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1-4. 裏門の朝

夜と朝の境目にある空気は、夏よりもわずかに冷えていた。

庭に植えられた木々が、枝の先から少しずつ色を失い始めているのが分かる。

城の裏門の石畳に立って、防護面を外した時に、セレナは何より真っ先に秋の訪れを感じ取っていた。


今朝は、診療室から"影武者"を運び出すのに紛れて、裏門へやって来るという段取りだった。

まずは"影武者"をこっそり診療室のベッドに寝かせて、それを後から来た人たちがベッドごと外へ運び出す。

セレナと、昨晩から診療室内で見張り番をしていたナギが、彼らの後をついて部屋を出るという算段だ。


ベッドを運び出す者たちは、伝染の危険があるということで、皆、蜂蜜採取の時のような防護服と防護面をつけていた。

セレナとナギも、同じ“蜂蜜部隊”の格好をして、その場に隠れていたのだった。


そもそも、“遷延性灰熱症”というのは、そんな重装備をしなければならないほど、恐ろしい病気なのだろうか。

昨日バッタリ出会った内廷書官は、きっと震え上がっていることだろう、とセレナは少し同情する。


ナギには止められていたが、セレナはどうしても気になって、ベッドの"影武者"を覗きに行った。

たしかに年齢や体格、髪の色なんかは近そうだが、顔は似ても似つかないとしか思えなかった。

オルフェスのあの自信満々の「あなたに似た人なんて、すぐに見つかる」という態度は、一体何だったのか。


(まあ、どうせ表には出ないようだから、問題ないとは思うけど……)


セレナは誰に文句を言えるわけもなく、ただ自分で自分を納得させるしかなかった。


「殿下、おはようございます」


早速オルフェスが声をかけてきた。

いつもながらの鼠色の法衣をまとってはいるが、やせ細った老体には、いくらか寒そうに見える。


昨日、オルフェスが旅への同行を申し出た時、セレナはいささか驚いた。

まずは、この老人が父の右腕として、国政を切り盛りしていることを知っているからだ。

しかし、あの時オルフェスは言い切った。


――こんな老いぼれがいなくても、何とかなるものですよ。


もう一点の懸念は、オルフェスの老体が、この先の過酷な旅に耐えられるかどうかだ。

しかし、あの時オルフェスは言い切った。


――老いぼれと思ってもらっては困ります。こう見えて若い連中には負けませんよ。


短時間のうちに、全く矛盾したことを言ってのけたのだった。


いずれにしろ、旅に出る覚悟を固く決めているようで、そこにセレナが口を出す余地はなかった。


「必要なお荷物は全て準備しましたが、お部屋から持ち出すものは、特にないということでよかったですよね?」


オルフェスには昨日も全く同じことを訊かれた。

言ったことを忘れたのではなく、念を押しているのだろう。


「ええ、特には」


そう言って、セレナは胸に手をやる。

そこにペンダントがたしかにあることを確認して、彼女は安心した。

自分に持ち出すものがあるとすれば、この母の形見のペンダントのみで、それは常に身に着けている。


オルフェスが、辺りを見回す。


「ナギはどうしました?」


「ああ、馬車を確認してくると言って――」


オルフェスは、顔をしかめる。


「殿下をおひとりにしてはダメでないか……」


「いえ、まだ城内ですから危険はないかと――」


「いやいや、そのような油断が――ところで、その服装で旅立たれるのですか?」


そういえば、まだ防護服を着ていることをセレナは思い出した。


セレナは留め具に手をかけ、外套を脱ぐようにそれを外す。

厚手の布と革の重みが、ストンと足元に落ちた。


セレナが急に防護服を脱ぎ始めたので、オルフェスが慌てたが、中から現れたのは、落ち着いた色合いの旅装だった。


王女としての華美はない。

だが、長旅に耐えるための、静かな覚悟を持つ姿だといえる。


「おやおや、取り込み中かな?」


「姉上!」


ちょうどセレナの着替えが終わった頃合いに、そこへ現れたのは次兄カイルと末弟リオだった。


内密の状況なので、侍従を連れず二人だけのようだ。


「この後、正門で“本物”の妹を見送らなきゃいけなくてね。あまり時間がないが挨拶に来たよ」


「どうしてカイル兄さまは、そういうこと言うんですかー」


カイルの皮肉な物言いに、リオが口をとがらせる。


もう会うことはないと思っていた兄弟との邂逅に、セレナの目が少し潤んだ。


「あ、兄上は……」


セレナがアルヴィスの不在に気づくと、カイルが含みのあるような笑みを浮かべる。


「アルヴィス兄かい?

 義姉さんには、この件秘密だから、身動き取れなくなってるんだよ。

 セレナ、おととい義姉さんと会ったんだって?」


「え、ええ。廊下でバッタリ」


「そこで病気を伝染されたかもしれないって、大騒ぎでさ――」


この件を愉快そうに話すカイルを、リオが困ったような顔で見つめている。


その時、石畳を叩く、低く鈍い音がした。

城壁の陰から、馬の頭が一つ、次いで車体が現れる。


馬車の到着に気づいたカイルは、急に真面目な顔に戻る。


「ああ、もう出発の時間か。

 俺たちも正門に戻らないとな。

 それじゃセレナ、元気で頑張ってこいよ」


「姉上……ご無事を祈っております……」


リオは両手でセレナの手を握る。

すっかり涙ぐんでいるようだ。


二人は正門へと去っていった。

それと入れ替わるようにして、音も立てずにナギがやってきた。


「王女殿下、馬車の準備ができました」


馬車は、まるで装飾のない実用重視といった見た目だった。

通常であれば、これに王族が乗っているとは思わないはずだ。


御者台には、その存在感を極限まで薄めたような見知らぬ男が座っている。

オルフェスによれば、ナギと同じ影務課の職員であるそうだ。


馬車の傍には、レオンが跪いていた。

昨日のオルフェスの言いつけを守っているようだ。


(これからは毎日顔を合わせるのだから、そんなに気を遣わなくていいのに)


そう思いつつセレナが馬車へ近づくと――

レオンは跪いたまま馬車へ歩み寄り、跪いたまま扉を開けた。


何かに似ていると思ったら、それは蟹の横歩きだった。


後ろでオルフェスが何かブツブツ言っている。


そのままセレナが馬車に乗り込もうと、踏み台に足をかけた時――

正門の方角から、音と呼ぶにはあまりに曖昧な、城がざわめくような気配があった。


(あちらも出発したのね)


早朝にもかかわらず、多くの人たちが見送っているようだ。


(大げさ過ぎるのでは……)


行幸でも凱旋でもない。

あくまで病気療養なのだ。


しかし、こちらの出発を目立たせないための演出なのだろう。


(お父様もあちらにいらっしゃるのかしら)


そんなことを考えつつ、セレナは馬車へと乗り込んだのだった。

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