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その三 伴奏者面接(6)

 周囲の連中がわざとらしく騒いでいるのと、わけがわからない顔をしたまま藤沖に食って掛かっている関崎を尻目に、上総は教室を抜け出さざるを得なかった。ラッキーといえばそれまでなのだが、C組の難波がわざわざ上総を呼び出しに来てくれたからだった。

「悪いがこいつ借りてくからな。一応肥後先生に呼び出し食らってるんだ。理由はだいたいわかるだろ」

 タイミングもぴったりだ。肥後先生が上総に放課後譜面を渡すという約束をしていたことを、ようやくここでみなが思い出し、こずえの、

「ああ、ホームズ様どうもどうも。悪いわねえ、隣りのライバルだってのに出来の悪い弟を面倒見てくれるなんてありがたいことじゃないの、ほら立村、あんたはさっさと行きな!」

 突き飛ばすような言い方でおいだされたと言ってもよい。

 ──出来の悪い弟で悪かったな。

 こずえに文句のひとつでもぶちかましたいが、残念ながらA組はただいま藤沖の関崎指揮者就任にあたるアピール演説にみな聞き入っている最中だった。関崎が助けを求めたそうな顔で上総をちらと見たが、知ったことじゃない。自分で何とかしろと言いたい。


「助かったよ」

 廊下に出て三階へ向かい上総はまず難波に礼を言った。

「修羅場がちょうど始まってたとこなんだ」

「お互い様だ、うちのクラスもこれからだ」

 相変わらずぶっきらぼうに難波がつぶやく。黒ぶちめがねをはずし汗を拭く。

「自由曲を今日中に何とかしないとならないってのはきついぞ」

「どういう曲で考えてる?」

「合唱の定番曲でいいじゃねえかと俺は思う。だが、一部の奴らが妙にポップス系に肩入れして今から譜面探そうと間の抜けたことを言い出しているときた。あと一ヶ月だってのに何考えてるのか俺には理解できるようで、できない」

「理解できるようで、できない?」

 回りくどい言い方だった。尋ね返すとホームズ難波は髪の毛をかきあげるような意味不明の気障ポーズを決めた後、

「正直俺にはクラシックなんぞわからんし、合唱のよさも理解不能だ。音楽の感性などない奴だが、それでも耳に入ってくれば気分よく口ずさんだりもするわけだ。そういう気持ちになれる曲を選ぶとしたら、どう考えてもポップスになるだろう。合唱曲がつまらんとは思わない。ただ歌いたくならないというそれだけのことだ」

「でもさ、ポップスを選んでも楽譜はどうする? それに四部合唱になるのか?」

「それも含めてただいま俺を除いたC組全員で大議論の真っ最中だ。俺もこれから肥後先生に呼び出し食らっているから抜け出しただけなんだが」

 なんだ、難波も同じ穴の狢だった。少しほっとして笑った。

 ──ということは、羽飛も、天羽も、更科も、みな熱く盛り上がっているということなんだな。


 三階音楽室にたどり着いた。廊下最奥の教室で、すぐ側に生徒相談室が設置されている。いつも授業で通うときは気にしたことなかったが、こういう場所にあるということは、

「放課後人気がない場所、という条件なんだろうな」

「確認は取れていないがそういう意味だろうな」

 会話を交わしつつ、音楽室の扉を開いた。挨拶し中に入った。グランドピアノ奥の戸が開いて、おまんじゅう顔の肥後先生がひょっこり顔を出した。

「待ちかねてたよ。ふたりとも、こちらへ来たまえ」

 ──今の時代「来たまえ」とか使うか?

 ちっとも毒のない口調で、かなりしゃちほこばった言い方をするものだから、正直戸惑う。悪意は感じないのだが、皮肉を言われていると邪推したくなる時もある。

「けど難波、お前はなんで呼び出された? 俺は譜面のことがあるからだけど」

「今お前のクラスが揉めてるのと同じ意味だ」

 なぞめいた言い方でごまかし、難波はすぐに奥の音楽準備室へと入っていった。上総もくっついていくしかない。それにしても放課後の音楽室はこんなに静かなものなのかと少し驚いた。てっきりだれかが練習しているものだと思っていた。


「さあそちらに座ってくれたまえ。さすがに喉も渇くだろう、お茶をどうぞ」

 すでに二人分用意されている。グラスにアイス珈琲がなみなみと注がれている。見るからに冷たそうだが、部屋には冷蔵庫の類など見当たらない。

「いつも家からアイスクーラーを用意して一日分の飲み物を用意しているんだよ。水分補給は大切だからね。珈琲には僕なりにこだわりがある」

 ──なんだか、茶まんじゅうに番茶の方が似合いそうだよな。

 愛想のよい音楽教師・肥後先生はにこやかに振舞いつつ、口調だけはどこかのお偉方のような雰囲気をかもし出していた。やはり青大附高の先生はよくわからない。そのままどっかりと自分のパイプ椅子に腰掛けると、上総たちをほほえましそうに見つめた。

「最初に立村くんへ渡しておこうか。『モルダウの流れ』と『恋はみずいろ』、モルダウは比較的易しいバージョンの編曲を選んだけれど、決して子ども騙しのものではない。それと『恋はみずいろ』だがこちらは課題曲なのでみな同じ楽譜だが、『モルダウ』よりは耳になじみやすいだろうね」

