チュートリアル「2」:敵がつよくてたおせない!そんなときは(2)
*業腹…めっちゃ腹立つーって感じの意味。
評価、お気に入り、ありがとうございます。
感想やリクエストなどもお待ちいたしております。
「ハッ、ハッ、ハッ……っく……」
深い森の中。
木漏れ日に輝く草木を蹴散らして、九郎は駆けていた。
すでに復活から十五分が経過している。
「グォォァ!」
「うわぁっ!?」
駆けていたと言っても直線での話ではない。
チュートリアルバトルの仕様で鬼を中心にした一定範囲から逃げられなくなっているのだ。
よって、十五分の間、九郎は溶けてバターになりそうなくらいに赤鬼の周辺でぐるぐるぐるぐると逃げ回るばかりだった。
「くそっ……想定していたよりもずっと鬼の動きが早――いぃぃっ!?」
ずどんっ
ずだんっ
金棒が何度も何度も九郎の居た一瞬前の場所を穿つ。
体の半分はある金棒を振り回す赤鬼は、その巨躯と張り出した腹に似合わない速さを持っており、連続の攻撃を余裕すら窺える顔で繰り出していた。
「どうにか……っく……どうにかして時間を……」
作戦通りだったならば、復活直後、赤鬼が攻撃を仕掛けてくる前に九郎はベルトの力を使用。【心力】がエネルギーに変換されベルトの鏡の周りにある宝玉へ一つでも充填完了となれば、即座にタケミカヅチの力を解放し、タイマン開始する。
能力解放中であれば充分に九郎の腕力でダメージが与えられるため、限界と言われた六十秒以内に足を中心に狙って速攻で決める、という流れであった。
なお、充填開始から力の解放までに時間は凡そ五秒かかる予想でその間はポーズを崩してはならない。
五秒とは長く感じるところだ。だが、それでも時間には充分余裕がある……はずだった。
なんと赤鬼は九郎たちの予想を裏切り、復活と同時のタイミングで攻撃を仕掛けてきたのだ。
「まさか、俺の復活を待っていたなんてっ」
九郎が避けることができたのはほとんど偶然だ。
狭間でオモイカネに掴みかかろうとしていたのが幸いし、肉体が形成されたと同時に木の根を変な風に踏んでしまい体勢を崩した。そのお蔭で、頭を削り取る勢いで横薙ぎに繰り出された赤鬼の金棒を、避けることができたのだった。
それからは逃げっぱなし。九郎のターンはまだ来ない。
赤鬼の攻撃に休みは無く、スキと言えるものが無かった。
《大きな生物は基本的にスキが大きいと相場は決まっているよね。キミはそこをつくんだ》
間一髪の回避を繰り返す九郎の脳裏には、オモイカネが鬼を倒す算段をしていたときに言った言葉が浮かんでいた。
あのキメ顔は忘れない。
「どこに……どこにスキがあるんだって、オモイカネ?――のわっ」
ずだん、だだん、ずだんだんっ
スキどころか近づくこともできない現状。攻撃のタイミングが見えてこない。
一秒でも踏みとどまったならミンチになること請け合いだ。
(あんなに攻撃を繰り返しているから、逃げていればいつかは……なんて思ったが、息が上がる様子なんてまったくないぞアイツ。……くそっ、さっさとスタミナ切れになってくれよっ)
馬鹿でかい鉄の塊をぶんぶん振り回しているのだ。
いくら力が強くても生物として設定されている以上、いつかは限界が来るはずだと九郎は思っていた。
だがしかし、それは九郎の思い違いだった。
鬼は各地に残る伝承などの中で、大きな岩を持ち上げたり、山や川を壊したり、何人もの腕利きを返り討ちにしたりと、よくそのパワーでもって悪行をはたらいている姿が描かれており、完全な瞬間パワー型のイメージがあるが、それは鬼の恐ろしさの表面的な部分でしかない。
鬼の出てくる話をいくつか紐解くと、その中ではたびたび“山谷を幾つ越える”だの“一息で何里を駆ける”だの、ときには“石の階段を千段積む”だのといったとてつもなく過酷な重労働を、鬼が短時間でこなしていることがわかる。
短時間でこなせる理由は至極簡単だ。休んでいないのだ。
そもそも鬼は数十キロの肉の塊である人間を暴れさせたままで連れ去り、山野を休まず何キロも抱えて走ることができるのだから、その体力の異常さがどれほどのものか想像に難くない。
