76、イケズな街の権力闘争
人間の世界において、政治と権力闘争というものは、どれほど文明が発達しようと、あるいは異世界に場所を移そうと、その本質的な構造において驚くほどの不変性を保っている。
アリアさんは魚市場で小耳に挟んだことが気になるようで、ベルロウさんを伴って商店街に消えて行った。
残ったわたしたち、宿を取るため、三人は街の中心地に向かうことにした。
「アリアさんたら、疲れたとかブツブツ言ってたのに働き者ね」
「一応、冒険者稼業も長いし、それなりに鍛えてはいるからな。疲れていたのは嘘じゃないが、余力は十分残している」
ノッピーニオさんは、海鮮丼で元気いっぱいのわたしをチラリと見てそう言った。
「冒険者って言ってるけど、本当は国のお役人さんなんでしょ」
「いや、本業は冒険者。今は専属で国の仕事を請け負ってるって感じだな」
「そうなんだ。下請けさんは大変だね。ずっと昔から三人で?」
「いや、最初は四人。村で薬師をするのが夢だって、いつも楽しそうに語っていたけど……」
ノッピーニオさんは前を向いたまま寂しそうに答えた。
「ごめんなさい。余計なことを」
なんだかマズイ事を聞いたみたいな雰囲気に、わたしは慌てて謝った。
この世界、油断すると人の命って簡単に消えちゃうんだものね。
「ん? どうした?」
「その人……」
「ああ、夢は実現しなかったな」
「そっか……」
「幼馴染の宿屋の娘と結婚して、今じゃ宿屋の主人をやってるよ」
「はぁ!!」
「だから入婿になって……」
わたしの海鮮丼至福のほっこり余韻を返せ!
マタさんが紹介してくれた宿の清潔な部屋で荷物を解いていると、アリアさんたちが合流してきた。
アリアさんが深い疲労を滲ませた声で語った自治都市ボーダーの現状は、控えめに表現しても腐敗の極みであった。
この街を実質的に支配しているのは、三十六人の有力商人たちによって構成される「評定組織会合衆」という集まりである。響きだけは民主的で合議制を重んじているように聞こえるが、実態は欲望と嫉妬を鍋に放り込んで煮詰めたような泥仕合の舞台らしい。
現在の筆頭商人であるソーク・イマウェルという男が、強引な手法で権力と富を己の派閥に集中させている。それに反発する中堅商人のグループが、水面下で激しい抵抗を繰り広げているというのが事のあらましだ。
問題は、彼らの抵抗の手段である。正々堂々と議会の場で論戦を交わすなどという高尚なことはしない。競合他社の店舗に細工をした魔道具を紛れ込ませて火災を誘発させたり、流通ルートの要所に刺客を配置して物資を足止めしたりと、やっていることは完全に裏社会のそれである。
「監査院から報酬をもらってる私たちとしては、地方都市の経済機能が麻痺するような事態を黙って見過ごすわけにはいかないのよ」
もう潔いくらい自分たちの身分をわたしに隠す気は一ミリもなさそうだ。
「しかも、連中は相手を直接殺害するような野蛮な手段は避けているの。あくまで事故を装い、精神的、経済的に追い詰める。ボーダー流の気位の高さが、犯罪の手法にまで浸透しているのよ。おかげで決定的な証拠が掴みにくくて仕方がないわ」
彼女の言葉を聞きながら、わたしは窓の外に広がる街の風景を見下ろした。
煙突から吐き出される魔力の排気、運河を行き交う荷船、そして大通りを歩く人々。一見すると活気に満ちた商業都市の顔をしているが、その地下水脈には、どす黒い権力欲が絶え間なく流れているのだ。
「ねえ、統」
わたしは、部屋の隅で買ってきたばかりの硬い焼き菓子を紅茶でふやかしている弟(仮)に声をかけた。
「政治の話って、どこの世界でも同じ嫌な匂いがするわね。もっとこう、魔法と剣のファンタジーらしい、魔王を倒して世界を救うみたいなわかりやすい構図にはならないものかしら」
統は、柔らかくなった焼き菓子を一口大に切り分け、完全に無表情のまま口に運んだ。
味覚という概念が存在するのかすら疑わしいその挙動のあと、彼はゆっくりと口を開いた。
「六千年以上、人間の権力争いを観察してきたが、構造は何一つ変わらない。誰かが富を独占しようとし、別の誰かがそれを引きずり下ろそうとする。手段が剣から魔道具に変わり、毒殺から経済制裁に変わったところで、欲望の総量は同じだ。退屈極まりない」
千の位を四捨五入する生き物からすれば、人間の歴史など同じ喜劇の再放送でしかないのだろう。
統の冷徹な分析に、わたしは反論する言葉を持たなかった。
翌日、わたしたちはアリアさんたちの情報収集に同行することになった。
同行と言えば聞こえはいいが、要するに現場の潜入調査におけるカモフラージュ要員、あるいは労働力の提供である。
「ねぇ。アリアさんたちの事情にわたしたちを巻き込まないでよ。今日も魚市場をぶらつく大事な使命があるんだから」
一応、拒否の姿勢を見せたのだけど、問答無用で拉致られた。
