その二 元三年D組四人組の秘密集会(6)
明るく騒いではいるけれども、こずえもかなり参っているのだろう。
羽飛が気づいているくらいだから相当なものだろう。
「古川さん、落ち着いたか」
美里と冗談っぽく泣きまねしたりベートーベンのかきむしりポーズをしてみせたりとふざけているのを少し様子見した後、上総は声をかけた。
「私は最初っから落ち着いてるってば! んもう、立村、あんた核心にやたら迫りすぎるからこっちだってもう頭痛くなっちゃったじゃん!」
それでも吐き出すべきものは吐き出したので、だいぶすっきりしたのだろう。挙げた顔は明るかった。膝を打って立ち上がった。
「じゃ、追加でさっき美里からもらったクッキーに手をつけるか! 悪いけどあれもちょこっとうちの弟に回すけど、いいかな?」
「もちろんいいに決まってるじゃない!」
ほっとした声で美里はこずえを送り出した。
「ねえねえ、けどさ、ほんっと困ったねA組も。私ももし同じクラスだったら、前の先生のとこにもう一度お願いして一ヶ月だけレッスンしてもらうとかするけど、こずえのようにあれだけブランクがあったらきついよね」
こずえが席をはずした間に、美里が頬杖ついてつぶやいた。
「かといって、立村くんが担当したとしても稽古どうしようかってことになるもんね。ピアノがないんだもんね」
「そうなんだよな、俺もそれは気づかなかった。音楽室で練習できるとは限らないしな」
なんとなく、練習は音楽室のピアノを借りようと思っていたのだが、よく考えると吹奏楽の練習とか授業とかいろいろあるだろうし、同じ立場の伴奏者がいないとも限らない。必ずしもピアノを占拠できるとは限らない。
「ほんとは私もピアノ貸してあげたいんだけど」
「いや、いいよ。かえってお互い気まずくなるし」
「あっそっか」
去年の秋にやらかした羽飛との事件を思い起こしあえて断るしかない。美里はいいとしても、一緒にいる家族があまりいい顔しないだろう。
「でもなあ、お前、あれだけ弾けるならたぶんなんとかなるんじゃねえ?」
羽飛が脳天気に上総の肩を叩いた。
「誰かからキーボード借りて家で練習するってのはどうだ? それともオルガンとかねえか」
「だめだよ貴史、オルガンとかエレクトーンとかはピアノとは違って鍵盤の感覚が全然違うの。なんとなくふわっとした感じなの。ピアノ慣れしている人ならそれでもいけるかもしれないけど、立村くんやこずえみたいな人にはだめだめ」
「うまくいかねえなあ。いい方法なんかねえか」
「そうなんだよねえ。立村くんが女の子ならこずえのうちに毎日通ってあのピアノ弾かせてもらうってのもあるかもしれないけど」
「そっか、じゃあ立村、明日からお前女装しろ」
黙って上総は羽飛の頭を押し返した。なかなかいい案が出てこない。
「おまたっせー! さあてと、立村が持ってきてくれたお茶二杯目なんだけどね、今回ちょこっとアレンジしてみたんだ。どうかなこれ」
お盆にクッキーを華やかに盛り付け、四人分のグラスを新しく用意し、炭酸のしゅわしゅわ音が響く中テーブルに並べた。
「あれ、これどうしたの? なんか雰囲気違うね」
「さっき何気なく見たらさ、サイダーがまだ冷蔵庫に残ってて、さらに冷凍庫覗いたらこの前うちで作って凍らせっぱなしのアイスが一人前ちんまり残ってたのよねえ。四人分には足りないけど、ほら、こうやってクリームソーダっぽくしたらなかなか豪華じゃん?」
茶にサイダーを足し、その上にたっぷりバニラアイスを盛り付けてある。ストローも刺さっている。どこぞの喫茶店の雰囲気が漂う。
「これいいな。すごく合うよ。ただ水に溶くより」
すぐに感想を伝える。甘ったるくなくて、それでいて炭酸の弾け具合がちょうどよくて頭がさっぱりする。
「ほんと、こずえすごーい! これこずえが考えたの?」
「あったりまえじゃん! せっかくお客様がいらしたんだから、おもてなししなくっちゃあね」
「ん、まじうめえ」
羽飛が一気に飲み干したのを、こずえは満足そうに眺めてまたすぐ美里の隣りに座った。
「でさ、さっきの件なんだけど、いいこと思いついたんだ。いい?」
いたずらっぽく口元にえくぼを浮かべ、まず上総を指差した。
「立村、確認なんだけどさ、あんた、二曲弾く根性ある?」
「曲があまり難しくなければ、覚悟はあるよ」
「練習場所だけだよね、ネックになってるのって」
こずえはつぶやき、次に美里に向き直った。
「あのさ美里、これから一ヶ月だけ、できるだけ私のうちに放課後遊びに来ること、可能? もちろん委員会も関わってくるから毎日ってのは無理かもしれないけど」
「うん、規律委員会があまり忙しくなければできるだけ時間は作るよ」
