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さえこ著 「ひな祭り 『二人官女」

さえこ著 「ひな祭り 『二人官女」


私たちのあだ名を決めたのは、当時の担任の松田だった。


 それまでも一括りにされることが多く、一部の教師たちには「かしまし娘」と揶揄されることが多かったが、さすがに母に尋ねてみても「古いわねえ」と苦笑されたこの名称が中学生の間に浸透することは無く、あだ名とまでは至らなかった。


 私たちは、別にいつも一緒に居たという訳では無い。

 とりたてて、仲が良かった訳でも無い。

 それぞれが別のグループに属していた為、弁当を食べるのも同じテーブルであったことは殆ど無かっただろう。部活も、私がバレーボール部の部長となったのに対し、残りの二人は、我が校自慢の花のラクロス部の一軍選手と、演劇部の女優兼名脚本家であった。一緒に放課後に遊びに行ったことも無かったし、勿論、夏休みに一緒に出掛けたという記憶も無い。ひそひそと恋話を供にしたことも無ければ、宿題を教えあうということも無かった。


 ただ、話はしていた。

 半分以上は、授業中。

 後々、私たちの位置付けががクラスに一人は居る、主張の強い女の子というものだと知ったが、本来であればクラスに一人であった筈のそうした女の子が、私たちのクラスには三人居た訳である。そのため、本来であれば一人で授業中に皆を笑わせる筈の場面で、私たちは漫才のように合いの手を入れあって笑い声を大きくしていた。

 そんな三人に、何故か松田は「三人官女」と名付けたのである。


 思えば三人官女というトリオ名も古めかしいものではあるが、中学生にとってはかしまし娘より発音もしやすかったのか、一気にあだ名として定着した。

 「おい、三人官女」と他の教師もうるさい私たちを注意し、「三人官女、プリント集めておいて」などと言われるようにもなる。そして、「今日の日直誰?」という質問には「中西と、三人官女のシノだよ」という具合に、見事に「三人官女の」は私たちの名前の枕詞として定着した。


 志乃と書いてシノ。松子を略して、マツ。詠子をもじってお詠。

 いかにも、三人官女の枕詞が似合う名前でもあったのだ。

 ただ、そのあだ名も卒業式までで、私たちはそれぞれ別の高校に進学して、ばらばらになった。それきり、会うことは無かった。


 九月十四日。

 夏期講習でつぶれてしまった夏休みをぼやきながら受験勉強をしていると、電話だと母親に呼ばれた。中学時代の竹岡さんのお母さんから、という。竹岡、誰だったかな、と電話をとると、小さく細い声が聞こえてきた。

 「もしもし、シノさん、でしょうか」

 「はい、そうですけど」

 「夜分に申し訳ありません。中学時代にお世話になりました。竹岡詠子の母でございます」

 誰だったかな、と思い時計を見る。夜分という程の時間でも無かった。

 沈黙が続いた。私が誰か思案している、と察したのだろう。おずおずと彼女は切り出した。

 「あの、三人官女の」

 「ああ!」

 お詠の母親だった。二年半ぶりに耳にする三人官女という響きが、懐かしくもあった。お詠は元気にしているかな、と安否を尋ねようとしたところで、電話の向こうの細い声が言った。

 「実は、一週間前、詠子が亡くなりまして」

 え、と発したとき、私はまだ笑顔だったと思う。

 亡くなりまして、という言葉が唐突すぎたので、意味がわからなかった。暫く静かになってから、その言葉の意味に気付き、呆然とした。

 「お詠が?」

 「ええ」

 「なんで?」

 無遠慮などと考える間もなく、口にしていた。

 「それが、お恥ずかしいことに」

 しばらく考えた後に、声は告げた。

 「自ら、命を絶ちました」


 それからは、何を話したか覚えていない。おそらく、ええ、とか、はあ、とか、ふわふわとした相槌を打ち続けたのだと思う。彼女の要件は、お詠が私宛に書き残したものがあるので渡したいということだった。手帳に私の名前は無かったので、葬儀に呼ばずに申し訳無かったと詫びられた。

