2-1. 巡礼の道は選ばない
馬車の窓から見える景色は、セレナの知っている王都のそれとは、ほんの少し違っていた。
高い城壁はすでに遠く、白い石の建物もまばらになり、道の両脇には低い草地が広がっている。
畑仕事をする人々の姿が小さく見え、風に揺れる旗や洗濯物が、ゆっくりと後ろへ流れていった。
「外、って、広いのですね」
セレナは、無意識のうちに窓枠に手を置いていた。
王城の外に出ること自体は、まったくなかったわけではない。だが、それは視察や式典で、用意された道を、用意された順序で通るだけだった。
こうして、目的もなく流れていく景色を眺めるのは、ほとんど初めてだった。
セレナのそんな事情に想像が及ばないレオンが、「外は広いに決まってるっしょ」と言って彼女を笑い、それをオルフェスにたしなめられていた。
道はしだいに舗装が甘くなり、馬車が小さく跳ねる。
その揺れが、城の中で過ごしてきた日々との距離を、少しずつ実感させてくる。
セレナの向かいの座席で、オルフェスが懐から丸めた羊皮紙を取り出した。
簡素な地図のようだ。
それを皆に見えるように、馬車の窓に広げてあてがう。
どうしても片手では、紙の端が丸まってしまうため、見かねたセレナがそこを手で押さえると、オルフェスは申し訳なさそうに頭を下げた。
羊皮紙に描かれた線は最低限で、国境も地名も、必要なものしか書かれていない。
「はい、ちゅうもーく」
学校の授業でも始めるように、元教師が声を発した。
セレナとナギは、すでにオルフェスの所作を見ていたので、声をかけた対象は、窓外を漫然と眺めているレオンだけである。
「今回の行路を、あらためて説明しておきます」
淡々とした声だった。
報告でも命令でもなく、講義調の語り口。
「通常であれば、ヴァルシア北東の巡礼路を通り、エル=カノンへ向かいます。
王都から見て距離はありますが、道は整備されています」
オルフェスの指が、地図の南東から北へと伸びる細い線をなぞる。
「ただし今回は、その道を使いませぬ」
セレナは、首をかしげた。
「どうしてですの?」
「この道は、人目につきすぎるのです。
我々の旅は、内密ですから」
続けてレオンが、疑問を口にする。
「巡礼者っていうんだっけ?
あの格好で紛れ込めば、バレないんじゃ――」
「時間がかかり過ぎるのだ。
この道で馬車を走らせるのは、王侯貴族ぐらいなものだからな」
オルフェスの説明に、レオンは納得したようだが、セレナには少し引っかかるものがあった。
(この旅は、そんなに急ぐものなの?)
だが、その疑問は、また胸の奥にしまい込んだ。
今それをオルフェスに問い質せば、何らかの答えは返ってくるだろう。
しかし、それを尋ねることに対し、例によって、心のどこかで歯止めがかかったのだ。
オルフェスの“講義”は続く。
「今回は――まず西へ向かい、マリネスを経由します。
そこから北上して、アシュヴァルの外縁を抜け――」
指先が、地図の中央よりやや西側で止まる。
「ここから亡王砂漠に入って、東へ進みます」
砂漠、という言葉に、セレナの隣に座るナギが、微かに反応した。
それに気づいたセレナが、ふと目線だけをナギへ向ける。
馬車の揺れで分かりにくいが、ナギの身体が少しこわばっているようにも感じた。
「そして、ここです」
オルフェスは最後に、北側へ伸びる、ほとんど消えかけた線を示した。
「古道。現在は使われていません。
この道を北上し、山地を越えてエル=カノン高地へ入ります」
「あのう――」
挙手をするレオンに、オルフェスが少し面倒くさそうに顎で発言を促す。
「ここ突っ切ったほうが早くないすか?」
レオンはそう言って身を乗り出し、砂漠の南端から北端の古道に向かって、地図上で指をスライドさせた。
「それはダメだ」
オルフェスが答えようとするのを遮るように、ナギが口を開いた。
皆が一斉に彼女を見る。
「砂漠には“砂喰らい”がいる」
わずかな沈黙の後、レオンが少し呆れたように言う。
「“砂喰らい”ねえ……その化け物の話は聞いたことあるけど、まあ、俺の剣でバッサリと――」
