2-3. 宵の口の騒ぎ
条件通り、四人は酒場を早々に引き上げた。
例のダミーパーティーのバカ騒ぎを背に、彼らはそそくさと店を後にしたのだった。
日が落ちたばかりで、宿場町にはまだ人の気配が残っている。
ハルヴァで一番高級だという宿は、通りの賑わいから少し離れた場所にあり、中に入ると外の音が和らいだ。
部屋は二つだった。
オルフェスとレオン。
セレナとナギ。
風呂の用意はあると告げられたが、今夜は見送ることになった。
この時間帯は、人の出入りも多い。
落ち着いて休むには、明朝のほうがよいと、オルフェスが判断した。
部屋に入ると、ナギがまず窓を確かめる。
錠、隙間、外の様子。
異常はない。
部屋は清潔で、よく整っていた。
それでも、王城の私室とは違う。
天蓋のない低い寝台。
小さな窓から、外の灯りと音がそのまま届く。
――近い。
夜が、部屋のすぐ外にあった。
セレナは、静かに息を整えた。
「お休みください。
私は起きています」
セレナが一言返そうとするも、それを予期していたようにナギは続ける。
「私は馬車で寝ますので、大丈夫です」
セレナは頷き、寝台に腰を下ろした。
(寝るには、まだ早い時間なのでは?と言おうとしたのだけれど……)
外はまだ完全な闇ではなく、通りや厩舎に灯りが点り始めたところだった。
セレナは、すぐには床に就かず、今日一日のことを頭でなぞっていた。
馬車から見える風景、酒場の賑わい、食べたことのない料理……
どれもが、城の中では経験できなかった事柄だ。
遠くで、人の話し声がする。
階下では、誰かが扉を閉める音がした。
宿は、これから夜に向かって落ち着いていくはずだった。
「……!」
備え付けの椅子に座っていたナギが、急に立ち上がった。
俊敏に窓辺へ移動し、外を確認する。
「え、何ですの?」
「外で、争いごとが」
セレナの問いに、ナギは低く、抑えた声で返す。
セレナも、窓の傍に向かった。
カーテンの隙間から、宿の裏手が見える。
提灯の明かりに照らされて、人影がいくつも動いていた。
何かが倒れる音と、馬の荒い息。
押し殺した声が、短く響く。
セレナは、反射的に扉へ向かっていた。
「あ、殿下――」
ナギが止めようとしても、すでに遅かった。
セレナは、隣の部屋の扉をノックする。
出たのは、オルフェスだった。
「どうされました?」
オルフェスは、慌てた様子のセレナを、さらにその背後に立つナギに目をやる。
「とりあえず中へ」
二人は部屋に入ると、ナギが後ろ手に扉を閉めた。
片方のベッドで、レオンが大口を開けて眠っている。
セレナは窓を指差し、オルフェスに訴えかけた。
「外で、大変な事が!」
「何ですと?」
オルフェスが急ぎ、窓を確認する。
少しの間、オルフェスは窓から外を見ていたが、やがてセレナのほうへと振り返る。
「……放っておきましょう」
「え?」
「宿場町では、こうした揉め事も珍しくありませぬ。
下手に関われば、罠の可能性も――」
「でも、殺し合いが――」
「殺し合い!?」
ベッドで寝ていたレオンが飛び起きた。
彼はキョロキョロと辺りを見回すと、皆の顔をひととおり眺めてから、窓へと顔を寄せた。
そして――
「うわ、このままだと、アイツら殺られちまうぞ」
そう言って、ベッドの傍らに置いてあった剣をつかみ、急ぎ部屋を飛び出した。
「おい、ちょっと待て。レオン」
オルフェスが止めようとするも、到底間に合わない。
「ナギ。
殿下から離れるでないぞ」
そう言い残して、彼も杖をつかみ、レオンの後を追った。
扉が閉まる。
セレナとナギは、並んで窓の外を見つめた。
レオンは、裏手に回ると、状況の把握に努めた。
提灯の下、男が一人、剣を構えて立っている。
腕は震えているが、退く気はない様子だ。
その背後で、老人が地面にへたり込み、女が泣きじゃくっていた。