しかもそれで疲れてもいないというのだから空恐ろしい。
鬼とは、人の形をしていながらも文字通り人外の【体力】を持った化け物なのだ。
「グォォルォァ!」
どどん、ばごんっ
どがん、ばがんっ
と赤鬼がもぐらたたきのように金棒を振り回しては繰り返し繰り返し地を穿ち、木々を薙ぎ倒す。
この十五分の間に九郎と鬼の通った跡は、足場が悪くなった代わりに随分と見晴らしが良くなっていた。
形は歪な円形。
下手なミステリーサークルだ。
「なんとかっ……ハァッ。しないとっ……くっ!」
鬼の体力もさることながら、九郎の体力もこんな障害物の多い戦場にも関わらず長く持っていた。
山で慣らした経験からか、それとも外部アクセサリーの補助のお蔭か……といったところもあるだろう。だがそれ以上に、逃げながらアイテムボックスよりショートカットで取り出しかじった、果実の恩恵が一番大きかった。
野いちご同様、その果肉は九郎の体力も気力も回復し、体を軽くしてくれた。
しかし、長くは持ったとはいえ、そこは最弱のステータスしか持ち合わせないプレイヤーである。
九郎の体力はもう限界に達しようとしていた。
(もう回復系かドーピング系アイテムって感じの果実の在庫も底を尽きた。ここで反撃しなきゃ、戦う体力なんてもうほとんど残って無いぞ)
九郎が状況を確認するため後方へ一瞬目を向ける。
すると、いつの間にこんなに詰められていたのか、ほんの二~三メートル後ろでテニスよろしく金棒を振りかぶる赤鬼と目が合った。
「……やばっ」
「グァガッ」
ぶぅんと風を唸らせ、金棒が九郎の横っ面に飛んでくる。
「っく!――ぐぁぁっ!?」
九郎はギリギリで体を捻り、金棒に対し向き合ってとっさに両腕をクロスさせ身を固めたが、呼々の言っていたとおり“たとえ防御体勢をとっても二回で死亡”というようなダメージが、鈍い音とともに体中へ伝わった。
「ごっ、がっ、はっづ――ぐはっ!」
二度三度地面を跳ね、横転・後転を強いられて、どうにか折れた木の根元に背を打ち付けて、九郎はようやく止まる。
「ぐ……ぁ……ガ、ハッ……づうぅっ……」
九郎の視界がぶれる。
口の中から鉄臭い液体が唾液と混じってボタボタ零れる。
防御した両の腕は痺れ、痛いのか痛みも感じないほどダメになったのかも判らないできない状態だった。
それでも幸いであったと言えるのは、体を捻った九郎の体は地面に倒れこむような体勢であったため、地面からやや浮いた状態となっていたことで変に耐えない分、弾かれたかたちになって、九郎が感じているよりも致命的なダメージには至っていなかった。
今ならまだ、九郎は立ち上がれる。
しかし、九郎は木に背を預けてうなだれたまま動かなかった。
赤鬼は仕留めたつもりになったのか、九郎の姿に対し満足げな笑みを浮かべ、天に向かって唸り声を上げて、全身で喜びを表現していた。
九郎、今がチャンスだ。
九郎に九郎が呼びかける。
赤鬼との距離も充分にある。
今が纏神のときだと。
しかし、解っていても、九郎は動かない。
いや、動けなかった。
赤鬼一撃は、九郎の僅かばかりの闘争心を折るには充分だった。
(だ、ダメだ……)
もう限界だ。
九郎の体力の限界は自身が感じている以上に表面化していた。
もう戦えない。逃げられもしない。
動いていた間なら良かった。だが、止まってしまった今ではもうダメだ。
動けと指示を出す意思を無視して、痛みと疲労に体が休もうとしていた。
足は硬く硬直したまま小刻みに震え、心臓は張り裂けそうなほどに脈打っている。
体がぎしぎしと音を立てるようだ。
たった十五分そこらの運動であったが、リアルな死を背景にした連続ダッシュは必要以上に体に負担をかけていた。
(もう戦う力は残っていない)
このまま力を使っても勝てないだろうと九郎は感じていた。
(一旦ここは諦めてやり直そうか)
一度死んでまた万全の状態で挑めば勝つ可能性があるかもしれない。
九郎は思った。まだ死ねる、だからやり直せばいいと。