「それは無理だろうな」
そう言い切ったのは、オルフェスだ。
「今までアレを倒した者はいない。
攻撃が、全くといって効かないのだ」
セレナは、オルフェスの言葉を聞きながら、“砂喰らい”を倒せるかということよりも、なぜそんな化け物が砂漠にいるのか、が気になっていた。
ナギが、レオンに向けて冷たい視線を送る。
「お前は“砂喰らい”を見たことがないのだろう?」
「いや、そりゃ、ないけど……」
強気を分かりやすく挫かれたレオンを見て、ナギが鼻を鳴らす。
二人を仲裁するかのように、オルフェスが言葉を挟んだ。
「まあ、おぬしがどんなに強かろうと、王女殿下が危険にさらされてはならぬからな。
しかしながら――」
オルフェスが、再び地図を指差す。
「この古道にたどり着くためには、どうしても砂漠を通らなければならないのです。
だから、“砂喰らい”に極力出会うことがないよう、アシュヴァルから入って北端の最も短いルートを通ります」
「もし、出会ったら?」
ナギが真剣な目で、オルフェスを見つめている。
オルフェスが、軽くため息をついた。
「まずは全力で逃げる。
その一択だな」
セレナも、思わず頷く。
そもそも、セレナにそれ以外の選択肢は、思い浮かばない。
そこで、何か言いかけたナギを、オルフェスが止めた。
「まあ、待て。
簡単には逃げ切れないことは、私にも分かっておる」
そしてオルフェスは、地図を畳みながら言った。
「事前の対策が、必要だ。
魔法攻撃が効かないとはいえ、魔法というものは、当然、攻撃だけのものではない。
さらには、おぬしらとの連携も決め手となる」
オルフェスが、丸めた地図を懐にしまう。
「ま、そのあたりの詳細については、砂漠に入る前に詰めておくこととしよう」
説明に納得したのかは分からないが、ナギはいつもの無表情のまま、黙った。
オルフェスは、座席に腰掛け直すと、さらに続けた。
「これから待ち受ける危険は、“砂喰らい”だけではありません。
魔族に狙われる可能性もあります。
念のため、“ダミー部隊”も派遣され――」
セレナが疑問を挟む。
「“ダミー部隊”?何ですか、それは」
「王女殿下を守るための、“煙幕”あるいは“おとり”です」
レオンが、感心したような素振りを見せる。
「つまり、俺たちと似たようなパーティーが、投入されるってことか」
「そういうことだ。
おそらくは、おぬしの言うような、巡礼者の格好で旅をしているかも知れぬ。
人選や経路は、王国隠密局の影務課が決めているので、詳細はあずかり知らぬが」
オルフェスはそう言って、ナギのほうを見た。
ナギは無感情に「私も聞いていない」と言って、窓の外に顔を向けた。
車輪が石を踏む音だけが、一定の間隔で続いている。
草地の向こうをぼんやり眺めていたセレナが、ふと思いついたように口を開く。
「それで、この馬車は、今どこに向かってますの?」
オルフェスが、落ち着いた調子で返す。
「ハルヴァという宿場町です。
今夜はそこで一泊します」
「まあ。
そこで宿に泊まるのですね」
勿論セレナは、庶民が利用する宿に、泊まったことなどない。
未知の体験に胸が躍る様子で、オルフェスを見るも、老人は淡々と答える。
「はい。
王女殿下にとっては、快適とはほど遠い環境とは思いますが、今は辛抱いただいて――」
「ハルヴァかあ。
あの町に三本枝亭って酒場があって、そこのメシがうまいんだよなあ」
割って入るように、レオンが大きな独り言を口にした。
「そうなんですの?」
レオンの言葉に、セレナが目を輝かせる。
「お、姫様も興味あります?
特に、山羊の香草焼き、あれがうまいんすよねー」
「楽しみですわ!」
オルフェスが、慌てた様子を見せる。
「いやいやいや、王女殿下を酒場になぞ、行かせられませぬ」
「どうしてですの?」
「あのような、危険で下品で騒がしいところは、ダメです。
食事は、宿の部屋でとっていただきます」
セレナは一瞬きょとんとしたあと、ほんの少しだけ、身を乗り出した。
「……一度、覗くだけでも?」