「そっか、やっぱ頼りになるね美里は。そいと羽飛、あんたもどう? 評議委員会がこれからどのくらい忙しくなるかにもかかってくるんだけど」
「うーん、そうだなあ。うちのクラスの合唱コンクールも関係してくるしなあ、約束が難しいけど、立村がいればなあ。やっぱ俺たち、野獣だもんなあ、がおがお」
「野獣でもいいんだけど羽飛限定なんだよねえ。まいっか。んじゃ説明するけどさ」
こずえは両手を組み合わせ、テーブルに置いた。
「立村が本気で伴奏に燃えてくれるんだったら、これから一ヶ月、うちのピアノを練習用に提供しようかなって思ったんだ」
こずえがいない間に美里が提案した方法だった。
「それ、さっき清坂氏に提案されたんだけどさ、やはりそれこそ男子がひとりくっついていくのはまずいだろう?」
「女装させるなんていうなよ」
羽飛の茶化しをこずえはストローで突き刺して制止し、
「そっちの趣味はないから。私、性癖ノーマルよん。けどあんたらの言う通り男子ひとりが私のうちに来て長逗留するのはやっぱまずいよ。うちの母さんも、なんてかそう、結構うるさいんだよね。不純異性交遊立村相手に起きるわけないじゃん近親相姦だよとか言いたいけど、そんなの通じないしね」
三人で頷く。こずえは満足げに続けた。
「わかってくれてるようでよろしい。けど、男子だけだったらってことなんだよ。今日みたいに男子ふたりいても女子がひとりいれば、問題ないんだよ。これ、抜け穴ね」
「抜け穴、なのか?」
こずえの言い方がよくわからない。上総なりにつぶやいた。
「最近、親のいない家にたむろうだけで注意される時代だしな」
「なにしみじみしてるの。とにかく、ここで私の提案なんだけどさ。この四人組でしばらく、私のうちで遊んでってもらいたいってことなんだよね。男女混合四人だったら大丈夫だよ。三人でここでしゃべっている間、立村ひとりがひたすらピアノに向かって音符を追っかけていればいいのよ。美里と羽飛は私の濃厚サービスをたっぷり受けて昇天してもらいましょ」
「食い物の濃厚サービスなら大歓迎だがなあ」
吹き出しつつも、羽飛が手を打った。
「けど、確かにな。これはすげえ。古川いいこと思いついたなあ」
「うちの母さんがいる時をできるだけ狙うから、内緒話やエッチなことはできないけど、でも目的がさ、立村の稽古場所確保ってだけだったらそれでいいじゃん? まあもしかしたら音楽室使えるかもしれないし、状況変わるかもしれないけど、その線で行ってみたらどうかなって思うんだよね。どう、立村、この案は」
改めて上総に再確認する。
──なるほどな。変な噂を立てられないように、古川さんのお母さんがいる時間帯を狙って四人で訪問し、遊びがてらピアノを弾く場所を押さえる、か。
これしかベストな方法がなさそうだ。こずえにあっぱれと伝えたい。
「ぜひ、それでお願いします」
土下座はしないがきちんと背を伸ばし、最敬礼した。
「よしよし、よかったよかった。いい案思いついてやっぱ私天才じゃん! あとさ、決まってからでよければ、私が使ってるキーボード今度持ってきなよ。私はピアノがあるからそっちで練習するし。キーボードとピアノは全然違うけど、でも弾けないよかましだよね」
「古川さん、そこまでもさ」
さすがに遠慮の言葉を口にするが、こずえは動じず首を振った。
「私もねえ、伴奏も覚悟したけど独学は絶対無理だし、だからってあの超おっかない先生とこにもっかい稽古してもらうなんてしたら、胃に穴開いちゃうよ。立村くらい弾ければたぶん大丈夫だと思うんだよね。んじゃ、明日にでも麻生先生に立村を伴奏者にするってことで話、つけるよ。麻生先生のことだからあんたの実力疑うかもしれないけど、その点は覚悟しときなさいよ。ま、あんたのエリーゼを聴かせてやれば一発だけどね。二曲、頼んだよ立村!」
上総の後ろに回り、こずえはぎゅっと両肩を押さえつけた。同時に指先でマッサージし出した。凝っているところにちょうど当たって気持ちいい。
「わかった、じゃあ俺は、ひたすら弾くことに集中する。古川さんがまとめ役に専念できるように、できるだけのことするからさ」
心地よすぎてつい、機嫌のいいことを口走ってしまった。今度は美里がこずえの後ろに回り拳骨でリズミカルに肩を叩いている。
「美里、せっかくだしあんたも何か一曲弾いてよ。覚えているのでいいからさ」
「いいの? うん、じゃあ私、『砂のマレイ』の主題歌、自己流だけど弾いちゃうね!」
「こういうわかりやすいのがクラシックど素人の俺にはすっげえうれしい」
羽飛の台詞に笑いをこらえつつ、上総は美里の奏で出す音色に耳を傾けた。
──もっと早く俺がピアノの話、していたら。
指がくるくる回るスピード感溢れる演奏だった。上総はふと思った。
──清坂氏ともっと早く、音楽の話ができたのかもな。惜しかったな。