 私は翌日高校が終わるとすぐに、彼女の家に行くことになった。電話を切ってから、お詠の住所すら知らないことに気付いた。そう気付いた時に、葬儀に呼ばれないのも当然の間柄であった私に、お詠が手紙を残したということに改めて気が付いた。

 亡くなりまして、と言われた時、え、と発した私は実感がわかずにまだ笑顔だった。もしかすると声も笑顔の声だったのではないか、と不意に申し訳なくなった。


 お詠は、案外近い場所に住んでいた。住所録を引っ張り出してきて調べた場所は、家から歩いて十五分ほどのマンションだった。よくある、煉瓦タイルのマンションである。広くもなく、狭くもない。

 背が高く、いつも前髪を切り揃えたロングヘアの黒髪で颯爽と歩いていた彼女の姿から考えると、普通すぎる気がした。

 「シノ?」

 入り口で部屋番号を押そうとすると、声をかけられた。

 「マツ」

 「シノも、電話かかってきたんだ」

 中学時代から少し茶色がかったうねった髪だったが、当時よりも淡くなりウェーブがかかっていて、さらにスタイルが良くなっていた。化粧も高校生とは思えないほどに上手い。

 「似合うじゃん、その髪」

 二年ぶりには、そしてこの状況下では少々不似合かと思う言葉が口をついて出る。

 「ありがと。シノも髪伸びたね」

 「当時は伸ばせなかったから、部活で」

 「あ、そっか」

 別々の制服を着た私たちは、そこで黙ってしまう。

 間を持たせるかのように、私は呟いた。

 「びっくりしたね」

 「うん。昨日の夜、だった」

 「私も。勉強してるときだった」

 「勉強って、受験?」

 「そう。受験生」

 「そっかー。大学受験するんだ?」

 「うん、一応。マツは?」

 「私も、するよ」

 「ふうん」

 また、黙ってしまう。

 九月はまだ暑さを残していて、十五分の徒歩は制服に汗を浮かび上がらせていた。日陰に入ったため、冷えていくのがわかる。

 ヒグラシの声がうるさいほどに迫ってきていた。

 「入ろっか」

 マツが言い、私は黙って部屋番号を押した。二人の名前を告げると、どうぞ、と細い声が答えてドアロックが外れる音がした。


 遺影のお詠は、中学時代よりも洗練されていた。切り揃えた前髪はそのままで、ロングヘアが耳下のボブに変わっていた。

 演劇を続けていたのだ、という。相変わらず女優兼脚本家というのは変わらず、高校でも名脚本家としてもてはやされていたらしい。鋭く強い目は、さらに力を湛えていた。

 受け取った封筒はすぐに封を切る気が起きず、黙って頷くと、私たちはどちらからとも無くマンションを出た。

 二人官女へ。

 それが、封筒の宛名だった。

 「二人官女って、ねぇ」

 マツが力無く笑う。

 「語呂、悪すぎだよ」

 「二人だったらお内裏様とお姫様だもんね」

 ヒグラシよりも小さい声で、私たちは公園で話していた。封を切ろう、とはどちらも言わない。

 「あっついなあ」

 「うん、暑い」

 「中学の教室、暑かったよねー」

 「ああ、すんごい暑かった。覚えてる?マツがクーラーつけろって言ってて」

 「そうそう。自腹でつけろって迫った。誰だっけ、担任」

 「誰だっけ。三年だったから、緑川か」

 「あ、そうだわ。で、黒沢がスカート履きたいって言ってて」

 「違うって!マツがそういうことにしたんだってばー。私が黒沢に男だからお前がスカートだとおかしい、とか言われてたからさあ」

 「あ、そっか。黒沢が履きたいとは言わないな」

 「あのとき、私と黒沢の会話、遠くからでも聞いてるなあーってびっくりしたもん。お詠も私が劣勢になったらふらりと近づいてきて、冷ややかにやり込めるしさ」

 「お詠のあの冷徹さは、いいよねぇ」

 「うん、黒沢何も言えなくなってた」

 だろうね、と笑った後、マツは、ふと空を見上げる。

 「なんかさ、うちらっていっつもそんな感じじゃなかった?」

 「だね。いっつも、一緒にいるわけじゃないのに、なんかそんな感じ」

 私も空を見上げる。青空に吸われるかのように、ヒグラシの声が甲高くなった。


