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MY SWEET DARLIN'

MY SWEET DARLIN'(補完編) 願いの糸

作者: 来生尚

 あの方は目覚めない。

 永遠にこのまま意識が戻る事はないのではないだろうか。

 巫女様にお仕えし、お守りする事が、わたしに課せられた任であったというのにも関わらず、このような事態になってしまうとは。

 己の不甲斐なさが情けなくなってくる。

 もしあの時、わたしだけでも執務室に残っていたのなら。

 もしもあと少し早く、お傍に戻っていたのなら。

 あの日、せめて控えの間に下がって待機していたのなら。

 後悔の念は、決して消えることのない自責へと繋がってゆく。

 最も大切な方を、神殿は失ってしまうのかもしれない。



「少しは食べなよ。起きた時お嬢が心配するよ」

 顔を上げると、目の前には神官長様付の神官、通称下僕が座っている。

 神殿の中には様々な厄介事が存在しているが、下僕はそういった事を全く気にせず、一度二人きりで話して以来、わたしの姿が見えると何かと話しかけてくるようになった。

 他の神官たちが遠巻きに様子を伺っているのが、視界に入る。

 しかし下僕は全く気に留めていないようだ。なんとも言えないねっとりとした視線を。

「お嬢が意識を失ってから、もう随分日が経ったね」

「今日で18日目だ」

 下僕は少しわたしを強い視線で見て、それから自らの手元に視線を動かす。

「18日か。その間執事も随分痩せたんじゃない? いつもそうやって考え込んでいるばかりで、殆ど食べてないし」

 パンをちぎり口へと運んでいる下僕に付き合うように、同じようにパンを口に運ぶ。

「そりゃさ、お嬢のこと心配だろうけど、執事が痩せ細ったって、お嬢の目が覚めるわけじゃないんだから食べなよ。それに食べ物を粗末にしないって言うのは、僕ら神官の基本理念だよ」

