その一 高校一年始業式(2)
繊切の音色
その一 高校一年 始業式当日(2)
しばらくわやわやおしゃべりにふけるうちに鐘が鳴り、タイムラグもほとんどないまま麻生先生が現れた。さすがに担任が出てくるとみな黙る。
「よお、お前ら、元気だったか」
「起立、礼、着席」
麻生先生の挨拶と同時に藤沖が号令をかける。ちらっと見上げた時にも気がついたのだが、藤沖の丸刈り頭にはいまだ違和感を禁じえない。単純に夏休み中暑くて耐え難かっただけなのかもしれないが、どことなく気持ち悪さすら感じる。
「さてと、夏休み中はお前らもさぞ羽根を伸ばしてきたことと思うが、それも今だけだぞ。これから始業式が終わったらすぐ授業に突入するからな。気を引き締めていけよ。それと提出物、忘れてきたなんて奴、いないだろうな。まずはさっさと出せ。俺たちはもうお前らの自由研究がどんなものか見たくてなんなくてわくわくしてるんだぞ。藤沖、古川、手分けして回収しろ」
「はーい」
何が楽しみなんだか分からないが、言われる通りに提出物一式を机の上に載せた。男子と女子それぞれの評議委員に渡すだけなので楽なものだ。その他の宿題はそれぞれの授業で提出すればいい。ただし自由研究は羽飛にトータルで渡すよう頼んであるので上総からは何もしなくてもいいのが楽だ。思ったよりもA組で提出する奴が多いということは、まとめ役に当たる生徒が集まっているということか。
「よーし。まあ他の奴に預けているのもいるだろうしなあ。なんだかんだ言って、夏休みは顔も合わせる機会あっただろうしなあ。さてとだ。自由研究についてなんだが、簡単に述べておくと、このまま教師たちのお慰みにするだけではなくてだ」
──また予告なしの自由研究コンクールなんてやるんじゃないだろうな。
羽飛や美里たちともその点は危惧していて対策を取っていた。といっても誤字脱字がないかどうかとか、第三者に読まれてもみっともなくない外見かどうか、くらいだが。
「せっかくお前らが汗水たらして書いたものなんだから、もっと有効に活用できないかとな、ものによっては大学の専門担当の教授にお読みいただくとか、場合によっては学外のコンクールに出すとか、それなりに活用する可能性もある。その点は覚悟しとけよ」
「先生、原稿料はいくら?」
こずえが即、つっこんだ。麻生先生もにやにやしながら返す。
「ずいぶんと細かいことチェックするなあ。原稿料かあ、現物支給じゃだめか。たとえばみんなでぱーっと焼肉食いに行くとか」
「焼肉はともかく何かおいしいものならいいけど、でも先生、冗談抜きで何かに使うってことだったらいわゆる、許可とか著作権とかめんどくさいこと考えなくちゃあいけないんじゃないですか? すっごく私気になるんだけど」
軽い調子でつつくこずえ。上総も頷きたくなる。教師連中が自由研究をなんらかの形で活用するのはかまわないにしても、無断で流用されるのだけは勘弁してほしいと思う。もっとも上総の関わった自由研究で何がどうということもおこりそうにないので、あえて知らん振りをしているところもある。
「面倒なことになりそうだったらその時は直接呼び出すから、ま、そんとき考えようか。それと、あとでこれは五時間目のホームルームでも相談しなくちゃあなんないことだがな」
相変わらずの脂ぎった顔をタオルで拭き拭きしながら、麻生先生は藤沖に向かって語りかけた。
「まだ先だが九月末の合唱コンクール、そろそろ準備しないとまずいんじゃないのか、藤沖」
「はい、わかりました」
短く答える藤沖。声がいっそう太くなった。麻生先生は頷き、次に関崎へ振った。
「関崎も手伝ってもらえるよな」
「もちろんです」
自信満々に答える関崎。こいつがカラオケボックスでマイク握り締めたっきり離さない姿を知っているだけに、上総としては複雑なものがある。
「課題曲、自由曲、それぞれ決めて早めに練習に入ったほうがいいだろう。十月末には学祭もあるしそちらに重ならないように先手の対策を取ったほうがいい。それと、そうなると古川、お前も忙しくなるぞ。わかってるな」
「あったりまえでしょー! とっくの昔に準備してますよ、ね、みんな?」
女子たちに声かけするこずえだが、どことなくクラスの女子連中ののりはいまひとつだった。ひそひそ話のみ。まあこれもわからないことではない。合唱コンクールは担任だけが盛り上がり生徒はしらけるのが普通じゃないだろうかと上総は考えている。へそ曲がりと言いたければ言え。これで三年間どれだけあの野郎と戦ったことか。
「本当かあ? まあお前らがすっからかんに忘れていなかっただけでもよしとするか。さあさ、全員廊下に整列しろ。そろそろ講堂で始業式の始まりだぞ」
タイミングよく全校放送の整列案内が流れた。みな勢いよく廊下に並んでいくのを上総は眺めつつ、ゆっくり立ち上がった。急ぐ必要はない。列にもぐればいいことだ。特段、麻生先生も何も言わなかった。
評議から遠く離れ、さまざまな学校行事を眺めやる。
校長先生の二学期に向けての激励も耳からすり抜ける。
集会途中に貧血起こして倒れた生徒も四、五人いる。
──そうか、九月は合唱コンクールか。
なんとなく気にはなっていた。中学時代はなぜか中学二年しか行われなかった合唱コンクールだが、高校では毎年全学年が参加するものと定められているようだ。口を大きく開けて合唱するなんて上総の性格上耐え難いものではあるのだが、評議委員イコール指揮者という逃げ場を失った以上どうしようもない。あきらめざるを得ないだろう。
上総は後ろに並んでいるはずの関崎を肩越しに見やった。まじめな顔してじっと壇上を眺めている。
──もう歌いたくてならないんだろうな。
本当だったらソロパート与えたいくらいだが、さすがに合唱コンクールでそれはないだろう。水鳥中学ではどういう扱いされていたのかわからないが、とりあえずカラオケ好きの関崎と評議委員コンビの藤沖と古川こずえ、この三人に任せておけば間違いはないだろう。上総の出る幕はない。
──それよか、早く放課後にならないかな。杉本と一緒に写真受け取りに行かないとな。