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その五 野々村先生との補習時間(1)

 実力テストは本当に実力の結果で終わった。夏休み中それなりに宿題と格闘したとはいえ、上総の場合数学と理科については羽飛からコピーをもらっただけで終わったようなもの。いわゆる勉強とは程遠いところで片付けている。五教科丸一日かけてテストを受けたわけだが、もう今更何を考えるつもりもない。これが実力だ。

 

 本当は今日、ゆっくりと音楽室でピアノの練習に励みたいところなのだがいかんせん数学の落ちこぼれゆえに補習をさぼるわけにはいかない。テスト直後といういいのか悪いのか分からないタイミングにいらいらしてくるところもあるがしかたない。さらに今日は野々村先生も様子を見に来てくれると約束してくれていたし、なかなか簡単にはいきそうもない。幸い、肥後先生は五時半まで音楽室を空けてくれていると言ってくれたので、補習が片付き次第すぐに直行するつもりではいる。

 補習教室としてあてがわれている一年B組の教室に急いだ。数学中心の補習授業は毎回教室が指定されるのが慣わしだった。珍しく今日は美里のクラスときた。あまり入ったことはない。

「立村か、その辺に座れ。このプリント解けるか」

 数学担当の新倉先生に会釈し、プリントを一枚もらう。すでに教室には同じく補習を受ける予定の生徒たちが五名ほど席についていた。固まらずばらばらに座っているのは夏休み中の個人面談にも似ている。あまり交流する機会もない。手伝いに来てくれている大学生たちが分からないことを聞くためにうろうろしている。上総の顔を見て顔をしかめる人もいた。男子ばかりだった。

「君たちはこのグループ中心に見てやってくれないか。あと、立村だけはあとで野々村先生がいらっしゃるのでその時に相談してくれ」

 ──やはり来るんだろうな。

 楚々とした風情の野々村先生が数学を得意とする国語教師という、想像を超えた人物ということに上総はまだ慣れていない。いや、野々村先生そのものと話したのは実質個人面談のみ、あとは立ち話にとどまる。狩野先生の後輩と聞いているがどのように指導してくれるのかがまだ把握しきれていない。

 今までは他の生徒たちを覗き込むようにして教室内をうろついている学生たちが、上総のことも含めて面倒をみてくれていた。教師を目指す学生たち中心にボランティアで高校の生徒たちの勉強を手伝うというのが本来のところだ。しかし、上総の数学能力が彼ら学生たちの予想を大幅に下回る出来だったこともあって、一学期はいろいろきつい言葉をぶつけてきたものだった。

 ──こんなの小学生でも説けるだろとか、数学じゃなくて算数だろとか。

 ──中学によく入れたなその頭と数学センスでとか。

 悪意はないのかもしれないが、心がどんどんきしんでいくような音が聞こえてくるようだ。自分から質問することも補習後半は少なくなった。もっとも数学担任の新倉先生も、上総の出来の悪さについては愕然としたようだった。今では数学の授業中、上総には一切当てず、飛ばして進めている。それはそれで本当は助かる。

 与えられたプリントは、たぶん中学レベルのものなんだろうとは思うが未知の数列ばかりだった。文章問題が全くないので読み取る部分もほとんどない。でも解くしかない。

 

「失礼します、立村くんは来てますか」

 しばらくX、Y、等号不等号それぞれと格闘していると、扉が開き同時に女性の声が響いた。人が少ないのでよく聞こえる。新倉先生が教卓から立ち上がり、

「来てますよ、それでは野々村先生、あとはよろしくお願いします」

 押し付けるようにして、すぐに他の生徒たちひとりひとりに話しかけ始めた。上総に声は届かない場所だった。はじかれたような位置に座ったのがまずかったのかもしれない。廊下側の一番前の席だった。

「遅くなりごめんなさい。今日のテストはどうでした?」

 少し息を切らしているようだった。白の丸襟ブラウスに紺のタイトスカート姿で野々村先生はすぐ上総の隣りに腰掛けた。

「いつもの状態です」

 言葉少なく答えるしかない。

「大丈夫よ。夏休みの宿題は全部提出したのでしょう?」

 ──全部、写しだなんて言えないよな。

 言葉を飲み込んだまま、野々村先生に改めて頭を下げた。

「今のプリントはどう?」

 黙って手渡す。十問中今だ二問しか進んでいない。野々村先生はさっと目を通したがすぐに、

「後回しにしましょう。先週も話しましたけれど立村くん、提出された自由研究のことで少しお話したいのだけど、いい?」

 数学の頭痛い説明を聞かされるよりはよい。上総はシャープをおいて手を膝に乗せ、野々村先生に向かい合った。

「よろしくお願いします、でもあまりいい出来ではないかもしれません」

「講評はまた別の先生方からいただけるはずです。でも今話したいのはそういう堅苦しい話ではないの。せっかく時間があるのだから、あの文章をまとめて書くきっかけなど少し聞いてみたいと私個人が興味を持ったことなの」