 食べている時に口を開くのはどうかと思うのだが、敢えてそれを口には出さずに下僕の話を聞き続ける。

「僕らが食事にありつけるのも、全ては水竜様のお恵みがあってこそだろ。その恵みを捨ててしまうのは、神官としていかがなものかと思うんだけどな」

 もぐもぐと口を動かし、同じ位の勢いで手を動かしている下僕の様子がうらやましくもある。

 食べられるものなら、食べたい。

 巫女様がお倒れになられた日から、食物が喉を通過するのが気持ち悪く、体に入れば不快感が全身を包む。

 まるで恵みを下さる水竜様から、食物を通してわたしの不甲斐なさを叱責されているかのようだ。

 コップの中の水を一口含み、強引にパンを流し込むと同時に、吐き気がこみ上げてくる。

 しかし、ぐっと堪えてそれを飲み干すしかない。

 全身に寒気が広がってゆく。

 わたしのほうをチラっと見て、下僕が席を立ち上がる。

「あとで姫がお嬢の容態について聞きたいって。夕食の前に姫の私室に来るようにとのことだよ」

 見下ろす下僕と視線が合う。

「わかりました」

 短い返事を返すと、何か言いたげな顔をしていたが、下僕は頷いて食器を戻しに行く。

 その姿をしばらく目で追い、それから手元の食器に目を下ろす。

 殆ど手付かずの食事。

 食べなくてはと思っていても、手が動かない。

 何かが重くのしかかり、目の前のわずかな食事さえも食べてはいけないと思えてくる。

 食器を手に立ち上がり、わたしは食堂を後にする事にした。



 巫女様の部屋に戻り他の神官と交替するには、まだかなりの時間的余裕がある。

 今すぐにでもお傍に戻りたい気持ちはあるものの、あまり早く戻るのも色々と障りがあるので、書庫へと足を向ける。

 今回の一件について、過去の歴代の巫女様方で同じような体験をなさっている方がいらっしゃらないか、司書に調べてもらっている。

 そろそろ何らかの結論が出ているかもしれない。

 これはあくまでも個人的に頼んでいることなので、こちらから訪ねるべきであろう。

 わざわざ司書に手間を掛けさせるわけにはいかない。

 書庫の扉を開けると、定位置に司書が座り、何か書物に目を通している。

 声を掛けると顔を上げ、ずり下がった眼鏡を指で軽く押し上げる。

「よお。青っ白いツラしやがって。ちゃんと食ってるのか」

「ええ」

 短く答えると、司書は手元の書物をパタンと閉じる。

「お前がそう言うんなら、俺は何も言えないな」

 司書はそばに積み上げられた書物の山の中から、何か一冊を引っ張り出し、パラパラとページを捲る。

 捲りながら、司書はこちらの顔を見ずに呟くように話し出す。

「お嬢はまだ目を覚まさないか」

「ええ」

「そうか。噂では毒殺されかかったそうだな。祭宮に」

 それを信じているのか信じていないのか、あえて聞き返すこともなく相槌を打って司書の話に耳を傾ける。

 理由もなく、こんな話を持ち出したとは考えにくい。

 巫女様が意識を失われてから、まことしやかに神殿で流れ続ける陰謀説。

 水竜の大祭の場での狼藉に続き、王宮側は巫女様に何らかの謀略を仕掛けているのではないかというもの。

 神聖たる唯一無二のお方を汚すような真似をした王宮側の態度は、今なお神官たちの記憶に新しい。

 あの事件以来、正式な巫女様付の神官は私一人であることには変わりないが、警護の意味を含め、巫女様の身辺に人員が増員された。

 そして、巫女様は倒れられたまま、意識を回復することなく眠り続けていらっしゃる。

 まるで大地の乱れと呼応するかのように。

 ある地方では、山から炎が噴き出したという。

 またある地方では、大地が震え、建物が崩壊して住まいを失うものが多数出たという。

 海辺の町には巨大な波が押し寄せたとも伝え聞く。

 そして、この国には絶望と飢餓が静かに、しかし確実に押し寄せてきている。

 巫女様は、そして巫女様を通して水竜様は穢されてしまい、その結果、国は乱れているのではないかというのが、現在神殿で大勢を占めている意見である。


 しかし見てしまった。

 あの日確かに、祭宮様は後悔しておられたのだと思う。

 赤く腫れた目、そして目頭を押さえるような仕草。

 あの方が涙を流したとはとても考えにくいが、状況からはそのように見受けられた。

 もっとも、他の神官たちは巫女様に目を向けていたので、誰かに同意を求めようにも、その場面はわたししか見ていないだろう。

 あの時、横たわる巫女様を我々に託した後、またたき数度の間に合間見せた表情は、恐らく祭宮様の本心に違いないだろう。

 祭宮様の事を悪く言う者もいるが、巫女様と祭宮様の間には確固たる信頼関係が築かれているようにわたしには見える。

 基本的に、ではあるが、巫女様は祭宮様に対しては心を開いているように感じる。

