その六 鍵盤めぐり(2)
美里の先導で迷うわけもなく無事こずえ宅にたどり着いた。入り口までこずえに迎えに来てもらい、ものものしい鍵を開けてもらい、その後はまっすぐエレベーターに乗り込んだ。
「うわ、もしかしてあんたたち、お土産用意するために遅れてきたって奴? だから気を遣わないでいいんだってば! もう余計なことしてさあ」
手土産の包みに目を留めて察したのか、こずえに責められてしまう。
「何言ってるのよ。先週だってピザご馳走になっちゃったし、そのくらい当然よね」
「けどそんなことされたらさあ、気軽に呼べなくなっちゃうよ」
「自分たちの食べる分だけ用意しただけだし、気にしないでよ。それよかここのケーキ屋さん、すっごくフルーツが詰まっているケーキなんだけど、一度食べてみたくなあい?」
結局はお菓子の話で盛り上がり機嫌を直すこずえ。上総はふたりのおしゃべりから少し離れ、エレベーターの「開」ボタンを脇で押していた。
「さすがレディファースト、よしよし」
褒められてもうれしくないが、自分もさっさと降りる。こずえに促されて玄関の戸を開けると、
「いらっしゃい、ようこそ! 美里ちゃんどうぞどうぞ。それと、ええと貴方は」
貴方、ときた。上総の顔を見て華やかに微笑む女性が迎えてくれた。
「立村と言います。古川さんとは英語科の同級生です」
「何気取ってんの、母さん、この子ね、いつも言ってるでしょ、あの子にそっくりなクラスの男子がいるってこと。それがこいつよ、立村もあんたそう緊張しないでさ、どうせあんたの本性四年前から我が家全員にはばればれなんだから、さ、入った入った!」
「そうそう、立村くんね、卒業式の英語答辞は聞かせてもらってびっくりしちゃったわ」 ──古川さんのお母さんとはどう見ても思えないよな。
改めて一礼し、美里と一緒に上がりこむ。こずえの母と思わしき女性は、パーマをかけた髪をくるりとアップにし、飾り物一切なくきっちりとまとめていた。華やいだ雰囲気はあるのだが、化粧っ気はあまりない。
「ところで、お食事はまだなんでしょ? 手巻き寿司でよければ召し上がれ。そうだ、お姉ちゃん、居間で食べるでしょ。お皿出すの手伝ってちょうだいな」
「オッケー! ということで今日は手巻き寿司パーティーなのでした。ではではふたりとも中に入ってちょうだいよ。あんたたちはゆっくり手足伸ばしてていいんだからね」
美里と顔を見合わせる。なんとなく、手伝ったほうがよさそうな気がするのだが、
「いいのいいの。客は客らしく振舞うのが義務なんだからね」
結局言いくるめられ、美里とふたり居間に座って待つことになった。もちろんこずえのお母さんにはケーキを直接、美里のほうから手渡してもらった。
「ということで、なんか豪華なお昼ご飯になっちゃったね」
「先週はピザで今週は手巻き寿司、となるとやはり来週は何か用意しないとな」
「そうだね、ご馳走になりっぱなしになるのよくないよ。それに立村くん、来週一回だけじゃないでしょ、これから何度もピアノ弾かせてもらう話なんでしょ」
「たぶんそうだけど」
斜め前のアップライトピアノを眺めやる。先週と違うのは山積みにされていた古いピアノ教則本がのけられて、いつでもピアノを弾くことのできる環境に整えられているところだった。つやつや蓋も光って歓迎してくれている。ジャングルのような草木も見慣れると落ち着く。緑はやはり、ほっとする色だ。
「あ、そうだ。清坂氏に俺のほうから謝らなくちゃならないことがあるんだ」
二人きりでないと話せないことを思い出し、上総は美里に呼びかけた。
「なによいきなり。さっきのことは謝る必要ないよ」
「それじゃないんだ。自由研究のことなんだけどさ」
野々村先生に絡んでくる話なのでどう持ち出すべきか迷ったが、話すなら今だろう。
「補習の時に、たまたま自由研究の話になったんだけどさ」
