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その四 練習開始(1)

 予定がどんどんずれていく。

「悪いなあ、今日はちょいと無理だわな」

 まず、こずえ宅でのピアノレッスン予定だが、最初に羽飛が一抜けた。

「お前も難波から聞いただろ? うちのクラスのはちゃめちゃ振り。結局自由曲なんになったと思う? あれだよ、あれ」

 次の日、羽飛に玄関で呼び止められ、さっそく謝られた。

「自由曲か?」

「『砂のマレイ』の映画挿入歌にどうしてもしたいっつう強引勢力に負けちまったよ。俺がてっきり指揮者やるもんだと思ってたら難波とバトンタッチさせられるし、俺が男子のパートリーダーになっちまったんで毎日放課後練習するはめになっちまったし、それになあ」

 とか言いながら、羽飛の顔はかなり緩んでいる。楽しい、のだろう。

「天羽・難波・更科、三羽烏が相変わらず燃えてて暑苦しいったらねえよ。もう、俺の身にもなれっつうの。もう昨日の夜も電話が天羽からかかってきてな、『絶対勝つぞ!』とか気合入れようとするんだぞあいつら。そういう奴だったか、中学時代」

 上総が首をひねるのに満足したのか、羽飛は拳を軽く握り、振った。

「ま、こういう風な乗りも嫌いじゃねえけど、困ったよなあ、たぶん放課後俺、敵に塩送るようなことしてるとか言われちまうから古川宅へのご訪問あまり付き合えねえかもしれねえなあ。まあ、誰か、美里あたりでもついてってくれるだろ。じゃあな」

 事情が事情だけにしかたない。一年C組の「打倒! 外部生!」魂は想像以上にでかいようだった。


 美里も昼休み、わざわざ謝りに現れた。

「こずえ、立村くん、ごめんね。私も合唱のことだけど、ちょっと毎回付き合うの無理っぽいんだ」

「これまたどうしてよ、やっぱり規律だと忙しいの?」

 こずえがいぶかしげに尋ねるが、美里はふっとため息吐きながら続けた。

「うちのクラスの人たち、合唱大好きで毎日でも練習したいんだって! C組と一緒よ。特に女子たちが美しいハーモニーを奏でたいそうで、ぜひ放課後、土日合わせて集まりましょうって盛り上がっているの。主に評議の人たちとね」

「ふうん、静内さん、合唱好きなのね」

「そうよ。何考えてるんだろう。しかもね、彼女が指揮やるのよ? ふつう、男子だよね、指揮者って。それがいつのまにか彼女が指揮者なんだから。まあそうよね。伴奏者だって立村くんがなるくらいなんだから女子が指揮者になっても不思議なんてないんだけど。だから、クラス全員が練習しなくちゃいけない雰囲気になっちゃってね。私も、たぶん抜けられそうにないの」

「あーあ、つまんないの、美里がいないのは寂しいなあ。しくしく」

「ごめんね、でも、毎日じゃないと思うし、何回かは行けるよ。立村くんもごめんね。どうにかして誰か別の人、連れてこれるといいね」

「やはり女装するしかない状況かもな」

 ぽつりとつぶやくと、こずえに思い切り頭を叩かれた。

「気色悪いこというんじゃないの! けどさあ、そうなるとどうしよか。うちのクラスもこれから本格的に練習しないとまずいだろうし。あんたも、あれでしょ。肥後先生が音楽室のピアノ使っていいって話になってるみたいだしさ。どちらにしても早いうちにキーボード持ってくるから、それでとことん訓練しなよ」

「ありがとう、たぶん大丈夫だと思う」

 上総はふたりに、簡単な練習計画を伝えた。あっという間に決まったことがある。

「一ヶ月だけ練習を見てくれる教室を紹介してもらえそうなんだ。うちの親が頼んでくれて、俺もよくわからないんだけど、今度の土曜に挨拶に行く予定なんだ」

「よかったね! あっという間に決まったね」

 美里が手を叩く。

「合唱にあわせるにはもう少し時間もらいたいけれど、これから二週間くらい音楽室で集中して弾くつもりだからたぶんなんとかなりそうな気、するよ。譜面見てたぶんこれならって感じもあるし」

