その五 野々村先生との補習時間(5)
収集つかなくなりそうな状況をあっさりまとめたのは天羽の一声、
「ほんじゃま、今日は悪いけどテスト後なんで少し羽根伸ばしていっか。羽飛悪いが今日の練習はこんなところでよいだろ」
自主練習の解散宣言をしてくれたのと、
「俺もこれから肥後先生探して指揮者特訓を頼まねばならない。明日も放課後自主練やるからそれまでにはなんとか形にするぞ」
難波が握りこぶしをこしらえて熱く訴えるのと、
「とりあえず今日は合唱もだいぶまとまってきたから、きりのいいとこでいいんじゃないかな」
更科のいい意味で無神経なのほほんさ。
元・評議男子評議三羽烏それぞれのやり方でなんとかC組連中は音楽室からのろのろ出て行ってくれた。もちろん、瀬尾さんの発言やそれに続く野々村先生の理解不能な言動に関しても、主に女子たちからは不快感溢れる発言がちらほら聞こえていた。ピアノの前に腰掛けたままの上総にもそれはすべて聞こえていて、
「なんだろ、野々村先生ってさ、すっごいひいきしまくるって美里も怒ってたよね」
「うん、確か外部の子で、評議やってる子、あの子ばっかり褒めててて美里についてはすっごく無視してるって」
「けどさ、今のってちょっと妙じゃない、だって相手がさあ、あの立村くん相手だよ」
中学時代の美里との関係が知られているゆえにぎしぎししてしまう言葉だらけだった。
「瀬尾さんの言い分ももっともだと思うよ。そりゃ立村くんはピアノないから多少は融通利かせなくちゃいけないってのもわかるけど、でも伴奏者だけひとり特訓ってのはおかしいよ絶対。瀬尾さんが怒るのもわかるよね」
「でも、瀬尾ちゃんさ、妙なこと言ってなかった? 今先生についてなかったって? 瀬尾ちゃんは確か、十月の学校の演奏会出るよね?」
──それ、俺も気になってるんだけど、どういうことなんだろう。
本当ならば、余計なことを無視して瀬尾さんを捕まえて、先ほどの発言をもう少し詳しく確認したかった。野々村先生の先走った言動はともかくとしても確かに上総ひとりをひいきする形の練習は、反発を買うのもしかたない。ただ、瀬尾さんも自宅に……おそらくだが……ピアノを持っているだろうし演奏会に出るだけの実力を持っているにも関わらず先生についてないというのは、いろいろ難しい問題があるに違いない。事情を聞けばうまく別の方法を見つけてとりなすこともできるんじゃないかとか、そんなことを考える。ただ上総は瀬尾さんという女子と今まで全く話をしたことがない。それにいつのまにか音楽室からも彼女の姿は消え去っていた。確か泣いてはいなかったような気がする。
「じゃあ、りっちゃんまたね!」
南雲にも軽く挨拶を交わし、いつのまにか残ったのは評議三羽烏プラス羽飛、そして上総の四人のみとなった。向こう側のグランドピアノは閉じられたまま、上総の目の前にあるアップライトピアノはそのまま鍵盤を光らせている。
「まあ、おつかれさん。とんだ騒ぎだなこりゃ」
羽飛は上総の肩を軽く叩き、片手でピアノの鍵盤を適当に叩いた。不協和音あり。
「まず確認してえんだけどな、なんで美里の担任と一緒に来たんだ? 俺よくわからねえんだけどな」
「補習があってその流れだよ。頼んだわけじゃない。肥後先生にも用事あったみたいでそのついで」
感情交えず上総も答えた。さすがに野々村先生が一方的に張り付いてきたなんてことを言えばしない。
「へえ、んじゃ、立村がプライベートレッスン頼んだっつうわけじゃねえんだな」
「当たり前だろ。それ以前に野々村先生があんなにピアノに詳しいなんて知らなかったし」
「けどなあ、一時間もべったり特訓されてたら誤解されるぞ。それも一対一だろ。瀬尾が切れるのもまあ、わからなくはねえな」