 ──どちらも習ってるし、聞いているし、それに好きなメロディだし。

「ありがとうございます」

 きっちり受け取り、頭を下げた。譜面をちらっと覗く。隣りの難波もちらちら見る。

「音楽の授業ではあまり詳しく確認できなかったのだけど、せっかくの機会だ。立村くんにピアノへの関わり方をもう少し教えてもらいたいのだけれども、よろしいかな」

「はい、でも、ほとんど先生が麻生先生に説明されたのと同じ内容になると思います」

 難波も首をひねったまま上総を興味深そうに見やる。

「就学前からということでよいのかい」

「はい、母からかんたんな手ほどきを受けて、そのあとは休みごとに一曲ずつ仕上げていく形式を取りました」

「本当は指の訓練をする意味でも練習をしてほしいところがあるのだけれど、君の場合は少し特殊だね。しょうがないところもあるか」

 自分に納得させるように肥後先生はつぶやき、上総に話を促した。

「それで、練習場所はどうするつもりかな」

「はい、クラスメートでピアノを貸してくれる人がいますし、キーボードも借りるつもりなので家での稽古はなんとかなると思います」

「キーボードは、そうか。全くないよりもあったほうがいいがな。まあいい、どちらにしてもピアノが必要なことには変わりない。そこで相談なんだけどね、立村くん」

 肥後先生はグラス珈琲にガムシロップ三つ流し込み、ごくりと飲んだ。

「君も三時間目、宇津木野さんや疋田さん、瀬尾さんの見事な演奏を聴いたわけだし、かなりプレッシャーがかかっていると思う。正直なところ僕は、君がいきなりひとりで二曲弾くというのは普通だったら荷が重いのではという感想を持っている。そう感じることは事実だからしかたない。決して君を責めているわけではなく、音楽に携わるものとしての冷静な判断だ」

 ──だけどやるしかないんだよ、しょうがないだろ。

 言い返すつもりもなく、こっくり頷き話を聴く。むかつくのは難波も同じく深い頷きを返すところだった。

「ただ、全くゼロからのスタートというわけではないし、立村くんの演奏には光る部分も確かにある。君は気づいていないかもしれないけれども、きっちりと感情が表現されている。全くの棒ではない。だから君が伴奏を担当するのはかなり面白いことになると僕は、これも音楽で食べているものとして期待もしているよ。お世辞ではないんだからね」

 ──まあ、顔を見ていればわかるな、それは。

 悪意全くない、のどかな口調。

「伴奏とは、合唱とのバランスが必要で、そこのところがソロ演奏とは違うところなんだよ。一曲ずつ演奏する分には先の三人にかなうわけがないかもしれないけれども、合唱というファクターがあれば、君の上達具合によっては周囲をあっと言わせることも不可能ではない。あえて自分がでしゃばるのではなく、押さえて徹底して歌に沿わせる。言葉ではありふれた表現になるが、一言で片付けるならば気持ちよく寝られる曲だな。それを目指すのも悪くない」

 褒められているのかけなされているのかよくわからない言い方を肥後先生はし続ける。

「ただどちらにしても練習が必要なのは確かだ。幸い、今回の合唱コンクール伴奏者はみな自宅にピアノがある家庭のお子さんばかりだし、立村くんが望むならここのピアノを音楽室が開いている時であればいつでも利用してもいい。いやむしろ、空き時間を見計らってもぐりこんできてほしい。一応、吹奏楽の練習もここで行うこともあるが、今の時期は場所の都合もあって青潟記念館で行っているからその辺は心配しなくていい。あとはできればなんだが、一ヶ月でもいいから誰か先生についてもらうことを考えてほしい。君はお母さんに教えてもらったということなんだが、指遣いについてはあまり細かい指導を受けていなかったみたいだね。僕も誰か手伝ってくれそうな卒業生を数人当たって見るよ」

「あ、あの、ありがとうございます」

 こんなにしてもらっていいのだろうか。中学時代、お世辞にも音楽の成績はあまりよいとはいえなかった。実技はともかく、筆記試験の和音やコードに関してついて、数学の公式みたいな覚え方が出来なかったせいだ。直感で耳で聞き取り書いたり弾いたりの方はまだましだが、諸事情で他人に公開したことはない。それに今まで目立たない生徒だったはずなのに、なぜここまで。

 お礼を言うため口をもごもごさせている上総をよそに、今度は難波へ話しかけている肥後先生、話を切り替え、

「そして、難波くん。君にもこれから本気で一ヶ月、特訓してもらわねばならないね。理由はよく分かっているはずだよ」

「は、はあ」

 さっきまで上総を面白おかしく観察していたらしい難波だが、いきなりあわを食い出した。今度は上総がじっくり見据えてやる番だ。手付かずのアイス珈琲を飲んだ。しっかり冷えていて、濃くて苦味がじわりと広がる。もちろんガムシロップは入れない。

「分かっているかね、難波くん」

 肥後先生は頷きながら難波へ、かみ締めるように語りかけた。

「歌が苦手だから指揮者に逃げるという選択肢は決して甘いものではないよ。そのこともよくわかっているね」


 ──中学二年時の合唱コンクールの皮肉かよ。けど、C組の指揮者は確か羽飛じゃなかったか? どうだったろう、難波なのか? 

 やはりC組もただいま荒れ模様のようだということだけはよく理解した。

 

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