 中学三年の九月は暑く、授業開始日も朝からまだ夏休みの熱気と湿気を含んだ空気で、私たちは暑い暑いと言い募っていた。男子生徒も居る共学は、多少色気があるように思われがちだが、色気や恥じらいといった言葉が似合うのは一部である。シャツをはだけさせて、少しでも涼風を体にあてようとプリントの束で煽いでいる男子生徒に混じり、多くの女子生徒たちは制服のスカートをぱたぱたと動かして、九月の陽気に悪態をついていた。

 私たちの学舎のすぐ横には大きな木があり、そこから一斉に存在を主張するように鳴いている蝉の声が、いつも熱さを増長させる。

 「ほんっと、暑いな。なんとかしてくれよ、もう」

 後ろの席の黒沢が呟く。クラスの男子の中でも一際うるさい存在で、何かと私は口論しながらも気が合っていた。男勝りの私は、女子生徒とたむろするよりも黒沢と話していることの方が多かった。

 白状すると、ただそれだけでは無く、少し好きだったのだと思う。

 「私に言うなっての。できるならとっくにしてるって」

 「いいじゃん、お前ら女子は。スカートなんか俺らの長ズボンよか余程涼しいんじゃねえの」

 「じゃあ、黒沢も履けばー」

 マツが、教室の対角線にあたる場所から鋭く応戦する。

 見れば、机にどっかりと足を組んで座り、髪を一つに束ねようとしているところだった。

 「やだよ、バカ。だいたい、お前らみたいな女っぽくねーやつがスカート履く方がおかしいだろ」

 負けずに、黒沢も声を張り上げる。いつも通りの10分休憩だ。

 「女っぽくなくても女ですから」と、私。

 「どこがだよ。お前のその頭なんか特に男みたいじゃねぇかよ。加藤より短いじゃん」

 「うっさい。バレー部規定だっつの」

 「こっわー!ほんとは男じゃねぇの」

 思わず、水原さんとは違うものね、と言いそうになったところで、いつの間にかお詠が近づいて来ていた。

 「てゆうかさ、三人官女って言ってる時点で女って認めてるよね」

 黒沢が言い返せずにいる間に、チャイムが鳴った。にっこりと、お詠が微笑む。ロングヘアを、暑さも感じさせずに翻らせて席に戻った。

 担任が入ってくる。

 「おい、チャイム鳴ってるぞ。席につけ、三人官女」

 「はーい」

 マツが答えている。

 三人と言っても机に座ったままでいるのはマツだけで、私もお詠も席にはついているのだが、そこで三人と言われることには違和感は感じなくなっていた。あだ名がついて一年と少し。慣れるもので、「座ってるって」といちいち言い返していた自分を遠く感じる。「座ってますけど」と言い放っていたお詠も、気にした様子が無い。

 「お前ら、暑い暑いって言ったところでエネルギー使って暑くなるだけだぞ」

 暑さにうだる私たちを呆れたように見回して、担任が言う。

 「だったらクーラーもっと性能いいのにしてください」と、お詠。

 「生徒の勉学向上のために、先生が買ってー」と、マツ。

 「それで合格率上がったら先生のお給料ももれなくアップします」と、私。

 「学校の評判も上がって、自腹を切った先生には表彰状」

 「そうそう、美談とかいって」

 お前ら、エアコンの値段知らないだろう、といつもの調子に苦笑する担任が黒板に向かった。

 「あ、そういえば」と、マツ。

 「黒沢くんが、自分は私たちより女らしいから、スカート履きたいって言ってましたー」

 言ってねえ、という黒沢の声は笑い声にかき消された。


 「あのさ、ちょっと傲慢なこと言っていい?」と、マツが言う。

 「いいよ。たぶん、同じこと考えてるから」

 「うん。うちらって、絶対、ほんとは造りは水原さんより良かったよな」

 「そう思ってた」

 「で、運動も出来た」

 「そりゃそうだ。あと、頭も良かった」

 「それに、お洒落だった」

 ずっと、思っていたことでもあった。けれども口に出してしまうと傲慢な気がしていたし、考えるだけでも当然だという気持ちには必ず、自己嫌悪が滲んでくる。二人で口に出すと、笑い話になるのだと知った。

