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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第六章 自治都市ボーダー編

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78、権力者たちの紅茶ネットワーク




 人間の歴史において、権力者が公の場で毒を盛られて倒れるという劇的なイベントは、まるで様式美のように繰り返されてきたらしい。すばるが言うには、古代の帝国から現代の地方都市に至るまで、暗殺の基本フォーマットは驚くほど変化していないとのことだ。


 しかし、実際にその「歴史的瞬間」とやらを目の当たりにしてわたしが抱いた感想は、ひどく冷めたものだった。


 評定所の壇上で、筆頭商人ソーク・イマウェルが喉を押さえて崩れ落ちたあの光景。


 悲鳴、怒号、駆け寄る側近たち、そして間髪入れずに捕縛された反ソーク派の商人。周囲の群衆はわかりやすい悲劇の構図に完全に飲み込まれ、義憤と恐怖に顔を歪めていた。誰もが「反対派の凶行だ」と信じて疑わない、見事なまでの劇場空間ができあがっていた。


 自分がなぜ捕まっているのか、目の前で何が起きているのか、脳の処理速度が完全に追いついていない、純度百パーセントの「混乱」と「驚愕」の色だった。あれを演技でやれる人間がいるとしたら、今すぐ国立劇場で主演を張れるレベルの天才である。地方都市で小競り合いをしているような中堅商人ではない。


 となれば、導き出される結論は一つしかない。


 あの暗殺未遂劇そのものが、何者かによって周到に準備された三文芝居であるという可能性だ。そして、最も疑わしいのは、毒を飲んで倒れたはずの「被害者」本人である。




「というわけで、名探偵五邑令美の華麗なる推理によれば、あの狸親父は仮病を使っている確率が極めて高いわけよ」


 南区の魚市場へと続く大通りを歩きながら、わたしは隣を歩く小さな保護者に向かって自信満々に推理を披露した。


 潮の香りと、水揚げされたばかりの海産物が放つ濃厚な生臭さが、鼻腔の奥を強烈に刺激する。テンペタ・フロップスの洗練された空気とは対極にある、労働と生命の匂いが充満する空間だ。


「仮にそうだとして、お前はなぜ魚市場に向かっているのだ」


 統は、周囲の喧騒と生臭さを完全に遮断したような無表情のまま、極めて論理的な疑問を呈した。


「情報収集の基本は、街の胃袋を握る場所に出向くことよ。それに、アリアさんたちが監査院の伝手を使って表向きの情報を洗っている間に、わたしたちは裏付けを取りに行くって約束したでしょ」


「それで、海産物問屋か」


「昨日、ここで海鮮を爆買いした時に顔見知りになったおじさんがいるのよ。まずはあの人に、この市場で一番顔が広くて、評定所の偉い人たちとも繋がりがある商人を教えてもらうの」


 わたしは尤もらしい理屈を並べ立てたが、本音を言えば、単純にもう一度美味しい魚の気配に引き寄せられただけである。あの特上海鮮丼の記憶が、わたしの足取りを南へ南へと誘導していた事実は否定できない。


 市場の入り口で、昨日わたしのサコッシュの四次元収納を見て腰を抜かしていた魚屋の主人を見つけると、わたしは愛想よく声をかけた。彼はわたしの顔を見るなり少し引きつった笑顔を浮かべたが、銀貨を握らせて「評定所の連中の顔と裏事情に一番詳しい問屋の主」を尋ねると、あっさりと一つの名前を吐いた。


「それなら、市場の中央に一番デカい看板を出してる『トト屋』の主人、リクローズの旦那のところへ行きな。あの人は三十六人の商人たちの台所を仕切ってるようなもんだし、口は堅いが、気に入られれば何でも教えてくれるはずだ」


 親切な助言に従い、わたしたちは活気に満ちた市場の通路を抜け、威勢の良い掛け声が飛び交う店舗の奥へ進んだ。


 やがて見えてきた「トト屋」の暖簾の奥には、市場の喧騒とは完全に切り離された、奇妙な空間が存在していた。


 木箱や網が乱雑に積まれた土間の奥に、不自然なほど立派なマホガニー製の応接机が置かれている。


 そして、その机の前に座っていたのは、腕の太さがわたしの太ももほどもある、筋骨隆々の大男だった。無精髭を生やし、頭にはねじり鉢巻き。首から分厚い前掛けを下げたその姿は、どう見ても荒波と格闘する現役の漁師か、海賊の親玉である。


 だが、その大男は、丸太のように太い指先で、驚くほど繊細な花柄が描かれた薄手の磁器のティーカップを優雅につまみ上げていた。


「おお、いらっしゃい。見ない顔だが、仕入れの相談かな。それとも、私の麗しき茶会に加わりたいという奇特な旅人かな」


 大男は、野太いバリトンボイスでそう言いながら、ティーカップを傾けて中身の液体を静かに啜った。


 魚の生臭さが充満する問屋の奥底で、ベルガモットの香りを纏った上品な紅茶の湯気が立ち昇っている。視覚と嗅覚の情報が完全に矛盾しており、脳の処理回路が一時的にショートしそうになる。熊がフリル付きのエプロンを着て刺繍をしているような、強烈なミスマッチだ。


