1-3. 王女は守られることになる
玉座の間で父王と面会した翌日、セレナの予定はすべて取り消された。
理由は――体調不良。
(ついに始まった訳ね)
礼法の講義も、祈祷の立ち会いも、全てキャンセルとなり、自室でただ茫然としていると、侍女づてに呼び出しがかかる。
行先は診療室だ。
本来そんな必要はないのだが、侍女に支えられるようにして、診療室へ向かう。
セレナ付きの侍女は、断片的にではあるが必要最低限の事情は聞かされていて、明日から“影武者”と共に別荘行きだそうだ。
(……演技、必要かしら)
途中、書類を手に慌ただしく移動する、顔見知りの内廷書官とバッタリ廊下で出会ってしまう。
そこでセレナは、具合の悪い様子を過剰に演じたために、彼に大げさなくらい心配されてしまった。
セレナは心に、何か罪悪感めいたものを感じていた。
ただ、そのやり取りの間、侍女が笑いをこらえるあまり、終始奇妙な表情をしているのに気づいて、セレナは思わず演技を忘れて睨みつけるところだった。
ようやく診療室前に到着したので、侍女を一旦帰す。
前室に入り、さらにその奥の主診療室の扉を開く。
薬草と消毒薬の匂い。
白布、器具、沈黙。
そして――
「おはようございます、王女殿下」
オルフェスが、診療台の脇に立っていた。
彼はまるで王城侍医かのように白の長衣をまとっている。
「大魔導殿は、医師の心得もおありなのですね」
「あ、いや……」
オルフェスは自分の服を見る。
「これはそこにかかっていたので、着てみただけです」
オルフェスがなぜそんなことをするのか分からないが、何事も形から入るタイプなのかもしれない、とセレナは思う。
「殿下はここで侍医によって“遷延性灰熱症”の診断が下され、明日朝早く静養のために別荘へ向かうことになります。表向きは。
実際別荘へ行くのは“影武者”ですが」
「灰熱症……ですか?
あの、体がだるくなるという」
「はい。命に別状はない病気ですが、微熱や倦怠感が続きます。
身体接触によって、伝染するとも言われています」
「わたくし、灰熱症に以前罹ったことがありますが、寝ていたら三日ほどで治りました」
「ええ、ですから今回は“遷延性灰熱症”です。
長ければ治癒に数か月以上かかる場合もあります」
(なるほど……)
セレナは顎に手をやる。
(それだけの期間、偽装できれば、十分ということか)
しかしなぜ――“花嫁修業”ごときに、そこまでの工作をしなければならないのか。
何か裏の理由があるように思えるのだが、今はそこを追求できない(何かに追及を禁じられている)歯がゆさが、セレナの中にはあった。
オルフェスは軽く咳払いをしてみせた。
「えー、殿下には、明日の早朝の出発まで、こちらで過ごしていただきます」
「ここでですの?」
「はい。本日、この診療室は貸し切りにしました。
殿下は今日いっぱい、この部屋で療養中ということにいたします。
さらには“遷延性灰熱症”は伝染病ゆえ、診療室にはみだりに近づかないように、とお触れを出します。
ですので、今夜は奥のベッドでゆっくりお休みください」
「他に病人が発生したらどうするのです?」
「ここはもっぱら王族用なので大丈夫でしょう。
国王陛下や王子殿下の皆様も事情はご存じですから」
王子たちにも、自分の状況が知らされたことをセレナは今知った。
同じ城内に暮らす兄弟といえど、王族ともなれば、特別な用事でもなければ晩餐以外で会うこともない。
昨日の夕食は、オルフェスの指示で、自室でとっていた。
王女発病という事実に向けての布石だそうだ。
出発前に兄弟たちとの顔合わせはできるだろうか、とセレナは少し心配になる。
(今生の別れというわけでもないのだけど……)
今回の旅に関しては、名状しがたい不安が、セレナの胸の内に澱んでいた。
もう二度と会えないのではないか、そんな気持ちが心のどこかから拭い去れなかった。
オルフェスが静かに視線を横へ向ける。
「それで、殿下。
本日は殿下と共にエル=カノンへと向かう者たちをご紹介させていただきます」
そして診療室の奥へと声を上げる。
「レオン。こちらに来なさい」
が、何の反応もない。
「レオン?……おい、レオン!」
しびれを切らしたのか、オルフェスが衝立の向こうへと歩いていく。
衝立の裏側からオルフェスの叱責と、どこか間延びしたような男の声が聞こえてくる。
やがて、憤懣やるかたないといった感じのオルフェスが衝立の陰から現れる。
その後ろから、背の高い生成りのシャツを着た若い男が、頭を掻きながら着いてきた。
「こやつ、寝ておったのですわ」
「だって、なかなか呼ばれないから……」
「ほら、殿下にご挨拶を」
寝ぼけ眼のレオンが、胸を掻きながらペコリと頭を下げる。
「あ、レオンっす。よろしくっす、姫様」
それを聞いたオルフェスが、思わず憤慨の声を上げる。
「なんだ、その挨拶は!殿下に対して不敬だろ!」
そうして、慌ててセレナのほうへと振り返る。
