紫草著 クリスマス 『独りぼっちのChristmas』
注意・この物語はフィクションです。登場する人物・事柄は全て架空のものです。
子供の頃――
クリスマスといえば、それはホールケーキを食べる日だった。
それもバタークリームの、今思えば決して美味しいケーキではない。
でも、それが我が家では、一年にたった一度のケーキの日だった。
キリストの話も知らなかった。
それでも枕元に、普段使いの靴下を二足分置いて寝た…。
翌朝、プレゼントが置かれたことは一度としてなかった。
楽しい思い出のないクリスマス。
街は何時しか、イベントと化したクリスマスに踊らされ、「プレゼントは貰って当然」とでも言うように様々な商品が飾り付けられ売られている。
そんな売り場を見たくなくて私の足は遠ざかる、クリスマスというコーナーから。
あんなに夢見たプレゼント――
大人になってしまっては、もうあの気持ちは戻らない。
一年で一番遠いクリスマス、“Merry”という言葉すら私は本当の意味を知らなかった…
派遣社員は何でもやる。
特に決まった会社との契約のない、何の役にも立たない契約社員はここぞとばかりに借り出されるクリスマス。
去年はミニのスカートで、サンタの格好をさせられて二十五日に日付けが変わってもケーキを売っていた。
その前は、着ぐるみでトナカイの格好をして子供たちに風船を配っていた。
今年は何をさせられるのかと思っていたら、今日、通達があった。
“ケーキ売り。場所は当日決定”
多くの女の子は、渋谷や銀座といった場所が書いてあったという。
今更、期待はしていない。
私にとってクリスマスは、人生が独りであることを証明する日でもある。
恋人もいない。クリスマスを共に過ごす友人もいない。
ただ仕事があるだけマシなのかもしれない。
帰り道。
コンビニに寄って、いつものように夕食を買う。
社交辞令のように「お弁当を温めますか」と繰り返すバイトの子に返事をするのも面倒で、ただ首を横に振るだけで済ます。
そんな中で温かなおでんだけは、気持ちを優しくしてくれるような気がするのだった。
温かなおでんとお弁当。
冬の寒さは嫌いだけれど、この帰り道だけは、ちょっとだけ楽しかった…。
イヴ当日。
私は、浅草のケーキ売り場への出向を言い渡された。
あの浅草か、と聞いてみたが、当然あの浅草である。
雷門の近くならいざ知らず、浅草に当日予約なしのケーキを買いに来るお客さんが果たして何人いるのだろう。
毎年のことながらケーキ売りは歩合制なので、売れなければお給料はもらえない。
絶望的な気持ちになりながら、私は予定を組んだ。
幸先は決してよくなかった。
早めに出たとはいえ、人身事故の影響で電車が停まり、ケーキ屋の人との約束に遅れる結果となった。
午前十時十五分。遅れて私は約束の交差点に着き、そこには眉間に皺を寄せた大男が、すでに怒って待っていた。
そして、見渡すばかりの観光客と老人の群れ。そして皆の足は雷門へと向かってゆく。
ワゴンに詰まれたホールケーキは五十個。
きっと、これが私の今日と明日の食事となるだろうと覚悟を決めた。そしてサンタの格好に着替え、数分後にはワゴンの前に立つ。
何故、この場所なのかがよく分かる。
こんな所に若い子を置いたら、勿体無いという判断だ。私だって、まだ二十五歳。
でも、この顔立ちは決して若くは見えないから。
その位、ここは人の来ない場所だった――。
売り始めて、通り過ぎて行った人の数が七人。
唯一の救いは、暖かな小春日和の一日になりそうだということ。
ほんの七八分歩けば、賑わう浅草寺がある。その賑わっている声だけは、ここまで届いてくる。
小春日和とはいえ、ミニのサンタの格好は寒い。
でも今日は何時まで粘っても、売り上げはないだろうと予感があった。
その時だった。
「これ、いくらですか?」
という声が聞こえたのは…。
「これ、いくらですか?」
暫く、幻聴かと思っていた。
すると、改めて声が聞こえる。
「売り物じゃないんですか?」
私は慌てて振り返り、
「売り物です。二千五百円です」
と答え、頭を下げていた。
クスクスと笑う声がして、冷やかしだと落胆した。期待した分、落ち込みは激しく、私は頭を上げられなかった。
「ごめんなさい。どうぞ、行って下さい」
と言うのが精一杯だった。
「えっ、どうして。買っちゃ駄目ですか」
今度こそ、本当に驚いて顔を上げた。
「あ…」
そこには見慣れた顔があった。名前も知らない、でも、凄くよく知っている人。
「これ、いつまでに売るんですか?」
そう言いながら、彼は積んだ箱を数えている。
「え。あゝ、今日の25時までです」
「何それ。地球外手当てが出るとか!?」
その言い方に、何だか笑ってしまった。
地球外手当てかぁ…
「そうかもしれません。何個売れたか、報告書を書いて売上金を納めるだけですが、売れない時はこれが配給されてお給料の代わり。その上、ペナルティで半額代金払うんです」
彼は、その金額を計算しているようだった。
「いいですよ。気にしないで、行って下さい」
「いや。買うよ、全部」
はぁ~!?
