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その三 伴奏者面接(3)

 英語科一年の野郎連中が冷静だったのには訳がある。

 青大附高の芸術科目は音楽・書道・美術のどれかを選択する必要があるのだが、音楽の選択者は男子のみだとたったの四人。しかもそのうち三人は吹奏楽部ゆえという明確な理由が存在する。上総が音楽を選んだのは単純に、「美術より向いている」というそれだけだった。今思えば書道の方が向いていたのではと思わなくもないのだがあまり深いことは考えていない。

 合唱コンクールに関してはさすがにみな、元気よく歌わないとまずいだろう、といった雰囲気がなんとなくあり、協力する意思は男子たちもそれなりに持っているようだ。夏休みの話題でも合唱コンクールについていろいろ話をすることがあったが、決して「かったりーやりたくねえ」とか「練習女子に任せちまって逃げるか」とかそいうやる気なさげな発言はほとんどなかった。むしろ「女子めんどくせえみたいだなあ、古川姉御苦労してるぜ」とか「もうちっとポップスっぽい自由曲ってのだめなのかよ」とか、わりと興味ありありで食いつく奴がほとんどだった。

 特に合唱の出来不出来に対しては拘らないけれど、青大附高生たるもの学校行事があれば燃えないでどうする、そんなもったいないことしたくない、というのが基本姿勢。

 ただしこれはすべて男子の場合だ。

 上総の知る限り、女子はそう一筋縄ではいかない雰囲気のようだった。


 女子の場合は十五人中八人が音楽選択だった。それなりに習い事もしている生徒が多いのと、やはり多い吹奏楽部。青大附高のなかではないけれど他高校の連中とバンドを組んでいる子もいると聞いている。詳しいことはわからないが、とにかく音楽の耳が肥えているし、こだわりも強い。いや、強い「らしい」。あくまでもこずえの伝聞だが。

「うちのクラスはねえ、表向きおとなしそうに見えるけど結構みなプライド高いから、声かけるのも気を遣うよ。どうなんだろうねえ、あんたが伴奏者になっちゃったら、まともに歌う気になってくれるのかねえ」

 三時間目前、音楽室に向かう途中でこずえに話しかけられた。いかにもたまたま一緒に歩いているという雰囲気をかもし出しているが、内容はなんとなく秘密のにおいがする。

「どういう展開になるかわかんないし、他の組の子たちもいるしね。ある程度覚悟はしときなさいよ。まあ、あんたに決まるのはほぼ九十九パーセント確定。奇跡的にあのふたりのうちひとりが気を変えないうちはね」

「変えてほしいのか?」

「それの方が楽じゃん? 決まったら決まったでこれからが勝負だからね」

 こずえは音楽の教科書とノートを抱えて上総の歩く速さにあわせた。

「はっきりしてることはさ、あんたがしっかり『エリーゼ』弾かないとまずいってことだよ。今日の音楽の授業はたぶん、伴奏者の顔合わせみたいなところあるし、肥後先生もまあね、あまりやる気なさそうだけどやっぱり音楽にはそれなりに拘るじゃん? あんまり音楽の神様を冒涜するような弾き方はむかっと来ると思うよ。あんた、そういえば楽譜は?」

「ないよ。暗譜しかできないし」

「あんた、本番にやたらと強いからねえ」

 

 音楽室に入り、いつもの最後尾に座る。りつむらの「り」だから、比較的出席番号順では後ろになる。C組との合同授業で計三十人。C組の男子は結構音楽選択者が多いのだがこれもわけがある。教師たちの陰謀で固められた男子評議三羽烏が顔をそろえているというのが大きい。三人とも二年の合唱コンクールでは指揮者を勤めた経歴もあり、評議委員会で鍛えられた発声も身に着けていることありで、自然とその選択となったと聞く。ちなみに羽飛は当然のことながら美術選択なのでこの授業には顔を出さない。

「りっちゃん、りっちゃん」

 南雲が上総を見つけてひとつ間を置いた前の席から立ち上がり近づいてきた。

「今日は朝から大変だねえ」

「もう噂流れているのか」

「そりゃあもう。すごいことになってまっせ」

 本当は前の席が難波のはずなのだが、気にせず座り込んだ。隣りのB組ならともかく、ひとつおいたC組にまで話が来ている以上、もう一年全クラスに知れ渡っていると覚悟した方がよさそうだ。

「うちのクラスの伴奏さんは最初っから決まってるしそれは何にも心配ないんだけどね。自由曲がまだ決まらないんだよな。そちらんほうが問題のような気、するんだけどさ、りっちゃんどう思う?」