「ええと……七色どれみといいます。こっちは弟のすばるです。あの、入り口の魚屋さんに聞いてきたんですが。トト屋のご主人、リクローズさんで間違いありませんか」


 わたしは戸惑いを隠しきれないまま尋ねた。


「いかにも。私がこのトト屋の主人、リクローズ・サウザンだ。まあ、そこに掛けたまえ。遠方からの客人を立たせたままにするほど、私は野蛮な男ではないのでね」


 リクローズは机の対面にある木製の椅子を勧めた。


 わたしと統が席につくと、彼は流れるような手つきで真鍮製のポットから琥珀色の液体を新しいカップに注ぎ、わたしたちの前に差し出した。


 鼻先をくすぐる、華やかでいてどこか深みのある香り。


「これは……テンペタ産のお茶ですね。それに、この白磁のカップも」


 統が、カップの表面に浮かぶ水色を観察しながら、感情の読めない声で言った。


 リクローズの目が、驚きと歓喜に大きく見開かれた。


「おや、そこの小さな紳士、スバル君といったかな。ただの子供かと思えば、なかなかの目利きだ。いかにも、これは古都テンペタ・フロップスから取り寄せた最高級の茶葉だ。カップもテンペタの職人が焼き上げた逸品。わかる人間がいてくれるとは、紅茶を淹れた甲斐があるというものだ」


 大男は相好を崩し、本当に嬉しそうに髭を撫でた。


 まさか異世界の魚市場で、テンペタの特産品談義に花が咲くとは思わなかった。


「リクローズさん、魚問屋の主人にしては、随分と優雅なご趣味をお持ちなんですね」


 わたしが素直な感想を漏らすと、リクローズはカップを置き、深い息を吐き出した。


「海の男だからといって、常に酒を煽って荒くれているわけではないさ。特に、この街のように殺伐とした権力争いが日常茶飯事の場所では、心を落ち着かせるための静かな時間が必要なのだよ。……それに、これは私の数少ない『友人』の影響でもあってね」


「友人、ですか」


「ああ。私も若き日は、自分の商売のことしか頭にない血気盛んな若造だった。だが、ある男と茶を飲むようになってから、物事を少しだけ引いた視点で見ることができるようになったのだ」


 リクローズの瞳が、過去の記憶を辿るように細められる。


「その男も、大の紅茶党でね。権力の頂点に立ち、常に周囲から命や寝首を狙われるような立場にいながら、茶を飲んでいる時だけは、ただの静かな思索家だった。……昨日、評定所の壇上で倒れた、ソーク・イマウェルのことだよ」


 思わぬ名前が飛び出し、わたしは喉の奥で息を飲んだ。


 筆頭商人ソーク。街を売り飛ばしたとされる一族の末裔であり、現在の権力闘争の中心人物。


「リクローズさん、ソーク氏と親しいんですか」


「親しいと言うほどではない。ただの、茶飲みの相手だ。あの方もテンペタ産の茶葉を好んでいてね。時折、私が仕入れた茶葉を彼に融通する代わりに、この場で世間話を交わす関係だったのだよ。テンペタの所司代であるリヴィエール侯爵とも、紅茶の取引を通じて長年の交友があると聞いていた」


 権力者同士の紅茶を通じたネットワーク。


 わたしが思い描いていた「強欲で冷酷な独裁者」というソークのイメージに、少しだけ人間味のあるノイズが混じり始める。


「世間では、ソーク殿は権力を独占する冷血漢のように言われている。確かに彼のやり方は強引で、反感を買うことも多いだろう。だが、私と茶を飲んでいる時の彼は、常にこのボーダーという街の未来を深く案じている、孤独な責任者の顔をしていた」


 リクローズの声には、倒れた茶飲み友達に対する静かな憂慮が込められていた。


 彼がソークを信頼していることは十分に伝わってきた。

 だが、ここで踏み込まなければ、情報収集に来た意味がない。わたしはカップを静かにソーサーに戻し、声を一段階低くした。


「リクローズさん。わたし、昨日の評定所に傍聴に行っていたんです。そして、あそこでソークさんが倒れた瞬間も、犯人とされて捕まった商人の顔も、一番前で見ていました」


 リクローズの眉がピクリと動いた。


「わたし、舞台演劇の仕事に長く関わっていたことがありまして。人間の本物の感情と、作られた演技の違いには少しばかりうるさいんです。……あれは、暗殺を成功させた人間の顔じゃなかった。そして、ソークさんの倒れ方も、どこか不自然に整いすぎていたように見えました」


 わたしの言葉に、リクローズはしばしの間、口を閉ざした。


 彼の鋭い眼光が、わたしの顔を、そして隣で静かに茶を飲んでいる統の顔を順番に探るように見つめる。


「……なるほど。ただの旅行者というわけではなさそうだな。お嬢さんたちは、ソーク殿の身に起きたことの裏を嗅ぎ回っているというわけか」


 リクローズの声から、先ほどまでの人の良さそうな主人の響きが消え、ボーダーの巨大な問屋を束ねる顔役としての凄みが顔を出した。


「裏を嗅ぎ回るというか、転がっている不自然な小石を蹴っ飛ばしてみただけですよ」


 わたしは微笑みを崩さずに返した。


 リクローズは短く鼻を鳴らし、再びティーカップを手にした。


「お嬢さんの目が節穴ではないことは認めよう。だが、もし彼が何かを隠し、自らあの劇を演じたのだとすれば、それは彼自身の利益のためではなく、この街全体を守るための『劇薬』のようなものなのかもしれない。……あの男は、決して私利私欲だけで動くような浅はかな商人ではないと、私は思っている」


 それは、リクローズなりのソークに対する絶対的な信頼の表明だった。


 三十年前の川の付け替え工事による売国行為。そして今回の自作自演の暗殺劇。

 それらがすべて、私腹を肥やすためではなく、何かもっと巨大な目的のための犠牲だとしたら。


 わたしの思考が深い海の中を潜行し始めたその時。


 問屋の入り口の方から、嵐のような勢いで足音が近づいてきた。


「リクおじちゃーん! できたよ、ついに完成したよ!」




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