28.プリムローズ、閉じ込められる
日が昇ったことは天井近い格子窓から、なんとなくわかった。この牢屋に連れてこられて、一日目。フォレスター伯爵の宣言通り、本当に水もなければ食糧もない。なるほど、私が死ねば、所有権のなくなった『至上の青』は自動的に次の主をフォレスター伯爵と認識するのかもしれない
今の状態では起きていること、考えることそれ自体が体力を削る。かといって眠ろうにも、空腹のために長時間眠り続けることが難しかった。孤独、空腹、そして水分不足。心身共に削られていく感覚。卑怯者、と誰もいない牢屋で呟いた。
目を閉じて、夢現に身を委ねる。うまく眠ることができないまま、日差しの傾きで時間を把握する。影が長く伸びる夕方、再び足音が聞こえて私は身構えた。
「おや。目が覚めているのかね、プリムローズ」
猫撫で声で男が話す。手には透明な器に入った水を携えて。
「喉が渇いたろう。水がほしくはないか」
「……いらないわ。あなたの施しなど不要よ」
いやらしいやり口を突っぱねると、フォレスター伯は残念だ、と呟いた。
「『至上の青』さえ渡せば、お前は自由になれるというのに」
「民を欺く卑怯者に渡すものなど何もありません」
「くく。民を欺く、ね。だがこの百年。欺かれただろう民が不満を訴えたことはないのだがね」
お前も歴史の授業で学んだろう? とフォレスター伯爵が目を細める。
「衆愚はそも、欺かれたことにさえ気づいていまい。王の庇護のもと、適正に法が運用されていると信じている」
「……そうだったとして。力ある者が、力なき者を守るのが、本来あるべき仕組みでしょう。あなたはその仕組みに寄生して、いいように甘い蜜を吸っている」
声が震える。それは、王や貴族が正しいことをしていると信じている民に対する背信行為だ。一体、その裏でフォレスター家がどれだけの益を奪い取ったのか、想像もしたくない。
「確かに、ああ、私は利得を得ているとも。だが、正当な代価とは思わんかね。彼らのため、我々貴族は特権階級として頭脳労働を行っているのだ。上に立つものの言うことをただ聞くだけの民は、幸せだろう。ただ、天啓のように私の言うことに従順であればそれでよい。それだけで、民には安寧が訪れるのだから」
「な、にを……」
反論したいのに、うまく言葉が紡げない。毒のように、フォレスター伯爵の言葉が思考を蝕むような気がした。目を逸らした私に、彼はなおも語り続ける。
「この百年、ノヴァリア王家の代わりに我々が執政を行ってきた。しかし何も問題はない。民は謀反を起こさず、近隣諸国とも争いがない。理想の統治だ、そう思わんかね」
「それで、重税や苦役に喘ぐ民がいたとしても、ですか」
「無論だ。それが民の生きる理由だろう?」
かつて、領地運営を手伝っていた頃。両親から聞いたことがある。フォレスター領は他領よりも税収が高く、その分民の負担が多いのだと。それで苦しむものが時折出稼ぎにアステール領へ来ることがあったのに。この男は知っていて、こんなことを言うのか。
赦せない、と。苛烈な怒りが身を焼いた。感情のままに、私はフォレスター伯爵へ向き直る。
「『歪曲の赤』の効果はもう薄らいでいます。誰かが王位簒奪に気付けば、あなたたちが背後にいたと確実に知れるでしょう。そのとき、搾取されていたと気づいた民が必ずあなたを断罪する」
「果たしてそうかな。思考停止に慣れた存在が、今更我々に反旗を翻すとでも?」
「ええ。暴君に未来などないわ」
「愚かで愛らしいな、プリムローズ。だが、お前もわかっているのだろう? 『歪曲の赤』の効果は薄らいでも、完全に消えるわけではない。その首の『至上の青』がなければ、我らが体制は盤石だ」
なるほど、それでこの宝石を手中に納めたいのか。私はぎろりとフォレスター伯爵を睨みつける。
「絶対、あなたなんかに『至上の青』は渡さないわ」
「絶対、ね」
含みのある言い方だった。フォレスター伯爵は愉快そうに笑いながら、牢へ近づきしゃがみ込む。横たわったまま起き上がれない私の目を覗き込んでくる。見たくない、と反射的に目を逸らそうとする前に、
「お前はここで朽ち果てるというのに?」
残忍な声が耳に届いた。
「っ……!」
目を逸らしていた事実に向き合わされて、私の体がかたかたと震えだす。
「ああ、確かに。大事な妻を奪われ、セルジュ・ソラールはお前を探しているだろう。だが、見つかる前にお前の命が尽きる方が先ではないかな?」
セルジュが私を助けるためには、ヘンリー王へ許可をいただいたり、各領地への根回しが必要になるだろう。どうあっても、時間がかかる。
「ここに辿り着いたとき、何の証拠も手に入らず、ステラノヴァとソラールの関係に亀裂が入ったらどうだ? 再度戦禍に陥るのも時間の問題だろうな、『凍て星』よ。災い招く王妃と蔑まれるのも時間の問題だろう」
「ち、が……私は、民のために。国の、ために」
こんな男が背後に居て、民が苦しむ国じゃなくて。私の生まれた国に、誇れるような正しい姿に戻ってほしい。ただ、それだけなのに。
ぐらぐらと足元が揺れるような不安感。吐き出すものもないのに、胸の辺りに不快感が蟠る。
「ああ、可哀想に。水分が足りなくて苦しいだろう。『至上の青』を渡したくなったら、いつでも私を呼びなさい」
満足げに、ジェラルドは踵を返して去っていった。
☆
昨日から、屋敷の中である噂が立った。なんでも、お父様がこの世で一番美しい宝石を手に入れたのだと。またコレクションが増えたのか、と思ったけれど、噂はそれだけじゃなかった。
フォレスター家の敷地内には、『星導街道』にほど近い小さな塔がある。だいたい、お父様に逆らった人が閉じ込められて「教育」される場所だった。
私は、そんな恐ろしいところに、一人でやってきていた。見張り番が私の姿を見ると、恭しく頭を下げる。
「お嬢様。伯爵はすでに屋敷に戻られておりますが」
「お父様から様子を見るよう言われているの。通してくれる?」
「も、もちろんです。失礼しました」
嘘だった。お父様は、何も教えてくれないから。ただ、フォレスター家で流れている噂を確かめるために、階段を降りていく。
私が気になった、もう一つの噂。それは、宝石だけではなく、美しい女も手に入れたのだというもの。なにそれ。私より綺麗な女を捕まえるって、どう言う意味よ、と。「教育」したあとに囲うつもりかしら。ムカつく、お父様ったらどう言うつもりなのと思いながら石牢の中を覗き見て――絶句した。
隙間から、薄茶の長い髪が見える。腕と足を縛られて、白い肌に縄の痕がついていた。力無く横たわり、虚な目をした女が、石牢に閉じ込められている。
「まさか、プリムローズ……?」