「うちのクラスは『モルダウの流れ』でさっさと決まってた」

 たぶんこずえが夏休み中にどんどん進めたのだろう。音楽にこだわりがない男子たちと、拘る女子たちとの調整をどう取ったのかはわからない。

「古川さんが走り回って女子たちの意見をまとめたらしいと聞いているけど」

「さっすが我らが誇る元青大附中D組の女王さま! いやほんと、今はもうA組のまじ女帝と聞いてるけど、すごいっすね」

「古川さんに負担が行き過ぎているような気がするんだ」

 普段から思っていたことがぽろりとこぼれた。

「あの無敵な女王さまに、いったい、なぜ?」

「うまく言えないけど、なんだかひとりで全部片付けていて、身体持つのかな」

「女王さまはやりたくてやってなさるんですからしょうがないっすよ。それよかりっちゃん、身体が持つったら自分のことじゃん?」

 さすがの南雲も声を潜めた。

「やるからには一ヶ月死に物狂いでピアノにかじりつくつもりでいるけどさ」

「うちのクラスの伴奏さん、夏休み前から課題曲に命賭けてるよ。自由曲は決まったらすぐ取り掛かる必要あるし早く決めろって尻叩かれてる、うちの担任」

「早ければ早いほうがいいよな」

 たぶん心配してくれているのだろうとは思う。南雲は決して「心配だな、大丈夫か」といった表現をしない。むしろ軽く、さらりと、上総を気遣う台詞をふっと飛ばすのみ。それを受け取って紙風船をで遊ぶように笑顔で受け取ることのできる、そんな言葉の持ち主だった。

 女子たちが揃い始めるとまた視線が絡まり始める。南雲としゃべっているのが目立つのかもしれない。噂によると南雲が音楽を選択するらしいという噂が広がってから、C組の女子たちの多くがそれに倣ったらしいとも。いろいろあったにせよ、青大附中のアイドル規律委員長はいまだ健在である。さらりとした笑みと軽やかな語り口、過去現在問わずいつも女子たちをひきつける。


「では君たち、本日の授業は予定を変更して、来る九月末に行われる合唱コンクールの伴奏に関しての話し合いをお願いしたいのだが、いかがかな」

 肥後先生……おそらく狩野先生よりは年上だが麻生先生よりは年下と思われる……が音楽準備室から現れてピアノの前で軽く手を打った。どことなくあんころもちのようなふっくら加減もさることながら、いつも清潔感のあるスーツをまとっている。今日も生成りのスーツに薄いピンクのシャツを身にまとっている。

 上総の前にいつのまに陣取っている難波……これも教師の陰謀で音楽委員を任せられてしまった哀れな奴なのだが……が立ち上がり、いつもの理屈っぽい口調で説明しだした。

「現在、課題曲の練習は夏休み中どんどん進んでいるのですが、自由曲が絞り込めて以内状況です」

「それは困ったね。早く決めないと伴奏の人たちも大変だよ。それではA組は」

 A組の男子音楽委員、小立こだちが立ち上がった。現状説明である。分かりきっていることだ。

「自由曲は『モルダウの流れ』です。今日中に伴奏者を決めてすぐに練習に入る予定です。実力テストが間に入るので時間が少し厳しいのですが」

「ずいぶん、のんびりしているね。合唱の盛んな学校では一学期の段階で曲を決めて、夏休みから稽古を始め、伴奏者も準備を整えているとも聞いているんだがね。それで先生たちからもお話を伺っている、伴奏者のことだけども」

 横に押しつぶした酒まんじゅうを思わせる肥後先生は、口調とは別の穏やかな眼差しで上総を見た。どうやら、麻生先生からはもう朝のニュースが伝わっているのだろう。

「立村くん、詳しい事情は後にして、まずは弾いてくれないかな。合唱コンクールの準備がA組もC組も大幅に遅れているらしいということだけは把握した以上、伴奏を覚えるのにはかなりがんばってもらわないといけないからね。少し緊張するかもしれないが、クラスメートの前で曲を披露する機会はそうそうないと思って、覚悟してやってくれたまえ」

 ──悪い先生ではないんだろうけど、「くれたまえ」って今時遣わないよな。

 それでもおくびには出さず、上総は立ち上がりグランドピアノの前に立った。たぶん生まれて初めてグランドピアノに触れることになる。席の間を縫って歩く時、難波が、

「立村、本気かよ」

呆れ顔でつぶやいたのと、

「もっと早くわかってたら、評議のビデオ演劇に立村の生演奏入れられたのになあ」

 勘違いした感慨にふけっている更科と、

「いやーこれはめでたいっすよ、俺もう今からわくわくじゃん。羽飛も言ってたぞ、立村まじピアニストだってな。さっすが我らが評議の誇り!」

 他の男子連中に向かって懸命に話しかけ場を盛り上げようとする天羽と。

 南雲は楽しげに微笑んでいるだけだった。


 ──関崎がいないんだな。

 ちらと席の顔ぶれを眺めて思った。

 ──あいつ芸術科目選択するとき、自分が音痴だと思いこんでいたから書道選んだって言ってたな。大いなる間違いだよあれ。

 どうでもいいことを考えて、ぴくりと反応する心臓近くの筋肉をなだめる。目的は伴奏ができればいい、それだけ。ピアノが上手とか褒められる必要はない。ただ、九月までに弾きこなせればいい、それだけ。緊張なんてしなくていい。いいはずだ。

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