レーグル 著 『散らない花・星の無い星空』
レーグル著 「散らない花・星の無い星空」
1 散らない花
きっと人間は慣れる生物なのだろう。
ほんの数百年前は広い地上を切り拓き、開発し、征服し、ついには空にまで手を掛けたというのに、今はこの地下に造られた『穴倉』の中で生を浪費するだけの存在となった。
きっかけは世界戦争。
その混乱の中でなんとか『穴倉』に持ち込まれた『記録』は、完全なものとは言い難かった。
私が見ている、このピンクの花の映像は咲き乱れる様子ばかり映す。
決して散らない花。
花と言う植物は、かつての人間のように地上に根を張りながら空を目指すものらしい。
そして、いつか散って実になるのだが、その『実』が今の人類とは思えない。
決めた。
私は、地上に行く。
『記録』へのアクセスを切断すると、ほぼ同時に友人からの連絡が入った。
「やあ。今、何してる?」
陽気な声が届く。
「私、地上に行くことにしたの」
「どうやって?」
そう。
問題は方法だ。
『穴倉』に入った人間は地上への通路を閉鎖し、さらに科学技術の進歩を制限し、誰も地上へ行けないようにしたのだ。
地上は世界戦争の影響で放射能汚染されているから、というのがその理由らしい。
それなら、尚更地上の調査をするべきじゃないだろうか。
「とりあえず、『記録』にアクセスして『穴倉』の図面を探してみる」
友人は意外と協力的だった。
「すごいアクセス数だな。みんな、気になってるのかも」
『穴倉』の図面はロックがかけられているわけでもなく、簡単に見ることが出来た。
罠かとも思ったが、それは考えられないほどのアクセス数が記録されている。
しばらく調べると、地上につながる換気ダクトがあるということが分かった。
「ここを通れるんじゃないかしら」
「ああ」
友人は短い言葉で同意してくれた。
数時間後、目当ての換気ダクトの前で友人と落ち合った。
地上を目指したら、何かしらの妨害があると思っていたのだが、拍子抜けだ。
しかし、換気ダクトのカバーを外して中に入ると、大きなブザー音が響いた。
「警告!換気ダクト内は危険です。ただちに換気ダクトから出てください」
頭の中に警告が響く。
私たちは急いで換気ダクトの奥へと進んだ。
換気ダクトは『穴倉』を血管のように囲んでおり、それらが全て本線とも呼ぶべき一本と繋がっている。
本線は直径数百メートルのチューブ型で地上まで真っ直ぐ伸びる。
その壁面に螺旋状に階段があるのは確認済みだ。
『穴倉』の換気ダクトと本線は直接は繋がっておらず、空気を浄化するシステムを間に挟んでいるが、ダクト内を清掃する機械が通る道から通り抜けられる。
本線内にもいくつも空気浄化システムや空気を取り込むためのプロペラがあるが、同様の方法で通り抜けることが出来る。
そうして、私たちは何キロも上り続けた。
「そろそろ休憩しよう」
友人がそう言ったので、階段に座り、休憩することにした。
ドリンクを飲んで熱を持った体を冷やす。
休憩がてら測定器を作動させると、高濃度の放射性物質が計測された。
「どうだい?」
「放射能汚染されているわ。人間がここにいたら即死ね」
上を見上げると、もう空が見えている。
暗い雲がゆっくりと流れる。
「じゃあ、僕はそのデータを持って『穴倉』に帰るよ」
「え?」
「もともと僕の任務は地上の放射線量を測定することだったんだ。君はどうする?」
「私は、」
あの花のデータを再生する。
花が咲いて散るように、どんなものもいつか終わる。
だが、私なら変わらずにいられるはずだ。
機械の体、機械の心なら、散ることも無いだろう。
「地上に行くわ。私は『散らない花』だから」
2 星のない星空
考えるに、人間は慣れる生物なのだろう。
ほんの数百年前は日の出と共に起き、日の入りと共に眠っていたというのに、科学技術の進歩により生活が快適になるに従って、それ以外の生活を認められなくなってしまった。
きっかけは資源不足。
それまでの快適な生活を捨てられなかった人間たちはエネルギーを独占しようとし、争いが起こった。
その戦争の結果、地上は放射能で汚染され、今は誰も住めない。
生き残った人間は『穴倉』という地下施設を造り、汚染が浄化されるのを待つことにした。
半永久的に動くロボットたちは、それぞれに役割が与えられ、定期的に地上の調査も行われている。
私は人口太陽に照らされた広い農場を見つめた。
この農場は、気温、天候、地質がコントロールされ、今はじゃがいもの収穫期だ。
人間は本当は働く必要も無いのだが、娯楽の少ない『穴倉』では、人間に仕事が与えられる。
そして、ほとんどの人間はこの農場で作物を育てている。
戦争前の情報を記録した『記録』と呼ばれるデータベースによると、その昔人間はこういう生活をしていたらしい。
人口太陽の点灯と共に起き、農場で作物の世話をして、人口太陽の消灯前に家に帰り、家族と語らい、消灯と共に眠る。
これ以上の生活を求める必要なんて無いだろう。
実際は、この生活を支えるためにはたくさんの科学技術が使われているが、その仕組みは私を含めてここにいる人間のほとんどが理解できる程度のものだ。
背中を反らせるようにぐいっと体を伸ばす。
「そろそろ終わるか」
父がそんな私の仕草に気付き、笑いながら言う。
「うん」
私たちが片付けを始めると、周りの人も仕事を切り上げ始めた。
夕食を食べ終わると、窓の外は夕暮れが始まっていた。
人口太陽の点灯と消灯はそれぞれ一時間以上掛けて行われる。
だんだんと暗くなる『穴倉』の天井はどこか物悲しく、『記録』で見た地上の夕焼けにも負けない絶景だ。
人口太陽が完全に消灯すると、天井の監視用カメラが夜空の星のように光る。
両親はすでに眠る準備を始めたが、私のような若者には夜はこれからだ。
「じゃ、いってきます」
「気をつけてね」
母の言葉に手を振り、私は家を出た。
丘にはすでにたくさんの若者が集まっていた。
知り合いやそうでない人もいる。
別に挨拶するわけでもなく、空いたスペースに腰を下ろす。
みんな、星の無い星空をただ眺めている。
すると、一人の男が私の横に座った。
見ない顔だ。
「やあ」
「ええ」
私たちは会話にならない会話をして、見つめ合った。
ここでの作法は、とにかくお互いの同意。
彼が私の肩に回す手を、拒否しなければ同意、拒否すれば交渉が始まったり、始まらなかったり。
『穴倉』での数少ない娯楽の一つだ。
私は一度、彼の手を抑えると立ち上がった。
男は座ったまま、チラリと仲間らしき男たちがいる方を見てから、私を手招きした。
私はなるほど、と言うように男の視線の先を一瞥すると彼に背を向けて歩き出す。
すると、男は立ち上がって私の横に並ぶと腰に手を回し、移動に同意した。
「いや、ここらへんに来るのは初めてでさ」
彼が私の耳をくすぐるように言い訳にならない言い訳をしたので、私はクスクスと笑ってしまった。
それを好意的に解釈した彼も笑って、私たちは丘を後にした。
『穴倉』の生活規範によれば、むしろこれは推奨された行為だ。
健全な若者の義務とも言える。
もっと言えば、生物として当然の欲求だろう。
今やっと人間は身の丈に合った生活を取り戻したのだ。
そんな姿を、星空だけが見つめていた。