 「男子だったらさ、そういうやつがお内裏様なんだよ」

 「黒沢かー。あいつはやばい。完璧だ」

 久しぶりに、黒沢の顔を思い出す。未だに好きだ、などということは無い淡い恋心だったが、確かにあのとき私は黒沢が好きだったのだろう。

 「でも女子だったらさ、水原さんがお雛様なんだよなー」

 「マツ、今のクラスに、お雛様いる?」

 「いるいる。可愛いんだよねーほんと。ちょっとむかつくかなって思うけど、やっぱかなわないとも思う。勉強も運動もかなってるんだけど。で、絶対、髪とか染めない感じの」

 「あー。受験勉強中でも、髪の毛留めるのにちゃんとかわいいピン使うようなね」

 「そうそう、お花のピン」

 「ああいうのってどこにあるんだ?」

 「知らねー。でっかい花のピンとか、ファーのピンだったらわかるけど」

 お雛様は、私のクラスにも居た。声が小さく、たいして目が大きい訳でも鼻が高い訳でも無いが、何故かお内裏様と付き合っていた。そして、特徴があるという訳では無いのに、目立っていた。

 「お詠のクラスにも居たんだろうね」

 ぽつりと、呟いていた。

 「いるよ。どこにだって、お雛様とお内裏様は居るんだ。クラスかもしれないし、部活かもしれないし」

 「ああ。そういえば、お詠って、主演はしたことないんだ」

 「うん。いつも、主演を食うような助演だった」

 でも、主演は絶対に食われない。ストーリに守られていて、最後に幸せになるのは主演なのだ。

 「私さあ、仲良い子に言われたことあんの。あんたは美人だし色々な面で恵まれているけど、絶対少女漫画で言ったらヒロインじゃないよねって。ヒロインのライバルってイメージだって」

 マツが、低く笑いながら言った。

 「ああ、的確だなーって思った」

 私たちは、三人官女。雛祭りに付き物だし、五人囃子よりは余程目立つが、決して一番上の段には上がることが出来ないのだ。ましてや、私たちだけが居たところで、雛壇は成り立たない。

 「官女ってどういう気持ちだろう」

 「あれって、頭も良くて綺麗じゃないとだめじゃん」

 「もてはやされるけど、姫にはなれない」

 「そりゃ、生きてるのも時にはいやになるわ」

 ね、と、二人で顔を見合わせて笑った。木陰に居るとはいえ、暑い空気をまともに吸っているので、汗が滲んできている。

 「読む?」

 「うん。読もう」

 封を破り、私たちは手紙を覗き込んだ。


   二人官女へ   久しぶりに顔を合わせてると思う。元気にしてる?

   相変わらず高校でも官女で居るのだろう。   私も相変わらずな毎日で、いい加減、官女で居るのに飽きた。

   まあ、色々といやなことがあったのもある。

   だから、お雛様になろうとあがいてしまった。

   遺言で、遺影の私は官女の私にしてもらっている。お雛様の私は、偽の私だった。

   ただ、そう気づいたときにはもう、官女に戻れなくなっていた。

   どっちつかずの人間には行き場が無い。   だから、あんたたちには私と同じ馬鹿なことはしてほしくない。   官女は、一生官女なのだ。

   でも、それでいいと思って欲しい。

   たとえお内裏様と一緒になれなくても、官女は皆の記憶に残る。

   清少納言は知れ渡っているが、藤原定子はそこまでメジャーでは無い。

 

   後戻りが出来ないから、官女に戻るために、私は生まれ変わる。

 

   最後に。

   中学時代に三人官女で無ければ、私は中学生活も諦めていたかもしれない。

   ありがとう。





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