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パール 著 『花を並べたら』

お部屋をね、花でいっぱいにしたいの。


「では、少しお待ちください。花屋にアレンジさせましょう」


ううん、黒川、あなたがして。お花のところだけ切って、床に並べたらいいのよ。


「床にですか?」


ベッドの上も、テーブルやソファも全部よ。


私の視えるところ、全部に置いてね。


あ、そうだわ。すべての季節のお花を用意してね。


綺麗なものをたくさん視ていたいの。


「かしこまりました」





私、読書が好きだったのに。


どうして目が視えなくなっちゃうのかしら。


「わたくしが、音読して差し上げます」


黒川が読んだら、楽しいお話も、暗くなりそうだわ。


自分で小説を書くのが夢だったのに。


「それも、おっしゃってくだされば、わたくしが書きましょう」


お話を考える楽しみができるわ。





ねえ、私が一番こわいこと、わかるかしら。


「さて、なんでございましょう」


醜くなることよ。


鏡を視られないなんて。きっと、おそろしく醜くなるわ。


お洋服だって、きっと、おかしなものを着るんだわ。


「大丈夫です。わたくしが、いつまでも、お嬢様を美しく保ちましょう」


ありがとう。


嬉しいわ。


きっとよ。





 7日午前10時30分頃、沖縄県那覇市の無職黒川肇容疑者(37)から「自宅でお嬢様を殺した」と119番通報があった。

 那覇市消防本部から連絡を受けた那覇署員が駆けつけたところ、黒川容疑者の同居女性(27)が室内で死亡しており、同容疑者を殺人容疑で現行犯逮捕した。女性は外傷は無く、薬物による中毒死。同容疑者は自分の腹を果物ナイフで数か所刺し、重傷だが、意識はあるという。

 同署の発表では、黒川容疑者は女性と2人暮らし。「一緒に死のうと思った。」などと供述しているという。



 俺が噴水の水滴を浴びていたのは、マイナスイオンで少しはマシになるかと思ったからだ。 勤めていた会社が、いきなり倒産して放り出された拍子に、魂もどこかに落とした気がする。そんな時に、凛子に会った。


 6月の大通公園は、日差しが眩しいが熱線は感じられない。

 公園の脇のベンチの横は、ライラックが優しい色で揺れている。この時期は、案外短い。昼時はベンチが埋まってしまうので、噴水の端に腰掛ける。

 職探しで、数週間。そろそろ本気で焦ってきた。35を超えると、厳しいとは聞いていたが。

 コンビニおにぎりを齧りながら視線をあげると、数メートル先のベンチに座っている女と目があった。女は俺の顔を見るなり、ハラハラと涙を流した。

 まだ若い、綺麗な女だった。近くの銀行の制服を着ている。

 俺は思わず、近づいて声をかけてしまった。

 「大丈夫ですか」

 女は驚いたように俺を見上げながら、ピンクのタオルハンカチで鼻と口を隠すようにおさえながら、頷いた。

 なんとなく、隣に座る。

 「すみません。いきなり泣き出して、びっくりしたでしょ」

 「はぁ、まぁ」

 「仕事ミスっちゃって、怒られて、職場で泣けないから、ここで。子供みたいですよね」

 涙で潤んだ目がにっこり笑うのは、花が咲くみたいだ。

 「ミスは誰でもしますよ」

 何か、かっこいい台詞を吐こうと思ったら、俺の腹が鳴った。

 「あの、これ、良かったらどうぞ」

 女は俺に、可愛らしい女物の弁当箱を押し付けると、走っていった。


 それから、俺は同じくらいの時間に大通公園に行くようにした。弁当箱を返したかったし、何故か彼女が気になった。もう、この時には恋してたんだろう。

 何回か会ううちに、意気投合し、他の場所でも会うようになった。

 職探し中であること、経済的に厳しいことを話すと、一緒に暮らそうと彼女が言い出した。


 そして、俺は凛子のアパートに転がり込んだ。


 凛子の部屋は近くに女子短大があるせいか、小さく可愛らしい作りだが、清潔感があったし、アパートの周囲も女の子向けの店が多く、治安が良い印象だった。このあたりで一番治安が悪そうなのは、俺だろうか。