この人は今、何と言ったんだろう。
「ここじゃ、どうせ全部売れないんだろ」
「たぶん…」
「なら、俺が買う。ちょっと待ってて、お金持ってくるから」
そっか。
これが彼なりの優しさ。
ただ買わないと去るより、お金を持ってくると去る。
これなら、こんな所で遇ってしまったことへの後ろめたさもなく、またレジの前に立てるのだろう。
そう。彼は、私が毎晩寄る、コンビニのバイトの男の子だった。
「有難うございます。お待ちしています」
私は笑ってお辞儀をして、彼を見送った。
良い子なんだ。
この最悪な仕事のなかで、たった一つの暖かい本当のお辞儀。
驚いたのは彼が一時間後、本当に戻ってきた時だった――。
「これは?」
「近所に住んでる人から拝借してきた。話をしたら、そのケーキ全部売って来いって」
それは見慣れぬクリスマスツリーだった。
最初は、彼が戻ってきても何も変わらなかった。
それが十分もすると、一人二人とこのツリーを見るように人がやってきた。
それは親子連れだったり、恋人だったり、老人同士の集まりだったりと。
全員が買ってくれるわけじゃない。
でも一人が買うと言ってくれると、続けて買ってくれる人が増える。
そして本当に彼はケーキを売ってしまった、たった一個を除いて。
私は初めて完売したという報告書と売上金を会社に納め、その足で彼の待つ浅草へと戻った。
「有難うございました。バイト料、払わないとならないですね。このツリーのレンタル料も」
「何言ってんの。これは近所のおばちゃんからの借り物。さて返しに行くけど、予定がないなら一緒にどう?」
勿論、断わる理由などない。
まだ午後五時。こんな時間に完売なんて、どの場所でもまだありえない。
「お供します」
彼はかっこよくウィンクすると、そのツリーを担ぎ上げた。持ってきた時と同じように。
「おやおや。独りぼっちが三人も揃ったのかい」
その老女は、私たちを見て笑った。
「よかったら、一緒に食べていくかい」
「いいんですか?」
「時生が連れてきたんだ。いいよ」
ときお…って!?
すると彼が、俺と言うように自分の顔を指す。
「ケーキは彼女の奢りだよ。良かったね」
時生と言った彼が、老女に話しかけながら、食卓に食器を並べている。
「買い占めるのが愛情じゃないからね。本物の男は仕事を全うさせてやるもんだ」
え…
じゃあ、本当に買ってくれるつもりでいたの!?
「えっ。うわ、何泣いてんの」
振り返った彼が驚いている。
当然だろう。私は号泣していたのだから…
「ううん。ありがとう。本当に有難うございました」
私たちは、独りぼっちのクリスマスを三人で過ごした。
そして私にとって、独りぼっちのクリスマスは、これが最后となった――。
【了】
著 作:紫 草
Copyright © murasakisou,All rights reserved.
サークル投稿用
Blog『君戀しやと、呟けど。。。』
http://blog.goo.ne.jp/murasaki-sou/e/08a4ba6502865712c980b8587ce66c37
*これは以前書いた、クリスマスのお話です。以下はホームページのアドレス。
HP『孤悲物語り』 shortより
http://kohimonogatari.web.fc2.com/short/christ.html