3-1. 砂塵の門
乾いた風が、砂塵を巻き上げる。
灰褐色の城壁は高く、鋭く、余計な装飾を削ぎ落とした実利の砦だった。
ここは交易都市――ザルハ。
商人の列がゆるやかに門へと吸い込まれていく中、ひときわ損傷の目立つ馬車があった。
客室側面のガラス窓が、粉々に割れている。
割れ残った縁が、不格好に光を返していた。
「……ずいぶんと派手にやられたな」
門兵が眉をひそめる。
御者の隣に座るオルフェスが、穏やかに笑った。
「いやあ、大きな石が、どこからか突然飛んできましてな」
あらかじめ御者席に座っているのは、交渉を円滑に進めるためだ。
門兵は馬車を舐めるように見回す。
割れた窓。歪んだ金具。擦れた側板。
「幸い私らは皆無事でした。商いを続けられるだけでも僥倖でして」
客室を覗き込もうとする門兵の動きを、言葉でさりげなく遮る。
「中にいるのは、孫娘と侍女と護衛でして。
商売の交渉事のために、アシュヴァルに向かう途中なんですわ。孫が一緒に行きたがりましてな」
門兵が小さく笑う。
「好かれてるんだな」
「え」
「孫に」
「ああ、はい――
『お爺ちゃん、大好き』などと、よく言われますからな。ハッハッハ」
オルフェスの高笑いに、客室の三人は視線を落とした。
門兵はしばらく黙考し、やがて鼻を鳴らす。
「……よし。馬車溜まりへ回れ」
通過。
馬車は軋む音を立てながら城門をくぐった。
広い馬車溜まりは、喧騒と埃に満ちていた。
数十台の馬車。
積荷の山。
馬の嘶き。
怒号と値切り声。
ここでは、異音は警戒を呼ばない。
日常に溶ける。
オルフェスは即座に周囲を観察し、御者へ低く言う。
「馬車を早急に直す必要がある。職人を探す。おぬしもついてくるのだ」
セレナを中に置いて、レオンとナギの二人は馬車を出た。
ナギはすでに周囲の宿の看板を視線で拾っていた。
「宿は私が押さえます」
そして「人の出入りが少ないところを」と小声で付け加えてから、振り返る。
「おい、護衛」
レオンはわずかに顎を上げた。
「旦那様も私も不在となる。お嬢様を――しっかり守れ」
周囲の目がある。
「分かったよ、下女」
ナギがわずかに目を細める。
(下女はおかしいだろ)
(護衛って呼ぶな)
ひそかな応酬。
オルフェスは窓越しにセレナへ囁く。
「ここはある意味、森よりも危険な場所です。
十分に注意なさいますように」
「ここは下手をすると、あの森より厄介です。ご用心を」
三人は散る。
残されたのは、馬車の中のセレナと、踏み台に腰掛けるレオン。
砂埃が、ゆっくりと沈む。
(……人が多すぎる)
レオンは腕を組む。
視線が刺さる気がする。
実際には誰も見ていないのに。
この国――マリネス。
南の港町リヴァンで、なけなしの金を巻き上げられた記憶が蘇る。
ここでは、剣を使う前に勝負が決まってしまう。
そのとき。
「兄ちゃん、どこから来た?」
いつの間にか、痩せた男が立っていた。
目だけが妙に鋭い。
「言う必要があるか?」
「何だよ、つれねえなあ」
男は客室を覗き込む。
「窓、ぶっ壊れてる。どうした?」
レオンは一瞬、門兵との会話を思い出す。
「……隕石が飛んできた」
「隕石?」
間違ったか。
「……石だ。大きな石がな」
男はニヤリと笑う。
「中にお嬢ちゃんがいるな」
レオンの視線が鋭くなる。
「見るな」
「ワケアリか?」
「ない」
男はしばらく値踏みし、肩をすくめる。
「ま、気をつけな。色々とな」
そう言い残し、雑踏へ消える。
レオンは小さく舌打ちした。
剣技も会話も、搦め手で探り合うようなやり口は苦手だ。
いやな気分を抱えつつも、レオンは馬車の縁に腰掛けながら、辺りを見渡していた。
ほどなくして――。
今度は、香の匂いが漂う。
艶やかな布をまとった女が、ゆるやかな足取りで近づいてきた。
「ねえ、ちょっといい?」
声は甘く、しかし目は計算高い。
「向こうで車輪が外れちゃって。女手だけじゃどうにもならなくてさ」
レオンは反応しない。
「力、ありそうじゃない。あんたしかいないの」
「他を当たれ」
「お願いよ。すぐ終わるからさあ」
そう言って女は、レオンに抱き着こうとする。
「ちょ!やめろ!」
女を振り払おうとしたとき、レオンの手が女の胸に当たる。
「いやあ~ん!」
女は胸元を押さえる仕草をしつつ、大げさに声を上げた。
周囲の視線が二人に集まる。
「ちょ、ちょっと待て!そんなつもりじゃ――」
「で、手伝ってくれるんでしょ?」
「くっ……」
レオンは苛立ちを押し殺す。
「五分だけだ。それ以上は無理だ」
女はにっこりと笑った。
レオンは振り返る。
「少しだけ、ここを外すんで」
セレナはただ静かに頷く。
「お兄さんのこと、借りてくわねー」
女は、レオンの腕をつかむと、妖しく笑いながら、セレナに向けて手を振ってみせた。
その馬車は少し離れた場所にあった。
確かに車輪は外れている。
持ち上げ、軸を合わせ、固定する。
作業自体は簡単だった。
「これでいいだろ」
車輪が動かないことを確認し、レオンはすぐに踵を返す。
「ちょっとお礼させてよー」
女はレオンの腕をつかむ。
「いらん」
その手を振り払う。
「んもう、せっかちな男は、嫌われるわよー」
背中にそんな言葉を受けながら、レオンはその場を後にした。
そして、元の場所に戻る。
もはや見慣れた馬車がある。
しっかり扉のガラスが割れているのが見える。
だが――
中に気配がない。
「……ひめ……お嬢様?」
返事はない。
中を覗く。
誰もいない。
慌てて辺りを見回す。
セレナの姿はどこにも見当たらない。
すぐ近くで馬の手綱をいじっていた男に声をかける。
「おい、そこの馬車に乗ってた娘、見なかったか?」
「……さあ?」
レオンは、その付近にいる人間たちに、手当たり次第に尋ねてまわる。
荷を運んでいた若者、帳簿を抱えた商人、着飾った女――等々
その誰もが、口をそろえて、知らない、何も見ていないと言う。
ざわり、と背中が冷える。
レオンの手が、ゆっくりと剣の柄に触れた。
砂塵の中、王女は消えていた。




