2-2. 溶け込めない場所
日が傾き始める頃、街道の先に、低い屋根が連なって見えてきた。
それがハルヴァだった。
その宿場町は、セレナの想像よりもずっと雑然としていた。
街道沿いに建物が並び、馬や荷車、人の流れが絶えず行き交っている。
王都の整然とした街並みとは違い、道幅もまちまちで、踏み固められた土がそのまま残っていた。
馬車を降りた瞬間、匂いが変わる。
干し肉、汗、獣の体臭、酒――
混ざり合ったそれらが、否応なく「外の世界」を主張してきた。
「で、おぬしの“おすすめ”とやらは、どこなのだ?」
厩舎へ馬車を回すために去って行った御者を見送ると、オルフェスは、不機嫌そうにレオンに問いかけた。
セレナの酒場訪問は、彼女の熱意にオルフェスが折れる形で、条件付きで認められた。
長居はしないこと、入口の見える席を使うこと、店内での発言には細心の注意を払うこと、レオンの飲酒は一杯だけ等々。
先導するレオンの後に、皆がついていく。
彼はやがて、一件の古びた店の前で立ち止まった。
看板には、三本の木の枝があしらわれている。
ここが目的の店、三本枝亭だ。
セレナは、フードで頭を覆う。
無理に正体を隠そうとしない。
あくまで自然な形を心掛けた。
酒場は、日が沈む前から賑わっていた。
中に入ると、笑い声と食器の音が一斉に押し寄せる。
セレナは一瞬、足を止めた。
(……- 騒がしいですわ)
それは不快というより、圧倒される感覚に近かった。
これほど多くの人間が、同じ空間で、好き勝手に声を出している場所に入るのは初めてだ。
オルフェスが先に進み、空いている卓を見つける。
ナギは壁際に背を預ける位置を選び、自然と入口が見える場所に座った。
レオンは迷わず椅子を引き、どかりと腰を下ろす。
セレナは、その様子を一歩遅れて真似た。
「えーと、じゃあ俺が適当に頼んじゃうんで」
レオンが店員を呼びつけ、あれこれ注文する。
彼が口にする料理の名は、セレナにとっては知らないものばかりだ。
セレナはその間、ずっと目線を伏せていたが、途中で、恐る恐るその女性店員に目をやる。
注文を書き込むことに意識が向いていて、セレナのことは全く気に止めていない様子だ。
彼女は、まさかこんなところに王女が来ているとは、思いもしないだろう。
酒と食事が運ばれてくるまでの間、セレナはフードの縁に指をかけたまま、周囲を観察する。
旅装の商人、護衛らしき男たち、農具を抱えた村人。
誰もがこちらを気にしていない――はずなのに、時折、視線がかすめる。
(……見られている、わけではない。
でも、溶け込んでもいない)
その感覚が、妙に落ち着かなかった。
オルフェスは、何気ない素振りで、周囲に目を配っている様子だ。
ナギは、こういったことには慣れているのか、目線を送ることなく、全方位に意識を向けている。
レオンは、料理がよほど楽しみなのか、終始そわそわしていた。
やがて、料理が卓に並ぶと、ふっと匂いが変わった。
焼き肉の脂が弾ける匂いと、香草の強い香り。
湯気を上げる煮込みは、近づくだけで温かさが伝わってくる。
最後に置かれた平たいパンは、まだ指先に熱を残していそうだった。
セレナは一瞬だけ視線を落とし、
それから、静かに卓の上を見渡した。
先に手を伸ばしたのは、レオンだった。
続いてオルフェスが静かに食べ始め、ナギも黙って皿に向かう。
それを見てから、セレナはようやくパンを取った。
少し遅れて、恐る恐る口に運ぶ。
「……うめえ!」
唐突に、レオンが声を張り上げたので、セレナはビクリとする。
オルフェスがレオンを睨みつけ、何かブツブツ言っているが、周囲の喧騒で聞こえない。
「いや、これ当たりだろ。肉も煮込みも、文句なしだ」
セレナは一口を飲み込み、もう一度だけ噛む。
温かく、ほどよい塩気がある。
だが、レオンが絶賛するほど、美味なのかどうかは、セレナにはよく分からない。
いつもとっている食事とは、ずいぶん違う味付けであることは分かる。
「どうすか?ねえ、どうすか?」
レオンが、セレナに執拗に感想を求める。
なお、ここでは身分や名前で呼ぶことを禁じていた。
セレナは勿論のこと、オルフェスは王国の重鎮、レオンは王都武技大会の優勝者で、皆それぞれが有名人だからだ。
セレナは、レオンのおすすめに乗る形で、この店への来訪を強く望んだために、「なんかよく分からない」などと言うことは、はばかられた。
(何か、気の利いたことを言わなくては――)
「例えば、この煮込み料理。
火と時間が素材に与える恩恵を、これほどに――」
店の奥のほうで、急に笑い声が大きくなった。
椅子が鳴り、酒がこぼれる音が混じる。
「なんだ?うるせーな」
レオンが顔をしかめ、そちらを見やる。
騒いでいるのは、数人の一団だった。
酒が回っているらしく、身振りも声もやたらと大きい。
「国王陛下、バンザーイ!!」
立ち上がってエールのジョッキを掲げる若い男を見て、ナギがわずかに目を細めた。
「あの男……」
「知ってる人ですの?」
セレナが小声で訊く。
ナギは少し言いにくそうに話す。
「ええ……うちの仕事で、よく使われる人間で……。
こちらのことは知らないでしょうが」
ナギの語る“うち”とは、王国隠密局影務課のことだろう。
しかし、彼は直接そこから仕事を依頼されるわけではなく、ナギとは面識はない。
その言葉に、オルフェスがもう一度、奥の卓へ視線を向けた。
「……あれは、まさかダミーか」
“ダミー”とは、セレナたち四人を模して、“おとり”として使われるパーティーだ。
たしかに、老人と若い男、女が二人という構成は似ている。
当然、顔は似ても似つかないが、魔法使いと剣士と侍女と姫、と言われれば、そんな気もしてくる。
「しかし、ダミーは巡礼路のほうへ向かったと思っていたが……」
オルフェスの言葉に、ナギは肩をすくめる。
「詳しくは知りませんが、ダミーは一組だけではない、と聞いたことがあります」
騒ぎ声が、さらに大きくなる。
老人は朗々と歌い、若い女二人はケラケラと笑い、男は立ち上がって何やら叫んでいる。
彼らは、酒場中の視線を集めていた。
レオンが、舌打ちする。
「……目立ちすぎだろ」
ナギがボソリと言う。
「お前役の男が、特にひどいな」
レオンは「あ”?」とばかり、ナギを睨みつけ、それから件の男を憎々しげに見る。
そして、やりどころのない憤懣を抑えるように、ジョッキを傾けた。
「クッソ……こんな状況じゃなきゃ、アイツぶん殴ってやるんだけどな」
「私も、あんなに歌は下手くそではないぞ」
オルフェスはそう言って、串焼きにかじりついた。