 平日は凛子が仕事にでているので、俺が家事をした。一旦生活が落ち着いてしまうと、焦って職を探す気にもなれず、たまに簡単な日雇いやアルバイトをするだけになった。これが、いわゆるヒモの生活だろうか。そんな俺を邪魔にするどころか、感謝の言葉を発する凛子を心から愛しいと思った。そんな生活がしばらく続いた。


 可愛い女というのにも、色々あると思うが、凛子の可愛さは「おっちょこちょい」だろう。何かで張りつめた空気も、彼女のサザエさん的な「おっちょこちょい」で柔らかくなることがある。ただ、仕事でそれをやられたら、上司としては怒って当然だ。余計な仕事を増やされる同僚にとっても、鬱陶しい存在なんだろう。凛子が同僚と仕事抜きで会っているところを俺は知らない。どうやら、凛子には俺しかいないようだ。


 その日は突然きた。

 朝、凛子を送り出したと思ったら、洗濯物も干し終わらないうちに帰ってきた。強い頭痛と吐き気で早退してきたという。頭痛薬を飲んでも、あまり良くないので、凛子を近くの病院へ連れていった。待合室は前日が休日ということもあって、結構混んでいた。俺は、椅子に凛子を座らせ、「痛い、痛い」とハンカチで顔を覆いながら呻く彼女の背中をずっとさするしかできなかった。

 順番がきて診察をうける頃には、相当キツそうだった。

 「城川凛子さんですね。今朝から頭が痛いんですか」

 「はぃ・・・」

 「ええと」

 医者は腕を伸ばし、凛子を診ながら首を傾げた。

 「見え方はどうですか」

 「なんか、左がぼんやりします・・・」

 「城川さん、これは眼科ですね。うちでは治療できないので、急いで眼科に行って下さい。緑内障の発作じゃないかな・・・」

 だったら、待合室であんなに待たせるなよ。

 こんなに痛がっているのに。

 俺は言葉を飲み込むと、凛子を抱えるようにして、医者に紹介された総合病院の眼科に急いだ。

 

 凛子は「閉塞隅角緑内障」だった。

 目玉の水晶体と角膜の間には、房水という水が常に作られ、排出されていて、凛子の場合はその排出されるところが詰まったらしい。そうなると、眼圧が急激に上がって視神経を傷つけ、最悪の場合は視力を失う。普通は、もっと高齢な女性に多いらしいから、凛子の若さではレアなんだろう。薬とレーザー治療で、痛みは治ったらしい。だが、左目の視野の大方は欠けてしまった。傷ついた視神経は、再生しない。


 俺は悔やんだ。




 今になって思い出す、様々な予兆。

 もっと早く凛子の目がおかしいことに気づけたはずなのだ。洗顔料と歯みがき粉を間違えるなんて、序の口だ。彼女は新しい形のお菓子のパッケージの開け口をよく見ようともせず、端からバリバリ破っていた。暗い照明の居酒屋でも、品書きを俺にわたして、自分は見ようとしなかった。雨の日は、水たまりに足をつっこむし、ボードゲームの赤とオレンジのコマをよく間違えた。おそらく、銀行でのミスも同様なのだろう。帳簿や伝票の数字は小さい。

 無気力な俺は、ぬるま湯に浸かったような生活に安住していた。そんな俺を凛子は、自分の体調を顧みず、養って、孤独を癒してくれた。次は、俺が支えよう。

 

 凛子は病気療養の長期休暇にはせず、退職した。細かい作業の多い銀行では、復職が難しいと考えたのだ。親しい友人もいない。俺は相変わらず定職にはつけなかったが、以前よりは働くようになった。仕事のないときは、一日中、家で凛子と時間を共にした。

 凛子の趣味の多くは、目を酷使するものだった。読書、編み物、パソコン。大好きなものを取り上げられた凛子は、苛立ちを隠さなくなった。


 その日、俺が仕事から帰ると、部屋中にビリビリに切り裂かれた本が散らばっていた。驚いて大きな声を出すと、ベッドの中から、凛子の細い泣き声があがった。布団を剥がしてみると、そこには凛子と、細かく切り刻まれた、編みかけのセーターの毛糸があった。俺は、凛子の手に握られていたハサミをそっと取りあげると、強く抱きしめた。

