その二 元三年D組四人組の秘密集会(4)
「ほーら、どうだ! 恐れ入ったか!」
勝ち誇ったこずえの高笑いに羽飛だけがひたすら拍手とともに土下座し続けていた。美里も最初は不安げにピアノとこずえの背中を見つめていたが、だんだん真剣に聞き入り始め、弾き終えた後には拍手喝さいだった。
「こずえすごーい! ほんとに、ほんっとに二年間も弾いてなかったわけ?」
「お前なあそれほんとなら、天才じゃんかよ」
「まあね、もっともこの一曲でやめちゃったんだよねえ。発表会でもうやだーっとか言っちゃって、親の反対も無視して退会届出してきちゃったんだよね」
こずえの演奏した曲は「人形の夢と目覚め」。エステンの作曲だ。耳で聞いた限りだと間違えたところはひとつもない。少しテンポが速すぎるところもないわけではなかったが、早回しのこずえの性格が現れている演奏だったと上総も感じた。
「で、さっきからすっごく失礼なことねちねち言いやがった立村くんはどうよ」
わざとらしく「くん」付けで呼んでくるこずえに、上総は尋ねた。
「他の曲はあるのかなとか思ったんだけどさ」
「譜面見て弾くのはこれでおしまい。あとはね、即興よ。たまーにやってたよ」
「即興って、どんなの」
「たとえばはやりの曲を適当にアレンジしてみたりとかね。でもピアノだとめんどくさいし、別に私、キーボード持ってるからそっちで弾いたりもするけどね」
「なんだあ、お前ピアノ二年間弾いてないんじゃねくて、キーボードやってただけじゃねえの。褒めて損したぞ」
あきれた羽飛の発言をよそに、こずえは細かく首を振った。
「だってさ、クラシックのやたら堅苦しい曲弾いたっておもしろくないじゃん! それより好きな曲適当に弾いて歌ったりするほうが断然いいよ。美里には教えてなかったけど、それこそかくし芸で図書局合宿でご披露してたんだよ。バンド組んだりしてさ」
「ひどい! 私全然知らなかった!」
美里がむくれるのを、慌ててこずえがご機嫌取りまくりなでなでしまくりするのを眺めつつ、上総はしばしピアノの鍵盤に目を向けた。
「どうしたよ立村、ずいぶんマジな顔してるじゃねえの。食いすぎたか」
「違うよ、ただ、それでもいいかなとか思っただけ」
「それでもって、古川を天下無敵のピアニストとして送り出すっつうことか」
「それもあるけどさ」
確かにこずえの腕前はばかにしたものではない。上総もさほど音楽の耳が出来ているわけではないからうるさいこと言えないけれども、「人形の夢と目覚め」を暗譜してしっかり弾けるところはさすがだと思う。むしろ、
「古川さんの記憶力はすごいな」
「あ、なんか言った? 立村?」
「だってさ、六歳くらいに習った曲を十年経っても覚えているなんてすごいよな」
「まあね、ばかにしたもんじゃないでしょ」
「けどさ、二曲、一ヶ月で仕上げる自信は」
「だからさっき言ったでしょが。ないない。全然ないって」
あっさり白旗揚げた後こずえは美里と腕を組んだまま語り続けた。
「でも、やるしかないんだよ。やらなくちゃってこと。やりたいんだよね」
──でも二曲は無理だよやはり。
やはりたどり着いた結論はそこだった。
──記憶力もピアノを弾くセンスもある、けど、いきなり合唱コンクールの伴奏を任せられて二曲抱えるのはきついよな。一曲ならいいけどさ。必死にそれで専念すればうまくいくと思うけど、二曲はやはり、荷が重過ぎる。
上総は膝の上で片手の指を鬼のように立てて見た。ひっかくように、猫のように。何度か指先を動かしてみた。どうだろう、弾けるだろうか。古川こずえ程度には。
──たぶん、同じくらいには。
夏休み、母の実家でピアノに向かわされいやいや譜面とにらめっこさせられたことも。
いやいやながらも一週間で形にはなった。
「古川さん、いいかな」
「はいはーい」
「どうしたの立村くん」
少し迷った。これ言ったら美里にまたすねられるだろうか。こずえには予告しておいたが。
「ひとつ提案したいんだけどさ。伴奏のことだけど」
「何よ。まだ文句あんの?」
「俺も、ピアノ弾いていいかな」
予想通り美里と羽飛がびっくり眼で上総を見る。いや、羽飛にいたっては隣りでいきなり額に手を当ててきた。熱なんてありゃしないのに。
「大丈夫か立村、そうとう頭がヒートアップしてるんだろうなあ。おい古川、氷枕あるか?」
「貴史の言いたいこと、今回は賛成。立村くんピアノ弾けたっけ?」
「ごめん、今まで言ったことなかったんだけど」
覚悟して、こずえに伝える。そうすれば美里も羽飛もわかるだろう。
「小学校の頃から、長期休みの間、うちの母親の実家でいやいやピアノ練習させられてたんだ。男がピアノってあまりいい顔されなかったから今まで言わなかったけど、ごめん」
頭を下げて、恐る恐る三人の顔を伺う。
こずえだけはふむふむ頷いているが、美里が放心状態でピアノと上総を交互に眺め、「うそでしょ?」とつぶやいている。羽飛は上総の前で指をひらひらさせ「おい、どうした、なんかあったのか、もうやだぞ、あんなこと」とか言い出す。なんだろうその「あんなこと」とは。
──そりゃあ、驚くよな。
結果として隠し事したことになってしまったわけだった。
「昨日電話した時もなんかそんなこと言ってたね、立村」
落ち着いているこずえが手でピアノに触れる許可の合図を出した。
「小学校の頃だと私と同じくらいに始めたってこと? 十年くらいやってるってこと?」
「いや、厳密に言うとその前から。俺、幼稚園とか保育園行ってないんだ」
「それすごいキャリアじゃないの。で、あんたうちピアノあるの」
「ない、だから今まで言わなかった」
美里と羽飛が納得顔で頷く。
「じゃあ練習はどうしてたの」
こずえが一方的に質問を浴びせ続ける。当然の内容ではある。
「夏休み冬休み、あと春休みだけ。年に三回。練習っていえるものじゃないよ。弾けるといってもイメージするほどじゃない」
「まあそうか、で、どこに習いに行ってたのよ」
「うちの親がずっとつききり。たぶん、古川さんの気持ちは少しだけわかるような気がする」
またも美里と羽飛が何度も頷く。
「いわゆるスパルタって奴ね。あーやだやだ。同志よとか言いたいけどさ、まだ聞きたいことあるんだから、聞くよ。それであんた、伴奏やりたいっての? 天才ピアニストの私にたてつこうとも?」
笑いをこらえてわざと怒ったような口調で問い詰めるこずえ。相当楽しそうだと見える。
「古川大先生にはたぶん、かなわないと思うけど、判断してもらえると助かる」
「よーっし、じゃあとくと見せてみよ!」
芝居がかった口調で言い放ち、にやにやしながらこずえは立ち上がった。しずしずと上総をエスコートして、ピアノの丸いすに座らせた。
「じゃあ、曲目は」
「ありきたりだけど『エリーゼのために』」
言った瞬間なぜかうしろの二人が腹かかえて笑い出している。特にひどいのが羽飛だ、なにも「うきゃきゃ」などと擬音発することはないだろうに。」
──この程度弾けたら、たぶん古川さんと一曲ずつ持って伴奏しても文句は言われないと思いたいんだけどな。どうだろう、みんな。
拍手待たずに指を鍵盤に乗せた。母の実家のピアノとは違う、軽い弾き心地だった。




