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シンセティック・ワイルドのたそがれ時(LUNA‗BOOK ONE)  作者: 光闇居士


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第一章:バッファリングする森と、カセットテープの紳士

 森の植生は、植物学と電子工学の悪夢的な結婚だった。

ルナの行く手を、巨大なシダ植物が遮る。その葉脈には緑色の蛍光液が流れ、風もないのに規則的なリズムで揺れていた。

 足元に群生するキノコに近づくと、その傘には微細なLEDの文字が高速で流れている。

『エラー:404…記憶データ破損…再読み込み中…母さんのシチューの味…検索不能…』

 キノコから漏れるのは、誰かの失われた記憶の断片だ。遠い夏の日の蝉時雨、やかんで湯が沸く音、ピアノの発表会の失敗。それらがノイズ混じりのサンプリング音声となって森に木霊している。

「誰かの忘れ物を、この森が拾っているの?」

 ルナがキノコに触れようとしたその時、頭上から騒々しい駆動音が響いた。

「違う違う! 拾ってるんじゃない、デフラグ中なんだよ! おっと、どいてくれお嬢さん、メモリが溢れそうだ!」

ガシャーン!

 派手な音と共に茂みから転がり出てきたのは、二足歩行のアライグマだった。

 いや、それはアライグマの形をした、精巧でガラクタのような自律機械だ。左目には宝石商が使うようなルーペが嵌め込まれ、ふさふさの腹部には古めかしい柱時計の文字盤が埋まっている。背中には、絡まり合ったカセットテープの山と、ゼンマイ仕掛けのリュックサックを背負っていた。

「あいたた……ジャイロセンサーがいかれたか? おい君、そこにある『3番のプラスドライバー草』を取ってくれんかね?」

「え、えっと、これ?」

 ルナが近くに生えていた、先端がドライバーの形をした奇妙な草を引き抜いて渡すと、アライグマは器用に自分の脇腹のネジを締め直した。

 ジジッ、カチコチカチコチ。

腹部の時計が正常なリズムを刻み始める。

「ふぅ、助かった。私の名前はチックタック。この『時の森』で庭師兼、管理人兼、苦情処理係をやっている者だ」

チックタックは埃を払う仕草をし(実際には錆がパラパラと落ちた)、ルナを見上げた。

「人間なんて珍しい。君は『迷いグリッチ』かい? それとも『デバッガー』?」

「私はルナ。……多分、迷い子だと思う」

「フム。まあいい。ここは『捨てられた時間』と『デジタルの夢』の吹き溜まりだ。最近はクラウドとかいう場所から零れ落ちたデータ屑が多くてね、処理が追いつかんのだよ」

チックタックは背中のカセットテープの山を指差した。

「見てくれ、このテープの絡まりよう! 『初恋の味』と『昨日の夕飯の献立』がスパゲッティみたいに絡まってる。これを一本一本解くのが私の仕事さ」

「手伝おうか?」ルナが申し出ると、チックタックのルーペの目が驚きで拡大した。

「おや、親切な迷い子だこと! じゃあ、この『憂鬱な火曜日の午後』のテープを持っててくれ。私が『日曜日の朝の光』を引っ張り出すから」

 二人はしばらくの間、発光する苔の上に座り込み、物理化した記憶のテープを解きほぐした。ルナの指先がテープに触れるたび、他人の感情――切なさや、喜びや、焦燥感――が微弱電流となって流れ込んでくる。それは不思議と、ルナ自身の空っぽな心を埋めていくようだった。

「ありがとう、ルナ。お礼に忠告をひとつ」

 作業を終えたチックタックは、立ち上がって厳かに言った。

「この先、時間は直線には進まない。油断すると『明後日の不安』に足をすくわれたり、『10年前の後悔』の沼にハマったりする。常にそのランタンの光を信じるんだ。それは『今』を照らす光だからね」

「東の区画でまたタイムラインの衝突事故だ! やれやれ、残業手当も出ないのに!」

 チックタックはそう叫ぶと、ゼンマイを巻く音を響かせながら、藪の中へと消えていった。


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