「巻き込まれど度で言ったら私たちの方が貸は多いいわよ。それにあなた達が普通じゃないのもバレバレだからね」
アリアさんが目をつけたのは、街の中心部に近い東区に位置する、古い工房の改修工事の現場だった。この工房は、反ソーク派の急先鋒である商人が所有する物件であり、数日前に原因不明の小規模な爆発事故を起こして半壊していた。
事故の原因を調査するという名目で正規に立ち入るには、監査院の身分を明かす必要があり、それは相手に警戒を抱かせるだけである。そこで、復旧作業のために集められた日雇い労働者の群れに紛れ込むという、古典的かつ肉体労働を伴う手法が採用されたのだ。
「どうしてわたしが、こんな埃まみれになって瓦礫の撤去をしなければならないのよ」
顔の半分を布で覆い、作業用の分厚い手袋をはめた状態で、わたしは崩れた石壁の残骸を運搬用の木箱に放り込みながら不満を漏らした。
次元収納にある金貨を一枚両替すれば、この現場の労働者全員の日当を一年分払ってもお釣りが来るというのに、なぜわざわざ汗水流して肉体労働に従事しているのか。
吸血鬼の恩恵を受けた身体能力のおかげで、重い石材を持ち上げることに苦労はしない。だが、精神的な疲労と、髪に付着する漆喰の粉に対する不快感は、魔法でも防ぎようがなかった。
「文句を言わないの。自然な形で工房の奥深くまで入り込むには、これが一番手っ取り早いのよ。それに、あんたのその無駄に有り余っている体力、こういう時に使わなくてどうするの」
「てか、しれっとわたしたちをそのシステムに組み込まないでよ」
なんだろこの人。“立ってる者は親でも使え”が家訓の家ででも育ったんだろうか。
「はいはい、ブツブツ言わずに働く働く」
アリアさんも同じように作業着に身を包み、周囲の目を気にしながら瓦礫を片付けている。彼女の額にも玉の汗が浮かんでおり、文句を言いながらも決して手を抜かないあたり、職業意識の高さを感じさせた。
獣人のベルロウさんは、高い身体能力を活かして足場の悪い高所での作業を任されており、ノッピーニオさんは無言のまま二人分以上の重量の廃材を運んで現場監督から高い評価を得ているようだった。
そして、我が最強の保護者である統はといえば、「児童労働は法律で禁止されているのではないか」という極めて現代日本的な理屈を現場監督に振りかざした結果、休憩所の水汲み係という最も楽なポジションを確約されていた。
あの少年、法律という概念を完全に自分を守るための盾として悪用している。七千年の知恵の使い所が致命的に間違っている。
作業開始から数時間が経過し、太陽が最も高い位置に達した頃、事態は思わぬ方向へと転がった。
わたしとアリアさんが、工房の奥にある貯蔵庫の壁面を崩していた時のことだ。
焼け焦げた木材を取り除き、背後の石壁を解体しようと工具を打ち込んだ瞬間、予想外の空洞に行き当たったのだ。
壁の向こうに隠し部屋がある。
アリアさんが即座に周囲の労働者たちの視線を遮るように立ち位置を変え、わたしに小さく顎をしゃくった。
意図を理解したわたしは、力を加減しながら壁の穴を広げた。人が一人辛うじて通り抜けられる程度の空間を作り出し、暗がりの中へ身を滑り込ませる。
そこは、長年空気に触れていなかったであろう、カビと古い紙の匂いが充満する極小の空間だった。
足元には、鉄の帯で厳重に封をされた木箱が一つだけ置かれている。
埃の積もり具合から見て、最近隠されたものではない。十年、あるいは数十年という単位で放置されていたものだ。
「……何か見つけたわね」
背後からアリアさんが身を乗り出し、木箱の存在を確認した。
「今回の爆発事故とは関係なさそうだけど、わざわざ壁の中に隠すなんて、普通の代物じゃないわね」
わたしは木箱を抱え上げ、外へ持ち出した。
タイミングを見計らい、休憩時間を利用して現場を離脱する。
裏路地の人気のない場所へ移動し、統やベルロウさんたちと合流した。
「開けられる?」
わたしが木箱を差し出すと、統は全く興味を示さないような表情のまま、木箱の表面に触れた。
「単純な物理的な錠前と、血液を媒介にした呪術的な封印が施されている。無理に開ければ中身が燃える仕組みだ」
「開けられるのね」
「私の技術を侮るな」
統が指先で木箱の留め金を軽く弾く。
それだけで、何十年も閉ざされていた鉄の帯が砂のように崩れ落ち、蓋が静かに持ち上がった。呪術的な封印とやらも、彼の手にかかれば空気中の埃を払う程度の労力で無効化されてしまったらしい。
木箱の中に収められていたのは、金銀財宝の類ではなかった。
油紙で何重にも包まれた、分厚い書類の束である。
アリアさんが慎重に油紙を解き、中身の書類に目を通し始めた。
数秒後、彼女の顔色が劇的に変化した。日焼けした肌から急速に血の気が引き、瞳孔が収縮する。彼女は信じられないものを見るような目で、書類とわたしたちを交互に見比べた。
「これ……嘘でしょ。歴史がひっくり返るわよ」