「うわー、すごいなあ立村、あんたそこまでずいぶんなこと言うじゃん」

 美里が教室から出ていった後、こずえは上総に向かい時間割を指差した。

「それじゃ、しょうがないね。とりあえず平日は学校で練習ってことでよい? 土日がそのピアノの先生とこなんだよね。うちらもクラスで練習することになるだろうしさ。それに、あんた大学の授業と補習も抱えてるじゃん? 計算してみるとそんなに練習する暇ないんじゃないの」

 つっこまれて初めて気づくことばかり。その通りだ。意外と少ない。

 思わぬ落とし穴だらけで、始まってからただ戸惑うばかりだった。

 合唱のパート分けでまだ手間取っているようだが、さすがにそのあたりはこずえが手際よく進めている。上総から見ると藤沖の手抜きぶりが丸見えであきれてしまうほどなのだが、一学期の出来事を考えればそれも理由があるのだろう。その代わり、関崎がこずえにこき使われ右往左往しているのが笑えてしまう。

「とりあえずそんなわけだからさ、あんたも実力テスト終わるまでの間は待っててよね。それ終わってから、みんなで各パートの練習してもらうのにだいたい二週間くらい、伴奏はぎりぎりでも大丈夫だからね」

 その温情をありがたくいただくことにし、上総は放課後を待って即座に音楽室へと急いだ。肥後先生も勧めてくれたことだし喜んで弾くことにする。


 音楽室には誰もいなかった。実力テスト前の静けさというべきか。大抵試験一週間前は部活が停止になるものだが、勉強のためという理由付けさえあれば教室を貸してもらうのはそれほど問題がないらしい。一学期末のあの事件だって、視聴覚教室を生徒有志で大嘘ついて借りたという展開なのだから。

 上総はグランドピアノの反対側にちんまり置いてあるアップライトピアノに近づいた。最初からご立派なグランドピアノに触れる気などない。練習だったらアップライトで十分だ。さっそく近づいて蓋をあけてみる。だいぶ痛んではいるが手入れのきちんとなされた鍵盤がつやつや光っている。

 小さな椅子に腰掛けて、指先を置いて見る。譜台にコピーの譜面を開いて置く。

 「モルダウの流れ」の右手パートを、少しずつ指で弾いて見る。一音ずつ、たどたどしく、指がなんとなく覚えこむまで何度も繰り返す。譜面を見た時も思ったのだが和音が多いせいか右手の旋律だけでもなんとなくうまく奏でられたような感じがしてくる。

 次に左手だけで弾いて見る。これも何度も。右手の曲が聞こえないとどうしても無機質な音の並びにしか感じられず、上総にとっては左手パートを覚えるのがもっとも苦手な時間だった。それでもある程度繰り返せばなんとか形になる。なんとなく、他国語を覚える時のやり方に似ている。

 ──母さんに知られたら大変だよな。父さんも黙っててくれたらいいんだけどさ。

 母のやり方はまず、上総に右手と左手の旋律を録音し、最低五十回は聞き続けるように厳命する。その後ピアノでそれぞれまねて弾かせた後、今度は両手合わさったものを録音して聞かせ、それをまねさせていく。いったいこれが正しいピアノの教え方なのかは見当つかないが、なんとか上総も「エリーゼのために」にたどり着くことができた。

 しばらく指を慣らしていき、最初の四小節だけ両手で合わせて見る。

 ゆっくり、できるだけゆっくり。頭の中にイメージした旋律がうまく重なり合っていく。

 だが、いまひとつしっくりこない。スピードがなさ過ぎるせいだろうか。


 扉がいったんかちりと音を立て、すぐに閉まった。

 ──先生かな?

 上総は立ち上がり、礼の準備をした。しかし誰も入ってこなかった。代わりに音楽準備室からにこやかに、肥後先生が、

「立村くん、来てくれてるんだね。よかったよかった。せっかくだから珈琲でも飲んでいきなさい。あとで少し見てあげよう」

 そう呼び込んでくれた。

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