第三章:静寂の歌、空を泳ぐ庭園
「アンテナの森」を抜けると、世界が一変した。
それまで聞こえていた電子的なノイズ、データのせせらぎ、遠くの風の音が、スイッチを切ったようにフッと止んだのだ。
代わりに、深く、重く、腹の底、いや魂の底を震わせるような重低音が世界を満たした。
ヴォォォォォン……。
それは音というより、巨大なエネルギーの振動だった。
ルナは空を見上げた。そして、息を呑み、言葉を失った。
木々の梢の遥か上空を、信じられないほど巨大な影がゆっくりと横切っていた。
それはクジラだった。だが、図鑑で見るような生物ではない。
全長は数百メートルにも及ぶだろうか。その巨体は半透明で、内側から深海のような青や紫の光を放っている。皮膚の表面には、複雑な電子回路のパターンが金色の刺繍のように走り、呼吸に合わせて光のパルスが血管のように流れていく。
そして何よりもルナを圧倒したのは、その背中だった。
クジラの背中からは、立派な雄鹿のような巨大な角が生えていた。その角は天に向かってフラクタル図形のように枝分かれし、そこにはこの世のものとは思えないほど美しい花々が咲き乱れ、蔦が絡まり、小さな森そのものを形成していた。
「空を泳ぐ……庭園」
あれこそが、このシンセティック・ワイルドの主。
クジラが巨大な尾びれをゆっくりと振るたびに、空のオーロラがそれに呼応して光の粒子を撒き散らす。その粒子は雪のように降り注ぎ、触れた枯れ木を一瞬で蘇らせていく。
ルナは恐怖を感じるどころか、強烈なノスタルジーに襲われた。涙が溢れて止まらなかった。
自分の居場所は、あそこにあるのではないか。
ずっと探していた「解像度の合う世界」が、あの背中の庭園にあるのではないか。
ルナは無意識のうちに、ランタンをクジラの方へと掲げていた。
「私を、連れて行って!」
声に出したつもりはなかった。けれど、その思いは信号となって伝わったようだった。
クジラがゆっくりと、その宇宙のような瞳をルナに向けた。
『……受信シタ。』
直接脳内に響く声。それは数億の和音が重なったような、荘厳な響きだった。
クジラは森の奥、湖の方角へとゆっくりと回遊を始めた。「ついておいで」と誘うように。