そう思ったのは、転生というものを始めオモイカネの話をまだ全部は信じきれておらず、未だゲームであるという意識が九郎には少なからずあったからだ。そして、復活回数が多かったことへの甘えもあったろう。
もちろん“ゲーム”であるのは間違いではなかったが。
(だいたい、ゲームのクセに痛みがやたらリアルなのも心が折れるんだよ……)
鬱々(うつうつ)とした暗い感情が胸中を渦巻く。
しかしここで九郎は再び思い違いをしていた。
これが現実であったなら、すでにダメージは致死量だった。
血とともに唾を吐き出し、ため息をつく。
体がより重くなる。
(やめたやめた。諦めよう、ここは。頑張るのが馬鹿らしい)
このとき九郎は知る由も無かったが、九郎は最悪の状態異常にかかっていた。
状態異常の名は【異常精神負荷】である。
思考がだんだんネガティブになり、よりストレスが高まると混乱・発狂・無気力などの精神系状態異常を招く。さらに症状が悪化すると各ステータスがダウンし、最後には死んでしまう。
これが、この症状が、この世界での爆弾ステータス・【ストレス】が肉体と精神に与える影響だった。
ステータスには表示されないが、今この瞬間、数値で言えばすでに九郎の【ストレス】はマックスに近かった。
それでもまだまともに思考できる状態を保ち、ステータスダウンが発生していなかったのは、九郎のリアルで得た“精神負荷”に対する経験値が常人よりも圧倒的に多いのに加え、技能【精神力】と【自制心】の存在がもたらした【心力】の恩恵であった。
数値では測れない九郎の強さが今、発揮されていた。
――そう。このとき、九郎だからこそ……九郎であったからこそ、その【ストレス】最大深度の“状態異常”を受けている状態にあって、立ち上がることができたのかもしれない――
「でも……」
九郎の胸中に反抗心のような火が生まれた。
諦めようと囁く心に待ったがかかる。
今、この瞬間をどこかで観賞している奴らがいる。
そいつらの眼前に逃げ惑う姿を晒してしまったのに、挙句無様に散る様を見せるのか、と。
恐らく奴らは九郎のそんな姿を見て、やはり期待ハズレだったかと嘆き、そして笑うだろう。
別に九郎は奴らに期待されようがされまいがどうでもいい。
神か仏か知らないが、奴らの興に乗ってやる必要は無い。
だが、奴らの嘲笑や失笑を想像すると、九郎は自身の胸にずいぶんおさまりが悪い気持ちが生まれるのを感じた。
(奴らに弱さを見せたくない)
九郎は半ば無意識的に歯を食いしばる。
それに何よりもだ。
「……家族の名を出されて……黙ってはいられない」
迷惑しかかけない自分を愛してくれる家族を、九郎は世界で一番愛している。
嘘や冗談でも家族を危険に晒すような発言は絶対に許さない。
オモイカネはあとで一発殴る。
そうと決めたら鬱々と暗んでいた心が炎に焼かれるように消え去っていく。
『ここは一旦休もう』
一呼吸するだけでもギシリと悲鳴を上げる体に九郎の心が最後の足掻きとまた囁きかける。
だが、九郎はそんな弱気を握りつぶすように拳を握り、足に力を込めて立ち上がると、赤鬼をその金色の瞳で見据えた。
九郎の立ち上がる気配に気付いたのか、それとも丁度獲物の調理にかかろうとしたところか、ギラリと鈍く光る鬼の双眸が九郎を捉え、不意に九郎のそれと交差した。
「……勝ったつもりか?だったらそいつはまだ早い」
九郎は全身を引き絞るように力を込め、勢いよく両腕を空高く振り上げて、握った拳の掌を赤鬼に向けた。
その左手には、オモイカネより渡されたタケミカヅチの魂が汗と土に塗れながらも握られている。
「グォウ」
赤鬼はそれを“降参”の意思表示と受け取った。
犬が腹を見せるように、この卑小で貧弱、そのくせ何度も自分の前に現れる人間も、ようやく負けを認めたと嘲笑に似た笑みを浮かべた。
だがそれはとんだ思い違いだ。
九郎は未だ半ばにもない人生で、多くのものを諦めてきた。
負けた経験など有り過ぎて思い出せないくらいだ。