「申し訳ございません。
何しろレオンは庶民なもので、教育が行き届かず……」
「いやいや構いませんよ。
こちらこそよろしくお願いしますね。レオン」
レオンはポーズがまずかったのかと思ったのか、しゃがみ込んで膝を立てては「こうすか?こんな感じすか?」とやっている。
オルフェスは諦めた様子で、ため息をつく。
「こんな男ではありますが、剣士としての腕のほうは確かです。
何より昨年の王都武技大会で優勝しておりますから」
「まあ、それはすごい」
王都武技大会は年1回催される、全国から猛者の集まる大きな武術トーナメントである。
魔法は使わず、剣や槍、体術で戦うらしい。
セレナがレオンに話しかける。
「王都武技大会で優秀な成績を納めた者は、王国騎士に用いられることが多いと聞きます。
レオンもそうですの?」
「いやあ、元々冒険者だし、騎士みたいにかしこまったのは苦手で……
今は大会の賞金で十分食えるし……
今回は、じい……オルフェス様がしつこく頼んでくるもんで、しょうがなく……」
オルフェスは渋い顔をして、レオンの話を聞いていたが、やがて気を取り直したように口を開く。
「えー、もう一人おりまして――」
その時――
――シュタッ。
セレナの目の前に侍女姿の女が突如現れて、恭しく跪いた。
「ひいぃっ!!」
セレナが驚きのあまり、妙な悲鳴を上げる。
「ど、どこから現れたのです!?」
オルフェスが嘆くように話す。
「先ほどから殿下の背後に潜んではおりましたが……
どいつもこいつも普通の挨拶ができぬのか……」
侍女姿の女が跪いたまま、頭を下げる。
「驚かせてしまったようで、大変失礼いたしました。
この度、王女殿下と同行させていただくことになりました、ナギと申します」
自分を落ち着かせるように、セレナは胸に手を置く、
「そ、そう、ナギね。
よろしくお願いしますわ」
オルフェスがナギの紹介を始める。
「ナギは、王国隠密局影務課に所属する優秀な若手で――」
「影務課?王国隠密局は知ってますが、そんな部署がありますの?」
セレナの疑問に、オルフェスが何かまずいことを漏らしてしまったような顔をしてみせる。
「影務課は、国王陛下と一部の者にしか知らされない秘密の部署でして……
これについてはご内密にお願いします」
「ええ、分かりましたわ」
「ナギは隠密行動や近接戦闘のエキスパートですので、殿下の護衛にピッタリです。
道中は侍女として殿下のお世話係も務めます」
レオンがニヤリとしながら呟く。
「近接戦闘のエキスパート……俺とどっちが強いかな」
言われたナギが、目線だけを鋭くレオンに向ける。
一瞬、張り詰めた空気が漂った。
オルフェスがそんな気配を両手で振り払う。
「やめろやめろ。
そういうのは、この旅が終わってから存分にやってくれ」
気苦労の絶えない老人といった感じで、オルフェスは、再びため息をつく。
「まあ、こんな連中ですが、腕だけは確かですので――」
「ということは、私を含めたこの3人で旅に出ますの?」
セレナの問いに、「いい質問です」とばかりに、オルフェスは目を輝かせた。
「殿下。
その3人だけでは、足りないものがあります。
それは何でしょう?」
オルフェスは過去に、魔法学校で教鞭を取っていたこともあるそうだ。
そんな血が騒ぐのかもしれない。
(え、え、何か授業が始まったんですの?)
答えに窮しているセレナを見て、どこか満足そうに頷きつつオルフェスが答える。
「それは――魔法です」
「魔法ですか?わたくしも多少は――」
セレナは人差し指を立てて、小さく「イグナス」と唱えた。
指先に小さな炎が点る。
それを見たレオンが、驚いてみせる。
「おお、姫様すごいっす」
ナギが鼻を鳴らす。
「お前はその程度で驚くのか?」
そして両手を広げ、全ての指先に青い炎が点っているのを、レオンに見せつける。
オルフェスはゆっくりと首を振った。
「いやいや、そんなものではない。
魔族に対抗できるような、強大な術式魔法が必要なのだ」
「すると――」
セレナは考えるときの癖で、つい指を顎に持っていったが、小さく「アツッ」と言って、指を振り払った。
咄嗟に周りを見たが、オルフェスは考え込むように俯いていたし、レオンとナギはまだいがみ合っている様子だ。
恥ずかしい姿を見られなくてよかったと思い、セレナは何事もなかったような顔で話を進める。
「つまり、このパーティーには、能力の高い魔法使いが必要ということなのですね」
「おっしゃる通りです」
オルフェスは深く頷いた。
「四人で教主国エル=カノンへ向かうのです」
そう断言するオルフェスの次の言葉を皆が待っていたが、何も言わないのを見て、セレナがつい口を出してしまう。
「その……四人目の方は……後でいらっしゃるとか?」
オルフェスは首を振った。
「いやいやいや、ここにおりますよ」
「はい?」
「ですから、このオルフェスも旅に同行すると、申しております」