「俺もそう思う。瀬尾さんには悪いことしたなって思う」
そこで天羽が静々とふたりの間を割り込むようにすり抜け、会話に入る。
「瀬尾ちゃんの事情はよくわからねえけど、中学の合唱コンクールではA組で伴奏やってくれてたし、めちゃくちゃうまかったことは確かだよなあ。無理に野々村女史にレッスン申し込まなくてもいいような気がするんだが、ま、これがジェラシーなのかねえ。どう思うホームズ?」
ずっと片手で三角を空に書き続けている難波が我に帰ったように、
「俺を呼んだか」
またまた割り込んでくる。もちろん更科もにこやかに張り付いてくる。
「お前さんの鋭い脳細胞で、合唱コンクールにおける謎の部分をばっさばっさと切り分けてもらえねえかなあ」
「事実関係がもう少し詳しいことわからないと俺も何も言えないが」
難波は両腕を組み考え込み、天井を見上げた。
「ひとつだけはっきりしている事実は俺たちが見たものだけだ」
「おい難波、結論だけ言えよ」
面倒くさそうに貴史がせかす。更科がまたころころと、
「そうそう急がなくたっていいだろ? 羽飛、ただいまホームズの頭脳鋭く回転中なんだからさ」
「そうは見えねえがなあ」
「せかすなら情報をよこせ、羽飛」
ぐるぐる旋回しだした難波は、ふと更科をじっと見つめ、また天井を見上げた。
「今、たどり着いた真実はありふれていることだが憶測に過ぎない。それでもいいか」
やがてゆっくりと、まじめな表情でその場にいる三人に語りかけた。
「まどろっこしい言い方するなよなあ」
「羽飛黙れ、てかホームズ、ここにいる俺たち五人のみの秘密にするってことでどうだ、話してもらえねえかのう」
せかさず、促す天羽。あっさり頷き、難波は腕組みしたまま、上総に言い放った。
「とりあえず結論だけ言っとく。立村、お前はあの先生に目を付けられてるぞ」
また更科をちらと見たがすぐに上総に向き直り、
「どういう意味かはまだ特定できないがな」
──目を付けられてるって。
言われた意味が全く分からない。上総はまず難波を、次に天羽、更科、羽飛とそれぞれの表情を伺った。みななんとなくわかったように頷いているということは、それなりに見えたものがあるのだろう。
「どういうことかな、一応、野々村先生は夏休みの個人面談の担当だからそのあたりの兼ね合いもあるのかもしれないけれどさ」
「あっそっか、お前、個人面談あの先生だったのかよ」
元評議の連中にはそういえば話していなかった。羽飛だけが納得顔で、
「俺はとっくの昔に知ってたがな」
つぶやいているのが聞こえる。
「すべての生徒に個人面談の担当が当たるはずだが少なくとも俺はここまで面倒見てもらうようなことはない。立村、今日は数学の補習があったんだよな?」
「そう。そのこともあって、補習の手伝いしてもらえるということになったから、それで話をしてたんだけど、その時に伴奏の話になってさ」
上総は決して嘘を言っていないのだが、並んでいる連中の表情にはなんとも言えない複雑な笑みが浮かんできている。いったい何を妄想しているのかと問い詰めたい。
「でもほんとにそれだけだよ。俺は今まであの先生と夏休み前までは一度も話したことなかったし、何か目を付けられるようなことした記憶も全くない。まあ、俺の数学の成績が救いようない状況だから、たぶん学校側で業を煮やして数学の得意という噂の野々村先生を担当にしてくれたんじゃないかな、くらいは想像してたけどさ」
「あの先生国語だろ?」
難波が問い詰めてくる。嘘ではないので答えること可能。
「個人面談の時に聞いたけど、数学のほうが本当は得意らしくて、それで俺の成績のこともあるから手伝ってくれるとかいう話にはなってた。ただそれはあの先生が決めたことじゃなくて、学校側がトータルで考えてくれたことらしいけど」
