BENクー 著 口笛 『フウとシャオフウ』
これは、まだ人間が自然を神と崇めて暮らしていた頃の話である……
ピューッ、ピュピュピュッピュー。ピューッ、ピュピュピュッピュー。 フウは、草原の一角にある森に向かって何度も口笛を吹いた。すると、小さな茂みがゴソゴソと揺れ、そこから一匹の子狼が頭を出した。
子狼は、口笛の先にフウの姿を見つけると、口から舌を出しながら弾むように茂みから飛び出し、両手を広げたフウの胸へと飛び込んだ。そして、その長い舌で何度もフウの顔を舐めまわした。
「おいおい、もうよせったら。あははっ。顔がびしょびしょになるだろうが。はははっ…」
子狼と戯れながら、フウは腰の皮袋から肉片を取り出すと、一度匂いを嗅がせた後に子狼の鼻先に差し出した。
子狼は、もらった肉を前足で抱え込みながら食べ終えると、今度は肉の匂いの残るフウの左手を何度も舐めまわした。
「もう足も大丈夫みたいだな。そろそろお別れだな、シャオフウ…」
子狼の頭を撫でながら、フウは子狼との出会いを思い出していた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
フウが子狼を見つけたのは、丁度ひと月前、この辺りでは珍しく草原に雪が降った翌日のことだった。
草原に薄っすらとした雪跡の残る中、羊たちに草を食ませに来たフウは、草原の真ん中にポツンと倒れている子狼を発見した。
フウが用心深く近づくと、子狼は、ヨロヨロと立ち上がり必死に威嚇の姿勢をみせた。だが、石槍を構えたフウが子狼を押さえつけた瞬間、ふたたびグッタリと倒れ込んでしまった。子狼は、わき腹とうしろ足に大きな傷を負い、瀕死の状態だった。
フウは、瞬間的に石槍を突き立てようとした。だが、どうしても振り上げた槍を下ろすことはできなかった。
子狼を抱えあげたフウは、いつも羊たちを見渡している丘の上に運ぶと、腰に差した石刀で手近にある草を薙ぎ、自分の口で噛み潰して子狼の傷口にあてがった。そして、一緒に薙いだ草を紐代わりにして傷口を縛りつけた。
フウは、腰の皮袋から焼いた羊肉を取り出すと、細かく噛み千切って子狼の口へ与えた。そして、丘のくぼみに掘ってある小さな穴の中に草を敷き、そこに子狼を寝かせた。この穴にはフウの飲み水の入った皮袋が置かれてあり、フウはその水を手ずから子狼の口へ運んだ。
「森で虎にやられたようだな……」
丘の上に座り、いつものように羊たちが草を食む姿を見渡しながら、フウは子狼の傷口からそう判断した。
「虎にやられてフウに助けられるか……ふふふっ」
フウは、自分の名前の元である虎にやられた子狼をシャオフウ(小虎)と名付けた。
ピューッ、ピュピュピュッピュー。 フウは、草原の一角にある森に向かって何度も口笛を吹いた。すると、小さな茂みがゴソゴソと揺れ、そこから一匹の子狼が頭を出した。
子狼は、口笛の先にフウの姿を見つけると、舌を出しながら弾むように茂みから飛び出し、両手を広げたフウの胸へと飛び込んだ。そして、その長い舌で何度もフウの顔を舐めまわした。
「おいおい、もうよせったら。あははっ。顔がびしょびしょになるだろうが。はははっ…」
子狼と戯れながら、フウは腰の皮袋から肉片を取り出すと、一度匂いを嗅がせた後に子狼の鼻先に差し出した。
子狼は、もらった肉を食べ終えると、今度は肉の匂いの残るフウの左手を何度も舐めまわした。
「もう足も大丈夫みたいだな。そろそろお別れだな、シャオフウ…」
子狼の頭を撫でながら、フウは子狼との出会いを思い出していた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
フウが子狼を見つけたのは、丁度ひと月前、この辺りでは珍しく雪が降った翌日のことだった。
薄っすらと雪跡の残る中、羊たちに草を食ませに来たフウは、草原の真ん中にポツンと倒れている子狼を発見した。
フウが用心深く近づくと、子狼はヨロヨロと立ち上がり、必死に威嚇してみせた。だが、長槍を構えたフウが子狼を押さえつけると、ふたたびグッタリと倒れ込んでしまった。わき腹とうしろ足に大きな傷を負い、瀕死の状態だったのだ。
フウは、瞬間的に槍を突き立てようとしたが、どうしても振り上げた槍を下ろすことができなかった。