もう一人の女が、必死にそれを抱きとめている。
周囲を、武器を手にした男たちが囲んでいた。
十人近いだろうか。
恐らく、いや――十中八九、こいつらは賊の類だろう。
厩舎の脇には、鞍を付けたままの馬が二頭。
これは金品を奪って、すぐに逃げる準備だ。
男は、多少は剣の覚えがあると見える。
だが、それだけでは、数の差は埋まらない。
後ろの三人を守りつつ、賊の攻撃に応戦しているところは、先ほど部屋の窓から見ていた。
賊のほうはといえば、細かい攻撃を繰り返しては、じわじわと追い詰めるつもりなのだろう。
こいつらも怪我はしたくないはずだから、一気に攻め込むタイミングを見計らっているようだ。
しかし、これは時間の問題だ。
このままでは、いずれ四人は賊の手に落ちることは間違いない。
レオンは手に持った剣を眺めて、少し考える。
「んー、いらねえか」
そして、後ろのオルフェスに剣をヒョイと渡す。
「ちょっと、持っててください」
「な、なんだ、おい……」
オルフェスは受け取った剣を落としそうになり、思わず両手で抱え込む。
レオンは軽々と持っているように見えるが、剣は実は相当な重さを持つようだ。
「どうしたどうした?」
とぼけた調子で、レオンが、賊と若い男の間に入っていく。
「なんだてめえは!
お前も殺されてーのか?」
賊の一人が、威勢よく啖呵を切った。
「えーと――」
レオンは、剣を握る若い男に目を向ける。
「あ、お前、酒場の……」
その若い男は、酒場でバカ騒ぎしていた、ダミーパーティーの一人だった。
後ろで震えている三人も、よく見ると見覚えがある。
その時――
レオンの背後から、賊が切り付けてきた。
振り向くこともなく、その腕を取る。
次の瞬間、賊の体が宙を舞い、地面へと叩きつけられた。
そのまま、気を失ったようだ。
それをきっかけに、賊が一斉に動く。
レオンは止まらない。
踏み込み、かわし、叩く。
一人、二人、地面に落ちていく。
地面に転がり、呻き、誰一人として立ち上がれずにいた。
刃を振るう気配は、すでに消えている。
かろうじて、一人だけ、馬に飛び乗った賊がいた。
手綱を引き、駆け出そうとした瞬間――
オルフェスが杖を軽く振る。
馬の足が、ふっともつれた。
悲鳴を上げることもなく、ただ前につんのめる。
次の瞬間には、レオンがもう近くにいた。
男の襟を掴み、引きずり下ろす。
短い衝撃音。
賊は、そのまま意識を失った。
その場には、賊どもが虫けらのように転がっていた。
若い男は、ただ立ち尽くして、その光景を茫然として見ていた。
「ねえ、キミってさ、剣士なの?」
埃を払うように、手をパンパンと叩きながら、レオンは男に問いかける。
「あ、はい……助けていただき、ありがとうございました……」
「剣士名乗るならさあ、この程度の雑魚は、簡単に倒さないと」
「す、すいません……」
「それとさ、酒場でも目立ち過ぎなんだよ。
金持ってると思われて、目付けられたんだろ?どうせ」
「き、気をつけます……」
男が何かに、気づいたのか、レオンに問いかける。
「あの、それで――」
「ん?」
「もしかして、レオンさんじゃないですか?
去年の王都武技大会で優勝した――」
「ち、違う。
そういう者では、ござらぬ!」
慌てたのか、妙な言い回しをしつつ、レオンはその場から逃げ出した。
騒ぎを聞きつけて、様子を見に来た者たちと、入れ違う形で、宿へと戻っていく。
「あやつ、誤魔化しが下手過ぎるだろう……」
レオンの背中を見つつ、オルフェスはぼやく。
彼に預けられた剣は、まだ手にしたままだ。
若い女二人が、オルフェスに対しても、ひたすら頭を下げている。
レオンのお付きの爺とでも、思っているのかもしれない。
老人は、腰を抜かして、いまだに動けないようだ。
(情けない……)
オルフェスはそんな、歌も決してうまくない彼のことを、憐れんだ。