「お前の理系感覚は崩壊してるからな。補習の件についてはまだ俺も理解できる。けどなんだ? なんで音楽の伴奏の手伝いまでなんでしゃしゃり出ようとするんだ?」
「俺もそれは不思議なんだけど」
心底謎だ。難波がどういう推理を組み立てているのかが全くわからない。情報提供だけはしようと思うが、それよりも何よりも明日以降どうすればいいかというのが取り急ぎの問題のような気がする。
「ただ、さっきお前らが合唱の練習している間に俺も野々村先生に伴奏いろいろテクニック教えてもらったけどさ、確かにわかりやすいんだよ。片手ずつで練習するよりも、最初から両手で合わせて稽古したほうが早く進むとか、暗譜よりも譜面読みに力を入れたほうがいいとか。うちの親に仕込まれた時よりもはるかに理解できたから、たぶんそちらの知識は豊富なんだと思う。今回の合唱コンクールも全校クラスで唯一ピアノが自宅にない伴奏者が俺だから、通常の状況ではないと教師として判断したんじゃないかなと思う。そこから出た発言だと俺、解釈してるんだけど、間違ってるか?」
誰も何も言わない。イエスかノーかくらいははっきりしてほしい。ついあせりで続けてしまう。
「けどさ、正直なこと言うと俺も第三者からしたらえこひいきされていると思われて当然だと思う。もちろん野々村先生は善意で言っているだけだと思うけど、担任持っている先生にそこまでおんぶに抱っこなんてできないよ。肥後先生にも昨日いろいろ教えてもらったし、音楽室もピアノ使っていいと言われているし本当に助かるけど、でも野々村先生に特訓してもらうというのはむしろB組の人たちに申し訳ないと思う。絶対清坂氏怒るよ」
「まあもっともだ。美里はぶち切れるな」
羽飛は上総の肩をぽんぽん叩きながら頷いた。
「それだけじゃない、伴奏担当の人たちだってそれぞれの事情があるんだろうなということは聞いてるし、さっきの瀬尾さんの話じゃないけど演奏会の負担もかなりあるんだろうなという気がする。俺だけピアノがないという大義名分でもってひいきされることに納得がいかないのはむしろ当然だよ。うちの親に頼んで今、一ヶ月だけ見てもらえる教室探してもらうことになってるし、古川さんからキーボード借りてうちで練習するし、暇があればここで稽古するし、それでなんとかやっていけそうな気がするんだ」
「まあそうだわな。練習二日であれだけ弾けるようになってたら、余裕じゃねえのって気はするわな。立村ちゃんよ。でもなあ」
歯切れの悪い言い方でもって言葉を濁す天羽。難波も結論を言おうとしない。静まり返る音楽室内で不意に更科が上総の真正面に入り込んだ。ピアノをふさぐ格好となる。
「どうした、更科?」
「ホームズも天羽も言いづらそうだから、俺から言っちゃっていいかな」
ぶっきらぼうに難波が「勝手にしろ」とつぶやき、天羽もポケットに手を突っ込んで「あいよ、ほらきた更科!」と空掛け声をかける。反応はもちろんない。羽飛もわけのわからなさそうな顔で「言っちまえば」と促すのみ。
「直感なんだけどね」
辺りを見渡し、更科は上総の膝元までしゃがみこんだ。他の連中も上総を囲むようにして固まり出す。
「あの先生なんだけど、学校では先生の顔してるんだけど、立村の前では普通の女子の顔にもどっちゃってるんだよね。さっきの、特別レッスンの話持ち出した時とか、瀬尾さんに食ってかかられた時とか。あの先生何歳だっけ」
「二十五歳くらいじゃねえの、一浪してるだろ」
天羽の返事にわが意をいたりとばかりに頷き、更科はたっぷり雰囲気を持たせて言い切った。
「俺たちとあの先生とはせいぜい十歳程度しか違わないんだよ。そういう気持ちが起きたとしても、不思議ないって」