 それから何よりも巫女におなりになった日、祭宮様と最後に会いたいとおっしゃった事。

 それにより巫女という道をお選びになったというのは、覆しようのない事実である。

 また、祭宮様も巫女様に対しては気安く接していらっしゃるように見受けられる。

 時には冗談のような事をおっしゃり、巫女様を見て目を細めるようにして笑うことは、一度や二度ではない。

 巫女様が涙を流されるような仲違いをする事もあるようだが、ある側面においては、それだけ本音でぶつかり合う事の出来る関係と見てもよいのではないだろうか。

 そして何よりも、大祭で無礼を働いた、恐らく王族だと思われるものを諌めたのは、他ならぬ祭宮様であった。

 故に、王宮側の謀略により、祭宮様が巫女様を毒殺しようとなさったとは考えにくい。

 ただ、事実、巫女様は確かに祭宮様と二人きりの部屋の中で、何らかの事件なり事故なりに遭遇し、意識を失われたのだ。

 それもまた、覆しようのない事実。

 それが故意なのか、それとも不慮の事故なのか、もしくはわたしが知らなかっただけで巫女様のお体には以前より何らかの異変が起きていらっしゃったのか。

 祭宮様がこの件に関して口をつぐんでいらっしゃるのだから、事実を知る術はない。

 憶測だけが神殿を支配する。

 原因不明の高熱と、それに伴う意識不明。

 侍医は生きている事も奇跡と言ってよいほど、体の機能が衰えていると言っている。

 一体何が原因なのか。

 それをわたしは知りたかった。

 何らかの解決方法を模索しなくては、永遠に巫女様は眠りから目覚める事がないような気がしてならない。

 そして過去を探れば、何かが見えてくるような、そんな淡い期待を抱いている。


「お嬢派と姫派が共に一致団結して、祭宮打倒を考えているらしいな。バカバカしい」

 鼻で笑い吐き捨てるように言う司書に、苦笑を返す。

 誰がそんな大それたことを考えているのだろう。

 下僕は特に何も言っていなかったし、わたしの耳にもそういった事柄は入ってきてはいないのだが。

「バカって素晴らしいよな。発想が突飛で無謀で実現不可能でも、熱く燃え上がれるんだからな」

 呆れたように付け加え、司書は机の上で手を組む。

「そういえば、巫女交代の期限ってどのくらいだ」

「お亡くなりになられた訳ではないので、明確にはわかりません」

 自分で口にしておきながら、胸が痛む。巫女さまがお亡くなりになるなどと口にするのは。

「ただ、次の大祭に巫女様が不在というわけにはいかないでしょうね」

 鋭い目つきで、立っているわたしを見上げて、司書は溜息をつく。

「冷静な判断だな。相変わらず」

 何か言いたげに口を開いたが、司書は口をつぐみ、何冊かの古ぼけた書物を机の上に置く。

「お嬢が目覚めない限り、次の大祭までには慣例にのっとって、神官長様が巫女を兼務されるわけか」

「そうですね」

 本を捲りながら、司書は淡々と話を続ける。

「お嬢の病は原因不明。いつ目覚めるのか、それとも最悪の事態になるのかもわからない。神殿はいつまでも、巫女不在というわけにもいかない。厄介だな。早くお嬢が目覚めればいいんだが」

「そうですね」

 心の底から、そう願っている。

 一日でも、一分でも一秒でも早く、目を覚まして欲しいと。


「お前の知りたい事。見つけてやったぞ」

 古ぼけた書物を開き、その上に神経質そうな文字で綴られたメモを置く。

 司書は見ろというように、目線を動かす。

「巫女が在位中に死亡という記事は、このメモにもまとめたが4件ある。いずれも記述は病死。仔細は不明」

 メモに目を通すと、年代は飛び飛びで、ある時期に偏っているとか、数年ごとに起こるとかというような規則性は見当たらない。

 4人の在位中に死亡した巫女たちの略歴も載っているが、生まれ、年齢、その他の共通点も見つからない。

 共通しているのは、病死という短い文言だけ。

「やはり偶発的に起きたものと考えるべきでしょうね」

 そう問いかけると、司書はメモを横にずらし、古ぼけた本の一説を指差した。

「ここを見ろ」

 司書の指差したところを読む。

 --水竜の大祭後に体調を崩され、そのまま目覚める事はなかった。

「大祭、ですか」

 司書の言わんとすることがつかめない。

 巫女様がお倒れになられたのは、水竜の大祭から幾月も経った後なのだから、この一文との共通点はないように思われる。

 確かに大祭が何らかの引き金にはなっているかもしれないが、直接的には関係ないといっていいだろう。

「わからないか? お嬢もこの巫女も、外部と接した後に体調を崩している」

「しかし、それは偶然かもしれません。巫女様方は多くはないとはいえ、祭宮様にお会いになったり、水竜の大祭で人前にお出になることはあります。そういう外部と接する機会というのは、どの巫女様にもあることですから」

