始まりのデュエット(2)
奢って貰える相手の頼むものより価格が低いものを選ぶ。これは大人としての暗黙の了解です。しかし、この宿に併設する食堂の給士係り君が持って来てくれたメニューを見ることを放棄している奢ってくれる人。これは私がどれだけ高い物を頼んでも文句は言わないと言うことですね。
なんて、懐とそこに閉まっている財布が広い人何でしょうか!少し悪い気がするので、後で私の素晴らしい演奏を一曲だけ無料で聞かせてあげましょう。
「まず食事の前に少し話したいことがあるんだけど良いかな?」
食堂の中に充満する香しい匂い、そして、私の目の前を通る給士さんに運ばれて遠ざかるご馳走達。これらに心を動かせれて、私のお腹が不協和音を奏でているのが聞こえませんか。まぁ、乙女としては聞こえて欲しくは無いですけど。
「それ、使いこなせるのか?」
フレスさんに指を指された先にあったのは、その他の荷物と共にテーブルに立て掛けられたリュート。貴方、私の演奏をしっかり聞いてましたか。
「私はこう見えても音楽家、世界一、世界二のリュート奏者ですよ」
そう、先生以外に私の才能に敵う人はいません。
「いや、その横に置いてある長弓の話なんだが」
嫌な事をついてくれますね。音楽家の武器、リュートの隣に置かれる長弓と矢筒。一流音楽家に成るために、武者修行をし、各地を点々とするか弱い私は、自分の身を守る為の武器が必要なのです。それだけの理由でお父さんから貰った、この可憐な私に似つかわしくない長弓を持ち歩いているのです。
「百発七、八十です」
正直に言いますよ。そんな物です。弓の弦を引くより、リュートの弦を弾かせた方が上手いですよ。
「そこそこな、命中率だな」
少し五月蝿いですよ。どうせ私は村一番の狩人で、百発百中なお父さんには敵いませんよ。父と違って、私は生まれながらの音楽家ですからね。弓の腕なんて関係ありません。
「まぁ、良いか。話は後でお待ちかねの食事にしようぜ」
何なんでしょうね。気になります。フレスさんは何かを隠している気がします。弓の腕を聞いた時点で、私の脳内に走る警告音。私が食べた後で、金欠な私に脅し気味に何かを頼み出すパターンですね。気を付けないといけない。すこぶる空腹な乙女に、大分不利な心理戦を仕掛けて来ますね。
でも、給士さんが来た今はあれですよね。
お腹に軽いサンドイッチと飲み物だけを頼む奢ってくれる人の懐の体裁を保つ為に、少しは高い物を頼まないといけない義務が私にはありますよね。
海鮮パスタに、山菜のサラダに、そして、最高級ブルーア牛のステーキ、飲み物はフルーツミックスで。
これで、フレスさんが、こんな可愛い娘を誘って、湿気た低額で済ませたという男の恥を背負う必要はありません。私はとても男性の体面を立てる女の子なのです。
「レミ、そんなに食いきれるのか」
前に並んだご馳走の数々に気分がクレシェントな私は、フレスさんが勝手に呼び捨てにした事は許してあげます。これがブルーア牛のステーキですかぁ。この感動を歌にしたい気分です。
「それ、そんなに美味いか?」
私のブルーア牛のステーキにご満悦な笑顔で話を聞かない私に、諦めを顔に浮かべるフレスさん。凄く美味しいです!でも、これは私のです。絶対にあげませんよ。
「レミに一つ頼みたいことがあるんだけどさ」
ウッ、今まで楽しく味わっていたステーキの味のハーモニーが消えてきました。やっぱり、只では、この銀10タームのハーモニーは味わえませんよね?お望みなら、もう一曲弾きますよ?
「俺は傭兵やってんだけどよ。職斡旋所でさぁ、実は調子に乗ってドラゴン退治を引き受けちまってなぁ。まぁ、一人でやるのはキツいから人が欲しい訳よ」
「それは大変ですね」
他人事です。私は何にも知りません。私の動かすフォークに冷や汗が伝わって来たのは気のせいです。ドラゴン退治なんかに全く役に立たない私は、これを食べたら即、さよならをさせて頂きます。頑張って下さい。
「頼む。手を貸してくれねぇか?レミの食費や宿代は持つからさ」
こんな美女と食事を同席出来たんです。食事代を持つのは当然です。しかし、宿代を持って下さる?
「私は音楽家ですから、あまり弓の腕があるわけではありません。足を引っ張るかも知れませんけど、宜しいですか?」
「おぅ、別に良いぜ。レミに来て貰えるだけで助かる」
久しぶりの固い地面じゃないふかふかのベッド、冷たい川じゃない温かいお風呂。
ピンチになったら、フレスさんを置いて逃げてしまえば良いのです。いえ、私は私なりの全力は尽くしますよ。音楽家にあまり期待はしないで下さいね。
やった~。今日は野宿じゃないよ~。この喜びを曲に現そう。題名「美女の裏切り」
良い曲が出来そうです。さて、この芸術的美味しさのステーキを楽しむ事にしましょう。
たまに思います。天見酒は女性を書くことがあるけど、本当に女性の気持ちを書いているか?
こんな事を考えてたらいけないっすね。
女性読者の皆さん、二十代おっさんのてめぇに女の気持ちが分かるかぁ~!と言ってやって下さい。
男性読者諸君!男性の求めるロマンと言う名の幻想を突っ走る天見酒を応援してくれ。
俺って、つくづく変態だなぁ。