だが、源九郎という人間はどれ程の苦難に遭っても、その身に降りかかる理不尽に負けを認めてやったことなど、ただの一度も無い。
「俺の負けず嫌いをなめんなよ!」
九郎は口の中の血を再び吐き出して赤鬼を睨みつけた。
「【神武降臨:荒魂】!!」
九郎がその振り上げた腕を頭の上で交差させ高らかに叫ぶと、その手に握られた黄色の勾玉が激しく発光し始めた。
「グルォォウ!!」
赤鬼はようやくそこで何かを察した。その本能が危険を告げていた。
赤鬼は唸り声を上げ、金棒を振り上げて、九郎に向かって慌てて駆ける。
赤鬼との距離はほんの十メートル。
赤鬼の攻撃が届くまで時間は僅か。
九郎にとってコレは賭けだ。
迫り来る赤い肉のダンプカーをその視界に捉えながら、九郎は拳を作り腰に溜め、その拳を開きながらバックルの鏡の前に勾玉を放る。
すると勾玉は鏡に呑みこまれ、鏡が金色に輝き、一瞬【武】の文字が浮かんだ。
そして九郎は、最後にありったけの想いを込めて腕を互い違いにポーズを決めて叫んだ。
「 【 纏神 】 !! 」
「グガァァッ!!」
稲光のような激しい光りが九郎を包むと同時、赤鬼がそれに目を焼かれながらも九郎の頭めがけて金棒を振り下ろした。
ズァガァァァァァ………ン!!
大量の爆薬が炸裂したかのような地を揺らす轟音。
赤鬼は大量の土砂と腐葉土を巻き上げた自身の全力の一撃の威力に驚きながら、しかめた眉を弛めて戻し、ゆっくりと目を開ける。
「グァガ」
目を開けた赤鬼の顔は満足そうに歪んでいった。
何故なら、その眼前には人間がいた痕跡など残っていなかったから。
何故なら、己の強さを確信したから。
「グゲッ。ゲガガガガッ」
肉片すらも残っていなかった。
弾け飛んだ。
「ゲガガガガガガ!!」
赤鬼は高らかに笑う。
オレサマの強さはこれほどか、と。
「グウォォォォォッ!!」
赤鬼は叫ぶ。
勝利を祝って。
「《よう、赤鬼くん。楽しいことでもあったのか?》」
「ゲガァッ!ブッ―――ンゴェッ!?」
突然、背後からかけられた声に驚いて赤鬼が振り向くと、その腹がズドンッと鈍い音を立てる。
一瞬、その巨体が宙に浮き、舌と唾液と胃液とが口からだらりと飛び出した。
「ヌブブブブゥ……」
苦悶の表情を浮かべ、芯まで届く痛みに耐えながら、赤鬼はその蛮行の主を睨みつける。
「《効いただろう?コレでお前とオレ、お互いに一発ずつ。イーブンだ》」
そこには“雷の化身”が居た。
天を覆う雷雲ようなメタルブラックの袖なしロングコートとそれを縁取り各所を走る金色の稲妻。
隠されたボディーはホワイトメタリックで流れる血と闘争心を表すかのようにベルトを中心に体の上下に紅のラインが走る。
示威するかのように掲げられた拳には、赤く熱を帯びたような肘まで覆う極厚の手甲がはめられており、射殺すように赤鬼を睨みつける金色の瞳が輝くのは、白をベースに黒と紅で彩られた仮面。
それは歌舞伎の獅子頭のようで、白金の装飾がたてがみの如く施され、顔には真紅の筋がクマドリのように走っている。
時折体表に現れる雷電と、刃のような牙が並ぶ口とを合わせて見れば、その姿はまるで【憤怒】を表しているようだった。
「グォゴ……?」
赤鬼は考える。コイツは誰だと。
強くて大きなオレサマに挑んで来るこの小さい生き物は何だと。
するとその影は、赤鬼の心を読んだかのように答えた。
「《オレの名は“ゲンクロウ”。お前をぶっ飛ばす者の名だ。憶えとけ》」
ゲンクロウはそう宣言すると、握り固めた拳を開き、赤鬼へ向けクイックイッと挑発的に手招きをした。
「《……さあ、勝負といこうぜ》」
「――ッゥヌ!?……ヌグゥォァ……ゴアァァッ!!」
赤鬼は激怒した。
自分よりも小さな生き物に馬鹿にされたことが我慢ならなかった。
赤鬼は金棒を振り上げ、心身の芯にまで響く咆哮を上げる。
「グルォァァァァッ!!」
「《ヘヘッ。その意気や好し。さぁて……見合って見合って……》」
ゲンクロウと名乗った影は鬼の威嚇にも泰然として動じず、股を開いてゆっくりと拳を地につける。
「グガァッ!!」
弾け飛べ!