「あの先生、またしつこく立村くんに絡んできたわけ? よくわけわかんない!」
「絡んだわけじゃないと思うけどさ」
あとでいろいろと面倒になることを考えれば、今のうちに思いきり美里に怒られておいたほうが身のためだという判断からだった。事実を伝えることにする。
「その自由研究なんだけど、どうやらふたりのまとめは問題なさそうなんだけど、俺の文章が今ひとつ、その、論理的な部分に欠けていたみたいで思い切り評価を落とされたらしいんだ」
「ふうん、それで」
不機嫌そうに美里がつぶやく。でもわざとらしさ漂っているところみると、本気ではなさそうだ。
「俺だけじゃなくて、たぶんその評価、羽飛と清坂氏にも回ってしまう可能性があるからまずいなって。それだけなんだけど、本当にごめん」
「あのね、立村くん、謝らなくていいって言ったでしょ。ほんっとにしつこいようだけどね」
美里は首を振り、テーブルに頬杖を着いた。上総に向かって指でちょいちょいと指差した。
「私ね、自由研究のことは最初っから気にしてないよ。当たり前でしょ。どうせあの担任に目をつけられているの私なんだから、私の文章評価するわけないじゃない! 何で私のことあそこまで変な目で見るんだろうって不思議でなんないんだけどね。ただちょこっと気になるんだけどあの先生、私経由で立村くんのこと、聞いてるのかなあ」
「清坂氏経由で? 意味がわかんないけどさ」
「ほら、同じクラスで三年間評議で一緒だったってことよ。中学から高校でなんらかの申し送りは行われてるはずだし。もしかしたら立村くんにあの先生がやたらと拘るのは、私のことをいろいろ根掘り葉掘り探り出すためかもよ。私の弱み捕まえようとしてるのかも。なんだかやだなあ」
さすがにそれは美里の被害妄想のような気がする。止めた。
「それはないよ、いくらなんでもあの先生大人だから、そんな、おとなげないことしないよ」
「大人げない? あんな露骨なえこひいきする教師のどこが大人なのよ。けどね、さっき立村くんが思いっきりきっぱり断ってくれたってこと聞いて、個人的には溜飲下がったわ。うん、大丈夫。このくらいなら平気だもんね」
どうやら美里の考えとしては、「野々村先生は美里を敵視していていつか首根っこ押さえようとし、そのためにあちらこちらから手を回して情報を集めている。そのひとりが中学時代いろいろ因縁のあった立村の存在」というように推理しているらしい。
──やめとこう、これ以上清坂氏を刺激するのは。確かに人の好き嫌いが露骨に出やすい先生だとは思ったけど、そこまで清坂氏をいじめようなんて普通しないよ。
「おーまたっせ! じゃあそろそろ立村、あんたに手伝ってもらうわよ」
酢飯の入ったおひつが運ばれてきて、次に大皿の刺身が、卵焼きが、なぜかきゅうりやトマトが、それぞれテーブルに並べられていく。美里とふたり、入り口で受け取り並べていくうちに四人分の食器がすべてセットされていった。
「やっぱり、こずえのお母さんすごいよね。手際よすぎ」
美里が上総の耳元にささやいた。
「でも四人ってことは、これからこずえのお母さんと一緒に食べることになるのかな。変なこと話さないようにしなくちゃね」
「わかってる」
だが、たぶん、こずえ限定で下ネタは制限されないような気がする。うっかりひっかかって変なこと口走らないようにしなくては。保護者同伴の食事はやはり、気を遣う。
最後に手で裂いた山盛りの海苔がテーブルの真ん中にどすんと置かれた。
「さあ、おいしいわよ。手巻き寿司はいくらでも食べられるから、遠慮なく召し上がってね! 私も参戦するわよ!」
──参戦、かよ。やはり、この人、古川さんのお母さんだよな。
食べる気まんまんでエプロンつけたまま居間に乗り込んできたこずえのお母さんを迎え撃つ気力もなく、上総は美里とならんで静かに席についていた。