 わたしの言葉を聞くと、司書はもう一冊の書物を取り出す。

 見覚えのある装丁。

 それは、わたしが巫女様付になった日に渡された記録簿と全く同じもの。

 かなり年代が経過していることは、痛み具合から想像できるが、これは一体。いや、司書がわざわざ取り出したということは。

「これはその巫女の巫女付の神官が記録したものだ。このあたりから読んでみろ」

 しおりの挟んであるページを開く。最後のページまではあと残り僅かのようだ。

 手に取り、わたしと同じ立場であった人の記録を読む。

 一見すると淡々と、文字の乱れもなく綴られているようにも見えるが、その文章には動揺の色が色濃く残されている。


 目覚めない。

 何故このように。

 直前までお元気だったのに。

 何があったのだろう。

 大祭では威厳のあるお姿で、民のみならず、普段お姿を拝見する神官までも圧倒されたというのに。

 熱が下がらない。

 意識が戻らない。

 衰弱していくのが、手に取るようにわかる。



 数ページを残し、その本を閉じる。

 とても読み進める事が出来なかった。わが身に起きていることのようで。

「症状がよく似ていますね」

 勤めて冷静に司書に告げる。

 司書は頷き返し、そして静かに告げる。

「俺はこの巫女に起こったことと同じ事が、お嬢にも起こったんじゃないかと思っている。いくら王宮側にとって神殿が目の上のたんこぶだろうと、お嬢を毒殺するメリットはないだろう」

 王宮側のメリットなど考えた事もなかった。わたしはひたすらに、巫女様のことしか考えていなかったのだと、司書の言葉でハッとする。

 冷静に考えてみると、巫女様を亡き者として、水竜様の声を聴く者がいなくなって困るのは、王宮側のほうでは。

 ましてこの状況下で。

「ですが、この亡くなられた方と巫女様が、全く同じ病に罹っているというのは、短略的すぎるように感じますが」

「まあな。所謂状況証拠だけだから何とも言いがたいが、俺は間違いないと思っている」

「そうですが」

 情報がこれだけでは、判断のしようがない。まして勘などでは。

 それに亡くなった方と同じと言うのも、即座に納得しがたいものがある。

「まあ、色々調べてみるさ。どうせ書庫番なんてのは、時間が有り余ってしょうがないんだからな。何かわかったら、こっちから声掛けるな」

「お願いします」

 素直に司書の申し出を受ける。

 非常にありがたく、己の力では情報を得ることの出来ないわたしにとって、とても心強い味方が出来たようにさえ思える。

 どんな事でも構わない。巫女様の現状に繋がる情報を得たい。

 わたしは、巫女様に今何もして差し上げる事が出来ない。

 何かをして差し上げたいと思っているのに、何も出来ず、眠り続ける巫女様を見守り続ける事しかできない。

 それが、もどかしい。

 どんな小さな糸口でもいいから、模索し続けるしか、今のわたしが巫女様に対して出来ることはないように思える。




「シレル」

 沈黙を破ったのは、思いがけない司書の一言である。

「……え?」

 咄嗟にわたしは反応することも出来ず、間抜けな一言を漏らしてしまった。

「お前、そうやってお嬢に呼ばれてるんだってな。俺もお嬢に名前を聞かれてさ、お前の事を引き合いに出されちまったから、答えざるを得なくてな」

「そうですか。申し訳ありません」

 くすりと、口元を歪めるように司書が笑う。

「だけどな、俺はまだ名前で呼ばれた事がねえんだ。聞かれたのが大祭の直前でな」

 遠くを見るような、何かを懐かしむような目で司書が呟く。

「俺も、早くお嬢に名前で呼ばれてえな」

「……はい」

 司書の言葉に頷き返し、わたしはまた巫女様のことに思いを馳せた。


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