赤鬼が全力で振り下ろした金棒が、ぶぉんと唸り風を叩く。
「《【発氣よし】!!》」
次の瞬間、ズドンと音を立てたのは、再び拳がめり込んだ赤鬼の腹だった。
◇◆◇◆
[高天原:【ミソロジーライフ】スタッフ専用第108モニタールーム]
日本の神々のおわす所、高天原。
そこに建設されたミソロジーライフ【日本エリア】を管理・監視するための施設の一角にその部屋はあった。
電子的な機械と、非科学的な品々が配線でつながれ稼動しているその様は、現世の科学者たちが見たらなんと言うだろうか。
そんなモニタールームには普段各プレイヤーのサポートを担当するスタッフたちが詰めており、常時すべての画面が何かの情報で埋め尽くされている。
スタッフはみな勤労に励む真面目な者ばかりで、モニタールームは常に程よい緊張感が保たれているのだが、残念ながら今日の第108モニタールームは違った。
室内で一番大きな画面がよく見えるモニタールームの中央。
みなが通る通路のど真ん中には迷惑なことに丸イスと丸テーブルが置かれ、その上には菓子やおつまみ、お酒、お茶にジュースの空き缶といったこの場所に相応しくない品々が散乱している。
そしてさらに極めつけとして、その大画面では業務に関する情報ではなく、一人のプレイヤーが戦闘を行っている映像が流されていて、ここは本日不真面目のゲリラ豪雨が襲った局地といえた。
スタッフの誰かが嘆きの吐息を漏らした音がする。
画面に映し出されているプレイヤー名は【ゲンクロウ】、本名を源九郎という。
本来ならばこのゲームへの参加資格を持っていなかった青年だ。
画面の中のゲンクロウは仮面と戦闘服をまとってダークヒーローのように赤鬼と格闘している。
彼と赤鬼のレベル差は七。
体格も能力もまったく合っていなかったが、しかし、二メートル近くある体格差をものともせずにゲンクロウは赤鬼と対等に渡り合っていた。
拳と金棒。
蹴りと踏み付け。
剛打と剛打がぶつかり合って空気が弾ける。
一進一退の攻防。
しかし、十分にも及ぶこの戦いは間もなく終わりを迎えようとしていた。
赤鬼が繰り出す金棒をゲンクロウは紙一重で避け、それを持つ手の小指を蹴り上げて金棒を手放させると、指を押さえて仰け反った赤鬼の足元に飛び込み後ろから足を払った。
バランスを崩して後方に倒れる赤鬼をゲンクロウは傍観せず、危険を承知でその背の下に滑り込み、背から首の根元までを突き上げるように拳の連打。
最後に張り手で浮かした鬼の首筋へゲンクロウの強烈な蹴り上げが決まったところで赤鬼が息絶え、光りの粒となって、勝負はゲンクロウの勝利で決したのであった。
だがしかし、ゲンクロウは勝利を得て拳を高らかに掲げたその直後、糸が切れたように膝から崩れ落ち、受身も取れぬまま前のめりに地面に倒れてしまう。
そしてピクリとも動かなくなったゲンクロウの背を映しながら、映像は徐々にフェードアウトしていくのだった。
―――to be Continued……
ちなみに映像は録画したもので、すでに四週目である。
「いやぁ~素晴らしい!エンターテイメントってのを天然でやる奴だねクロウは。ボクが予想していた展開を超えつつ、望みどおりに事が運んだ。やはり彼は面白い!さて、もう一回見ようかね……」
ひとりテーブルに着いて手を叩いているのは赤髪白衣の中二病な知恵の神・思兼。そしてその後ろには困った顔の卑弥呼々(ヒミココ)が控えていた。
呼々はため息を一つつくと、再びリモコンを操作し始めたオモイカネからリモコンを取り上げ、悲鳴を上げる他の職員の言葉を代弁した。
「オモイカネ様。業務に支障がでますのでここまでです。あとはご自分のお部屋で好きなだけご覧ください。データはどうせコピーしていらっしゃるんでしょう?」
「えー、でもさ、大画面で観たくないかね?」
「わたくしは映画館に行くよりも自宅で集中して観たい派です」
「えー、でもさ、あの大逆転劇は昭和の特撮ヒーローを観ているようで胸が熱くならない?」
「わたくしは昭和よりも平成のほうが好きです」
「……合わないねえ、ボクら」
