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その二 元三年D組四人組の秘密集会(5)

 ──指先、軽いな。弾きやすい。

 今年の夏休みは五日間だけ母の実家に居候した。肝心の母は例の結洲の会でほとんど顔を出さなかったし父も仕事でうまく抜け出していて、結局残されたのは上総ひとりだった。母の娘時代使っていた部屋をねぐらにして、ひたすら読書にふけっていた。勉強はほとんどしなかった。毎年のことだし過ごし方も決まっていいる。祖父母も上総の扱いを心得ていて、本とお菓子とほんの少しの小遣いのみで放置してくれていた。暇つぶしのひとつに、ピアノのお稽古が含まれていた。母の部屋に鎮座ましていたアップライトピアノは、こずえのものとは違い指先が重く沈むようでそれが普通だと思っていた。

 去年、おととしとかなり厳しく仕込まれたこともあって、なんとか「エリーゼのために」は暗譜していたつもりだった。本当はこずえと同じように、最近はやりのシンセサイザーミュージックを耳コピーで聞き取って思い切り弾きたい。ここはこずえに敬意を表して、クラシックで対抗する。

 ──本当はバロックっぽい方が好きなんだけどな。うちの母さんやたらと女の子めいた曲に拘るんだからさ。どうせ俺に弾けっていうなら、少しは曲、選ばせろよな。

 

 かなりとちりまくった気もするが、なんとか形にはなったはずだ。丸椅子に座ったままくるりと回って三人の反応を伺った。みな、何か言葉を探すのに苦慮しているのが見え見えだ。拍手がない。しばらく沈黙のあと、遠慮するように美里が、

「立村くんのうち、ピアノ、ないんだもんね」

「そう、ほとんど練習してないよ。この曲も比較的最近覚えたけど、一ヶ月近くもう弾いてないし」

「古川もそうだけどな、立村もずいぶん記憶力いいじゃん」

 羽飛が難しい顔をして上総に問いかける。

「けどこういうてろてろてろてろとかいう曲、お前、本気で弾きたいと思ってるのかよ」

「別の曲だったらもっと本気で練習したかもしれないな」

「そう来るかい、あんたさ」

 褒めるもけなすも判断しがたい雰囲気を断ち切ったのはこずえだった。

「立村に聞きたいんだけどさ、これだけ弾けるんだったらもっと早く言えばいいのにとか思ったりしたの、私だけ? あんたからしたらピアノうちにないんだからしょうがないじゃんてのが本音かもしれないけどねえ」

 美里と羽飛が互いに顔を見合い頷く。なんだかこのふたり、気がつくとあうんの呼吸で頷いてばかりいる。

「まあなあ、正直俺も立村がこれだけピアノ弾ける奴とは思わなかったってのが本音だなあ。てか、あと誰か知ってるのか? お前の最終兵器」

「別に最終兵器ってわけでもないけど、話す機会なかったしそれに」

 結局三人とも上総の出来栄えにはあまり興味がなさそうだ。とりあえずは、こずえに挑戦状をたたきつける程度には鍵盤をたたくことができる、と認識はしてもらえたようではあった。

「今回みたいなことがなければ、たぶん卒業するまで絶対言わなかったと思うんだ。俺もあまり人前で披露するとかそういうの苦手だし」

「とか言いながら、立村くん二年の合唱コンクールでは指揮者だったはずだけど、あれも十分目立ってると思うよ」

 美里が茶化す。

「男子評議委員の義務だと思えば恥ずかしくもないよ」

「そういうことね」

 のんきに交わしていくものの、なんとなくぎこちない。最初にこずえが「人形の夢と目覚め」を軽やかに弾いてのけた時の盛り上がりとは違う、どことなく言葉をはばかる雰囲気が気になる。上総としては、とりあえず「合唱コンクールの伴奏はなんとかこなせるかもしれない」ところを売り込みたかっただけだったのだが、もう少し何か言ってほしいとも思う。

「立村、じゃあひとつ聞きたいんだけどさ」

 こずえはしばらくソファーの上で膝を抱えて考え込んでいた。時折「うーん」とうなりつつ、ふっと顔を挙げ、

「あんた、どうやって練習するつもりなの」


 ──そうだった、わかってたくせに、忘れてた。

 盲点を突かれた。その通りだ。

「確かに、そうだよな。そうか」

「今頃自覚したわけ? あんたさあ、男気出して私を姫君扱いしてくれたのはありがたいことだよ。まあできれば隣の誰かさんにバトンタッチしてもらいたいなんてことは言わないけど、素直にそれは大感謝セールだよ。けど、あんた私に言ったじゃないの。あと一ヶ月しかないんだって。二曲仕上げられるかって」