子狼を抱えあげたフウは、いつも羊たちを見渡している丘の上に運ぶと、腰に差した石刀で手近にある草を薙ぎ、薙いだ草を噛み潰して傷口にあてがうと、薙いだ草を紐代わりにして傷口を縛った。
次に、腰の皮袋から焼いた羊肉を取り出すと、噛み千切って子狼へ与えた。そして、丘のくぼみに掘ってある小さな穴の中に草を敷いてそこに子狼を寝かせた。穴には水の入った皮袋が置いてあり、その水を手ずから子狼の口へと注いだ。
「森で虎にやられたようだな……」
丘の上に座り、羊たちが草を食む姿を見渡しながら、フウは子狼の傷口からそう判断した。
「虎にやられてフウに助けられるか……ふふふっ」
フウは、子狼にシャオフウ(小虎)と名付けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
シャオフウを見つけた翌日、フウは妹のファ(華)と共に放牧にくると、穴の中でうずくまるシャオフウを見せた。
シャオフウの痛々し気な様子に、ファは思わず手を伸ばしかけた。すると、フウがすかさずファの手を掴んで触れるのを止めた。
「ダメだよ。こいつは小さいけど狼の子供だ。いくら動けなくても不用意に手を出しちゃ危ないだろ。ほら、こうやって…」
ピューッ、ピュピュピュッピュー。
口笛を吹きながら、フウは皮袋から千切った肉片を草の上に投げた。そして、ファにも同じように口笛を吹かせて肉片を投げさせた。
「なっ、こうすればシャオフウはこっちを見るだろ。おれがいない時はお前が餌をやってくれよ…」
「シャオフウ?」
「そう、こいつの名前だよ。おれが見つけたから小虎!」
「小さいフウ兄だからシャオフウ……ふふふ、ほら、シャオ、お食べ。ピューッ、ピュピュピュッピュー。」
ファの口笛は、フウの口笛よりも高く、澄んだ音となって草原に響き渡った。 シャオフウの傷が癒えるひと月の間に、フウとファの口笛は、いつしかシャオフウを呼び出す合図になっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「シャオ、もうお別れだ。おれもファも、もう口笛は吹かないからな……さあ、行けっ!」
フウは、もう千切ることもなくなった肉片を思いっきり森の奥へと投げ込んだ。そして、シャオフウが肉に向かって行く姿を見送りながら、この場所から早々に駆け出そうとした。
すると、森の奥から、一番聞きたくない声が聞えた。グウォーと聞える低い唸り声。それは、森の王者である虎の咆哮だった。「…シャオ!」
去りかけたフウは、すぐに踵を返すと、そのまま森の奥へと駆け込んで行った……
夕刻。なかなか戻ってこないフウを心配したファと家族は、放牧先の草原へとやってきた。だが、そこにフウの姿はなく、草を食べ飽きた羊たちが、ただ夕暮れの風に吹かれているだけだった。
ピューッ、ピュピュピュッピュー。
ファは、すぐに丘の上に立つと、草原に向かって口笛を吹き始めた。
『シャオならフウ兄の行き先を知っている……シャオ、どこにいるの。フウ兄はどこ…』
ファの甲高い口笛が草原じゅうに響き渡ると、羊たちを集めようと草原に散っていた家族が、皆不思議そうにファの行動を見つめた。すると、森の一隅がガサッと揺れ、そこから一匹の子狼がヨロヨロと現れた。
「シャオっ!」
ファは、丘の上から飛び降りるように駆け出すと、血だらけのシャオフウを抱き上げ、そのまま森の一隅へと向かって行った。そこに、血まみれのフウが倒れていた。
「フウ兄ぃ!」
ファは、うつ伏せのフウの身体を自分の膝の上に抱き上げた。
「フ、ファか……シ、シャオは……」
「ここだよ。あたしが抱いてるよ。シャオ、ちゃんと生きてるよ!」
「よ、よかった……シャオ……」
シャオフウに頬を舐められながら、フウは安心したかように目を閉じた。
「フウ兄ーぃ!」
ファの叫び声を聞きつけた家族たちは、すぐにフウを自分たちの住処へと運んでいった。
それからもうひと月後……
すっかり緑に染まった丘の上で、フウとファは、羊たちの鳴き声を聞きながら春風に吹かれていた。
フウは一命を取りとめたが、代わりに左足が伸びたままになり、生涯杖が必要な姿になった。
しかし、フウはそんなことで少しも気落ちすることがなかった。なぜなら、フウの代わりに羊を集めてくれる仲間ができたからだ。ピューッ、ピュピュピュッピュー。
クオーン。
フウの口笛に、草原の真ん中にいたシャオフウは、一声大きな遠吠えで応えた。
・・・おわり。