「合わなくて結構です。ほら、もう他の神々も帰られましたし、ここを片付けますからお退きください。ほら、早く。千々姫さまに言いつけますよ」
「あ、結構卑怯な手を使うんだねコッコちゃんは。妹に言いつけるとか酷くない?」
「酷くありません。それと“コッコちゃん”言わない」
呼々はそう言ってオモイカネの重い腰を上げさせると、どこから持ってきたのか掃除用具を取り出してテーブルやお菓子などを片付け、飛び散った食べ零した菓子クズやジュースの跡などを掃除していく。
「……お母さんかね……。あ、そう言えばクロウの様子はどんな感じ?」
「容態は落ち着きましたので、今は医務室からプレイヤーホームに動かしています。ご自身のお部屋のベッドでお休みです」
「そうかい。元気なら何よりだ」
「なにが元気なものですか。……大国主さまが仰るには『強力な結界が張ってあったからどうにかなったが、魂ごと肉体も精神も変質しかけていたから、どちらも修復できるか五分五分だった』とのことでしたよ。わたくしに席を外せと命じておいて、こっそりあんなもの渡すなんて……」
オモイカネが渡した【纏神ベルト】は一昨年の花見で『余興に相撲でも』などといってオモイカネがタケミカヅチのまわしを改造して持ってきた物がベースだった。
確かにおもちゃの部類ではあったが、基が神の所有物。つまりは“神話級”の代物である。
神からしたら『互いの格を気にせず遊べる便利な品』程度の認識でしかないが、人の身には危険しかない強大な力を宿す物である。
呼々にとってはそんな危険物を、貧弱なステータスしか持ち合わせていない自分の専属プレイヤーに対して、自分への説明無く渡されたのが業腹なことだった。
呼々はそのアーモンドのような瞳を鋭く細めてオモイカネをキッと睨みつけ、それに慌てたオモイカネは両手を胸の前で振り、早口で弁明する。
「いやいやいや、アレを渡すしか方法が無くて仕方なかったんだって。だいたいあそこまで無茶したのはクロウだよ?それにあそこまで彼の心力が保つとは思わなかったんだ。どう考えても六十秒で力尽きて強制終了だよ?多分タケミカヅチと相性が良かったんだろうね。彼、温厚そうに見えて実は激しい面も持ってるみたいだし。……あ、言っておくけど、ちゃんと事前の警告はしたからねボク。だから……そんなに睨まないでくれないかね」
「睨みたくもなります。わたくしが初めて専属するプレイヤーですよ?一生の思い出になるんですから、着任早々廃人になりました……なんて考えたくもありません」
「……『一生の思い出』って、キミ、すでに二度目だけどね、人生……」
オモイカネはぷりぷりと頬を膨らませて怒る呼々から距離を取りながら、肩を竦めてボソッとツッコミを入れる。
オモイカネは手に持った賢者のための……とオモイカネは思っている……合成飲料“ドクトリーナ・ペッパー”をあおると、温くなったそれに顔をしかめながら指を鳴らして、手元に【ゲンクロウ】の資料と彼の本体の“調査結果”が書かれた半透明の板を呼び出した。
「……ふむ……ふむふむ。やはりおかしいねぇ」
「何がですか?オモイカネ様がですか?」
「コッコちゃん……キミ、ボクのこと嫌いだろ?」
「……いえ、尊敬いたしております」
「そういう間を作らないのが出世の秘訣だよ」
オモイカネは苦笑しながら、その二つの板を呼々に向かって空中を滑らせて渡す。
そこにはレベルが4まで上がった【ゲンクロウ】のステータスと、【纏神ベルト】使用時の観測データ、そして源九郎の人生や交友関係、先祖、肉体や魂の分析結果にいたるまで、様々な情報が要点ごとに解り易くまとめられていた。
「……コレの何がおかしいのですか?」
「彼はとびきり運が悪いけど、ただそれだけの人間であることが判ったんだ」
「ええっと……それが何か?」
「彼が普通なわけ無いだろう?神をして解決できないトラブルを招き、魂に結界まで張られた人間がね。しかも何の変哲も無いレベル1の人間の身で己の限界ブチ破って神の力を十分間も引き出すとか、それこそ英雄と呼ばれた類の者でしか成し得ないことを成したんだ、パンピーなんてありえないね。……なのにだ、結果はこんな風にしか出ていない。おかしいだろう?」