「ごめん、その通りだった。完全に抜けてたよな」

 なんだかしぼんでしまいたくなる。勢いづいてこずえに手を差し伸べようとしたつもりが見事跳ね返されたという情けない結末ときた。かっこ悪いったらない。

「素直に認めてるならさらに言うけどさ。今、私、伴奏のことばっか頭にあると思ってるかもしれないけど、一応合唱コンクールだから歌があるんだよ。しかもうちのクラス人数がただでさえ少ないじゃん。そこで二人も抜けたらどうすんの。私はこれでもアルトパート、あんたはテノールだろうけど、合唱するにしても迫力足りなくなっちゃうじゃん。圧倒的に賞狙いは不利よね」

「賞狙い、って、古川さんもしかして、賞、狙ってるのか?」

 思わず上総が問いかけると、こずえは「オーマイガット!」と万歳してみせた。

「あったりまえじゃん! あんたさ、一応は合唱コンクールなんだからさ、コンクールだよ! トップ取らなくてどうするのさ。ねえ美里、B組はどんな調子?」

 いきなり振られた美里は慌てて思い出すような瞳で天井を見上げた。

「一応自由曲は『翼をください』で決まったよ。うちのクラスは伴奏者最初から決まってるから楽。ひとりで全部弾いてくれちゃう」

「楽だからいいねえ、で羽飛のC組は?」

「ただいま揉め中。あ、ピアノは問題なしなし。問題は歌いたい曲をいわゆる合唱もんにするのかいわゆるポップスッぽいもんにするかで大議論続いてるぞ。いつになったら終わるんだなあ。めんどくせえ」

「鈴蘭優の歌はなしってことかあ、わかったわかった。どっちにしてもみんな、それなりに燃えてるじゃん? D組だけはよくわかんないけど、うちのクラスはどうなるんだろ。やっぱこの機会に男女一緒に燃えたいじゃん? いやね、別に、情熱の恋に身を焦がしたいんじゃなくってさ」

「やはりそうか、そういうもんだよな」

 しみじみつぶやくと、こずえが立ち上がり上総の頭を軽く叩いた。

「あのねえ、立村、またいじけるわけ? 言っとくけど、あんたさすが自分で言うだけあってうまいよ。それはお世辞じゃないよ。どこかバンド入ってキーボードやんなよ。よかったら今度私とキーボードでセッションしよっか。とにかくあんたが第二の伴奏者候補に名乗り上げるのにふさわしくないなんて、ひとっことも言ってないっての!」

「あ、でも、だったらなんで」

「私が言いたいのはねえ、あんたの練習時間が取れない状態をなんとかしなくちゃってことなんだって! 美里、あんたどう思う? 私らのおばかな弟をどうやって仕込めばいいと思う?」

「弟って、まあ、言いたいことわかるわ。こずえの言う通りよね」

 美里がなぜか納得して考え込む。貴史も追従する。

「あのなあ、もしかして古川、もう、A組の伴奏者に立村を押し込むってこと前提で考えているのかよ? なんか俺すげえいやあな予感びんびんにするんだけどな」

「え、けど古川さん、俺だと練習時間取れないからやはり無理だってこと」

 上総が言いかけるのを、こずえは「シャラーップ!」と叫び頭をかきむしる振りをした。「じゃじゃじゃじゃーん じゃじゃじゃじゃーん!」と擬音つきで頭を振り回す。

「まだ何にも言ってないじゃん! そうなのよ、だから評議って面倒なんだってば! ここを立てればあそこが立たない、肝心要の時には立たない、そういうことなのよお!」

 一気にまくし立てた。

「そうなんだよ、立村と私が分け合って一曲ずつやれば、一番いいんだよ。あんたの弾いているとこ聞いててそれは確定済みなのよ。ただそこから先よ、先なんだってば! うわーん、美里、羽飛、今からでもいいからA組にクラス替えしてもらえない? まじ、今私頭の中が大パニックなんだからさ!」


「こずえ、大丈夫? 落ち着いて」

 反対になだめ役に回った美里を眺めやりつつ、羽飛は上総につぶやいた。

「やっぱ、初めての評議ってのは、下ネタ女王にとってもかなりしんどいもんみたいだぞ。ちょいと電池切れしてるんじゃねえ?」

 同意の気持ちを持って頷いた。

「そう思う。古川さん、ひとりで抱えすぎだよ」

 ──誰か、手伝ってやれよ。

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