 別に隠すようなことではないのだが、研究仲間にあの清坂美里が混じっている以上穿った見方をされてしまいそうなのが怖い。しかも美里からは、合唱コンクールでまた女子たちを巡るバトルが勃発しそうな情報をもらっている。うっかり口を滑らしたら、それこそ「敵に塩を送る」展開にならないとも限らない。

 できるだけ、自分の作文のみに絞る。気をつけねば。


 とはいえ事実関係だけは話さねばならなかった。新倉先生が学生たちと談笑しながら他の生徒たちを指導している声をよそに、上総は一通り自由研究のテーマが決まるまでの経緯を説明した。C組の羽飛がああ見えて美術好きだとか、三人組は中学時代からのつながりだとか、半分以上はふたりの力作で上総が担当したのは妄想の産物だとか。

「立村くんは面白いこというわね。妄想、というのもまんざら外れているわけではないのかもしれないけれど」

 野々村先生が声を押さえて笑い、ふとまじめな表情を浮かべた。

「私、立村くんの自由研究を読ませていただいた時、明らかに小説を意識して書いたのかなとおもったのだけど、そうかしら」

「いえ、小説とは思ってません。ただ、仲間のふたりはそう感じたようです」

 美里に「小説命」とか言われてしまったのだから、野々村先生の感じ方も間違っているわけではない。たぶんそうなんだろう。

「これはあとで麻生先生から講評の際に説明されるでしょうが立村くんはこれからもっと論理的な文章を意識するよう指導される可能性が高いと思われます。物語としては本当に引き込まれたのですけど、それが研究につながるのかどうかということになるとクエスチョンマークがつくところも指摘されてしまうのはしょうがないことでしょう」

 ──やっぱりな。

 おくびにも見せずじっと拝聴する。野々村先生はしかし首をかすかに振った。

「それとは別に私も読んでみて気になったのは、立村くんが本当に書きたいことを無理に押さえ込んで無理やり分析しようとしてみて、バランスが崩れているのではといった部分です。うまい表現ではないんですけどね。十枚の原稿用紙に無理やり押し込めているだけのようで、息苦しさを感じます」

「息苦しさ、ですか」

「そうです、本当はこういう表現だけじゃない、もっと自由に書きたいこと、語りたいことがあるはずなのに自由研究という枠の中に押し込めた内容で終わらせようとしているような、そんな感じがします。いわば、あの十枚の原稿用紙は予告編であり、本当は紙の裏側に深いものがあるのでは、そんな気持ちがどうしても、ぬぐえずにいました。言いたいこと、わかってもらえる?」

「難しすぎて、少し厳しいです」

 小さい声で答えたけれど、なんとなく野々村先生の訴えたいことは理解できるような気もした。作文にも小説にもなりそこねた「妄想」。羽飛の作品そのものに対するとしての熱いパッション、美里の数値に基づいた細かな分析。それらとくらべて自分の作文は当の画家に思いいれが深くないせいもあってかきわめて一般的な話に徹しすぎていた。

「書くのだったら、まったくのノンフィクションにしてしまうのも手だったのでは? たぶん立村くんはグループでの自由研究という枠を意識しすぎていたために窮屈な文章を書いてしまったのではという気がしてなりません。せっかく面白いテーマを見つけたのに、もったいなさを感じました。その辺りが今回、評価がわかれてしまった理由かもしれません」

「あの、先生、いいですか」

 恐る恐る上総は尋ねてみた。

「今回提出した自由研究の評価がそんなに低かったのでしょうか? 僕の作文のせいで」

 上総ひとりが罵倒されるのならまだしも、仲間ふたりも道連れにしたらしゃれにならない。野々村先生はしばらく言葉を捜していたようだが、静かに頷き、

「研究ではなく創作に切り替わってしまったために、というのはあります。初めから創作作品として徹底的に掘り下げるというやり方のほうが、本当はよかったのかもしれませんね。一読者としての私は、十分楽しみましたけどね」


 ──どうしよう、羽飛、清坂氏、悪い、俺が悪かった!

 自由研究で高い評価を得られた生徒には当然それなりの扱いを受ける。美里もそのあたりの野心が見え隠れしていた。担任野々村先生とのバトルも関係しているのかもしれないが、羽飛同様かなり力を入れていた。しかし上総がわけの分からない妄想作文をぶちこんだがために、低い評価を受けてしまったとなってはこの責任、どうやって取ればいいんだろう。

 

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