてくださいね」
お茶をふたりに、上総にはオレンジジュースを置いて出て行った。
「家内も、若いお客さんが来るのは久々で若返っているらしいよ」
「いや、そのめっそうもありません」
「まあまあ、じゃあさっそく本題に入るとするか。立村くんの息子さん、上総くんと言ったね」
「はい」
礼儀だけを頭において答えた。まっすぐ目を見て、膝に軽く握りこぶしで手を置き、背を伸ばす。母に仕込まれた礼儀どおりにいく。
「そう硬くならなくていい。しかし、こうやって見ると立村くん、君によく似ているね、顔かたちというよりも雰囲気がな」
父は照れくさそうに微笑を浮かべ、ちらと上総を横目で見た。
「今月で十六になります。先日お話した通り、現在は青大附属のお世話になっていますが、僕の血を引いているせいかお世辞にも出来のいい方とは、言いがたいものですね」
「謙遜しなくていいじゃないか。青大附属は私の母校だよ。確か卒業式では英語答辞を読み上げたと聞いたがね。知り合いが今年の卒業式は盛りだくさんのイベントで実に楽しめたと話していたよ」
──ちょっと待て、ってことはもしかして、俺のあの答辞も噂で聞いてるってことか?
背筋がぞくりとする。目の前のお茶に手をつける気持ちにもなれない。
父も堅いながら静かに上総について語り続ける。
「そこのところだけはなぜか親の血を引かなかったようで、語学の耳は持っているようです、ありがたいことに。将来はそちらの方面にでも行ってもらって、たまには僕の仕事の手伝いでもさせようかとか、いろいろ考えますね」
「耳がいいのかな、だったら音楽も得意だろう?」
上総に問いかけてこられても父との約束上答えることができない。俯いているとやはり父が代わりに答えてくれた。
「さあどうなんでしょうか。彼の母親にあたる人が長期休暇を使って定期的にピアノの手ほどきを行ってまして、それなりにドレミの音を聞き取ることはできるようですね。ただ今までは何か稽古事をさせるとか運動チームに参加させるとかそういうことはありませんでしたし、正直今回この子がなぜ、伴奏要員に立候補しようと思ったのか理解しかねるところがありますね」
ちろちろ見ながら上総について語る父。嘘ではない内容だった。
「そうか、特に部活動もされてないと伺ったがどうなのかな」
「そうですね、ご存知の通り、青大附属は委員会活動が活発なもので中学時代は評議委員会中心でいろいろやってきたようです。集団活動が苦手なところもあるのかもしれませんが」
「では高校では」
「高校も、今のところは帰宅部を堪能しているようで、昨日の夜から毎日キーボードをいじって遊んでいます。それなりに、伴奏をすることへの責任は感じているようですね。お世辞にも出来のいい子とは言えませんが、よい友だちに恵まれる運だけはあるようです。それほど積極的に物事に参加するタイプでもないんですが、自然と周りに助けられてなんとかやり遂げているといいますか。それもまあ、彼の持つ運なのでしょうが」
──なんだか褒めてるのかけなしてるのかわからないけどまあいいや。
心でつぶやきつつ、改めて目の前の初老男性をじっくり観察する。まだ名前も確認していないのでなんとお呼びすればいいのかわからない。見た感じは穏やかだがどことなく目の奥が鋭いようにも感じる。見た感じいわゆるゴルフウェアのようなポロシャツファッションで決めている。白いポロシャツの胸には、どこかのブランドのマークが小さく刺繍されている。客間のある家ということは、たぶんそれなりに裕福な家のご主人なのだろう。
「運ですか、それは立村くん、君も少なからずあるはずだよ」
「おっしゃる通りです」
また父は座ったまま一礼した。
「合唱コンクールの伴奏か。私のいた頃はそもそも合唱コンクールというイベント自体がなかったから最近出来たのかな。しかしなぜ、ピアノをほとんど稽古していないのに君の息子さんが立候補する気になったのか、そこのところが興味あるね。上総くん、ぜひ聞かせてくれないかな、君の口から」
ちらと、父に目を走らせた。またこわばった顔で受け止める父に、
「少し、息子さんと話をさせてもらえないかな」
釘を刺してきた。
──どうするんだよ、父さん、俺がしゃべることにどうせなるんだろ? どうしゃべれっていうんだよ?
目で合図をしたいが父も戸惑っているようで何も返してくれない。ただ、
「あの、ただいかんせんうちの息子はあまり人と話すことが得意ではなく、かえって失礼にあたることを口走るやもしれませんし」
などとわけのわからない言い訳をしている。やはり上総に出来る限り貝になってほしくてならないのだろう。しかしかなうわけもない。
「いや、立村くん、君からは十年以上彼の成長過程について聞かせてもらっていたじゃないか。私も家内も、実はこの日を待ちわびていたんだよ。少し彼とゆっくり話させてもらえないか、いいだろう?」
もう無理だ。父には帰ってから土下座して謝ろう。なるようになるしかない。上総は父に頷いて合図し、
「よろしくお願いします」
静かに答えた。