「ああ、そういうことでしたか。……確かにそうですね。パッと見た限りは何かありそうな感じはありません」
妹の運の良さが異常と言えば異常だったが、妹もただの運がいいだけの少女で特になんてことは無く、それ以外なんかは先祖を遡っても本当にただの人間だ。
そうすると九郎に様々なトラブルを与えたり、彼をこの世界に呼び込んだりしたのがなんなのかまったく検討がつかず、調査によってより謎が深まったことになる。
神々にとってはそれはさらに興味をそそられる材料となったが、呼々からすれば芸能人の過去くらいに割とどうでもいい話であった。
(というか、わたくしは他の方々にあまり関わってきてほしくないのですけど……)
呼々は貰った資料を適当に流し読みしていく。
呼々にとってはサポートをする相手がどんな秘密を持っていても構わない。
恐らくサポートを任されているスタッフのほとんどがプレイヤーに対して同じ考えを持っているだろう。
彼や彼女らが気になるのは、担当するプレイヤーの性格や考え方などの人間性。あとできたら容姿が自分の好みで異性が好いな……なんて、それくらいだ。
そういう点で見るとゲンクロウ……いや、源九郎という人間は落ち着いていて性格は温厚。固くなりすぎない程度に言葉遣いも態度も紳士的に感じられて好ましい。
仕事も生活も真面目にこなし、困った人がいれば助け、頭脳派ではないものの(多少偏りはあるが)結構物知りで会話も楽しめそうだし、運動もそれなりにできるようだった。
人間的ステータスは平凡というより平均的だが、及第点だ。
オモイカネに趣味が近いというアブナイ面はあるが、男は少年的な一面を持っているほうが可愛いと考える呼々にとってはマイナスイメージではなく、程度を間違えなければむしろ母性をくすぐられるので好印象だと言える。
ビジュアルはまったく持って普通といったところだが、笑った顔は結構好みかもしれないと呼々は思っていた。
呼々たちは別に彼氏・彼女を見つけるためにこの仕事をしているわけではないが、長く仕事の相手としてやっていくならば良質な人間がいい。
だから九郎は総合的に○。当たりと言えた。
初回にして当たりを引いた呼々のやる気は満ち満ちていた。
案内役という領分を越えることはそうそうできないが、九郎に説明した以上に接する機会は多く、九郎は度々呼々を呼び出し、また呼々が自ら出向いて助言をすることもあるだろう。
だから呼々は九郎に怒られない範囲でそれとなく手を貸しつつ、じっくりと育て、導き、見守っていこうと決めていた。
無論、自分だけの手で。
故に他からアレコレ手を出されるのは非常に不愉快で、神々がいま期待を膨らませている事柄には呼々は毛ほどにも共感できなかった。
(ゲンクロウ様は神々のおもちゃではないのです。お願いだから余計なちょっかいを出して壊さないで)
内心、祈るばかりである。
呼々は一度ため息をついてオモイカネに資料を戻し、掃除の仕上げにかかった。
「では、なんで普通に見えるのでしょうね」
「恐らくは“改竄”されているのだろうね。そう見えるように」
「改竄ですか?いったい誰が神の目を欺けると?」
「さあ。分からない。だが、一つ言えることは……」
「言えることは?」
掃除を終え、最後に雑巾を絞りながら呼々はオモイカネに向き直る。
「面白そうだから一度本格的にかいぼ――ぶっ!?」
呼々の放った雑巾が、オモイカネの顔でべちゃっと音を立てた。
「後片付けお願いします。わたくしはゲンクロウ様のところへお薬を届けに行きますので」
呼々が掃除用具を置いたままモニタールームから出て行き、オモイカネの顔から雑巾が落ちると、どこからか小さく拍手が起こった。
大国主…医療の神様ほか国造りや商業などなど、多数の顔を持つ。他国の神や自国の神と多数同一視される。医療の話もだいたいこの神様に繋がっちゃったりも。因幡の白うさぎとかね。いいひと。作中では神様のお医者様としているほか、プレイヤーの治療もする。復活の際、ぐちゃぐちゃになった肉体とかこの人が再生している。
今後は因幡の小悪魔白ウサギちゃんも出す。絶対。
スタッフ…結構俗っぽい。