 ひとりでいる時間が長すぎて、不安定になったのだろうか。心配になった俺は、仕事にいくこともできず、ただ、凛子のそばに居た。

 日課になったのは、凛子の好きな小説を読んでやることだった。これが、彼女の気分を紛らわせるのに最高の方法だった。

 「『はい、お嬢様かしこまりました。と、うやうやしく頭を下げた執事が・・・』って、凛子さ、こういう本が好きなわけ?」

 「うん、好き。お嬢様と執事ってさー、なんか、いいじゃん」

 「俺は読んでてハズカシイけどね・・・」

 「ええー、読んでよ」

 「あ、そうだ。じゃあさ、『お嬢様と執事ごっこ』にしよう」

 「あはは。それいいね。お嬢様とお呼び。黒川って呼び捨てしちゃうよ?」

 「はい。黒川とお呼び下さい。お嬢様」

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、この他愛のない遊びは、ふたりの心を潤した。




 こんな生活で、ふたりの貯金はどんどん目減りしていった。凛子の両親は既に他界していて、兄弟もいない。実家も売りに出されてしまっているという。

 わたくしは途方に暮れたが、自分の親族を頼って故郷の沖縄へ凛子を連れ帰ることにした。親戚のつてで、安いアパートを世話してもらい、新しい生活が始まった。しかし、わたくしと凛子のごっこ遊びは終わらなかった。


 那覇に移り住んでからも、お嬢様は大学病院で目の治療をつづけ、これ以上は悪化しないよう、目薬でコントロールできるようになった。緑内障は怖いが、手 におえない病ではないのだ。病状が安定したからなのか、沖縄への移住のせいなのか、次第にお嬢様は明るさを取り戻していった。

 お嬢様が特に好んだのは、「さんぴん茶」だった。ジャスミンティーなのだが、ここ沖縄では昔から飲まれている。ペットボトルで売られているほどメジャー なお茶なのだが、お嬢様は、わたくしがティーポットで入れたものが一番美味しいという。オリエンタルな甘い香りと、サッパリした風味は南国に来たことを強 く感じさせてくれる。

 日々、元気になっていくお嬢様を見ることで、わたくしは安心するとともに将来のことを考えるようになった。このまま結婚して、一生添い遂げられればと。 失業率の高い沖縄での職探しは、札幌よりも難しかったが、体を酷使する業種をあえて選ぶことで、なんとかなった。ただ、不規則な時間帯であったため、お嬢 様と四六時中一緒に居られるわけではなくなった。それでも、この温暖な気候と、人々の細かいことにこだわらない気風が彼女にあっていたらしく、不安定にも ならず、それどころか、お嬢様の輝きは増していった。

 わたくしは、お嬢様に奉仕することがこの上ない幸せだった。当然、お嬢様もそれは同じだと思っていた。わたくしの奉仕の上に、お嬢様の生は成り立っているのだから。


 3月3日は雛祭りのケーキを一緒に食べようと、仕事を抜け出しアパートに向かった。細い筋道を抜けて、アパートの前まで来た時、見慣れない車が前に止 まっていた。楽しげな笑い声が聞こえると、わたくしはとっさに近くの塀の影に身を隠した。アパートから出てきたのは、お嬢様と知らない男だった。わたくし は、何がなんだかわからなかった。まさか、お嬢様が男を家に?何かの間違いだ。目を凝らして、男の顔を確認する。どこかで見たような・・・

 ああ、わかった。

 お嬢様の眼科医だ。

 若い眼科医は、車に乗り込むと手を振って去っていった。

 見送るお嬢様の目。

 ああ、この目は、見たくなかった。


 それから数日間、わたしくしは悶々として暮らした。お嬢様には何も聞けないまま。


 お嬢様にとって、わたくしは何でしょう。ただの下僕でしょうか。

 あなたの為に生きるのが、わたくしのすべてだったのに。

 わたくし無しでは、生きられないお嬢様。そう、思っていたのに。

 あなたの願いは、なんだって、すべて叶えてあげているのに。

 こんなに、


 つ く し て い る の に 。


 3月7日気持よく晴れた朝、わたくしはお嬢様に特別な「さんぴん茶」をいれた。




 『花を並べたら』 了



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