7、路傍の少女はどこから
【2026/5月改訂】
フィーネ視点(七色との遭遇時点)
「街道脇に人影!」
御者台のゲルトが、唐突に声を張り上げた。
その声に、後方を馬で並走していたローデリヒがすぐ馬首を寄せる。
「盗賊の見張りか?」
「いや、一人だ。子どもっぽい。ドワーフでもホビットでもないな」
ローデリヒは目を細め、街道脇を睨んだ。
このあたりに村も町もない。そんな場所に子どもが一人で立っている時点で、まともな事情とは思えない。
「子ども一人ってのは妙だな」
「ああ。悪いが、先に見てきてくれないか」
ローデリヒが馬腹を蹴ろうとしたところで、馬車の上からディルクが声をかけた。
「待て待て。お前さんがその格好で突っ込んでいったら、怖がって逃げるじゃろう」
「そうか?」
「そうじゃ。見張りにしては、あまりにも無防備じゃしな」
白い髭を撫でながら言われ、ローデリヒは肩をすくめた。
言われてみれば、その通りかもしれない。
では誰が行くのか。
答えは、ディルクの視線の先にいた。
「……フィーネ、か」
「それが一番ええじゃろう」
ローデリヒは小さく息をつき、馬を寄せた。
「どうしたの?」
前寄りを走っていたフィーネが、手綱を軽く引きながら首を傾げる。栗色の髪が肩で揺れた。
「子どもらしい。オレより、お前の方が向いてるってさ」
「子ども? こんなところに? ドワーフじゃなくて?」
「見た目は違うらしい」
フィーネは一瞬、空を仰いだ。
まったく。男どもは“穏やかに声をかける”という発想が、最初から選択肢にないらしい。
「わかったわ。行ってみる」
「ああ。気をつけろよ」
「はいはい、心得てます」
軽口を返し、フィーネは馬腹を軽く蹴った。
馬車の脇を駆け抜け、街道の先へと出る。
近づくにつれて、人影の輪郭がはっきりしてきた。
少女だった。
まだ成人前だろう。せいぜい十五、六。
服は柔らかそうな生地でできていて、仕立ても見慣れない。この大陸のどの国の旅装とも違う。貴族のものでもなければ、平民の服にも見えなかった。
肩から提げた濃紺の鞄も奇妙だった。
革でも布でもない、妙な艶を帯びた素材でできている。見たことのない品だ。
手には棒切れのようなものを握っている。
杖にしては頼りなく、武器と呼ぶにも心もとない。ただ、拾った枝を支え代わりにしているようにしか見えなかった。
少なくとも、盗賊の見張りには見えない。
フィーネは馬を寄せ、やや離れた位置から声をかけた。
「こんなところで何してるの?」
少女がびくりと顔を上げた。
驚きと戸惑いが混じった目で、じっとこちらを見る。
返事があった。
けれど、意味はひとつもわからなかった。
「……え?」
フィーネは思わず瞬きをした。
知らない響きだった。訛りとか異国語とか、そういう範囲を少し越えている。
馬を降り、手綱を引きながらもう少し近づく。
「あなた、一人なの? 誰かと一緒じゃないの? ここ、危ないわよ」
少女は何かを懸命に言いながら、身振りを交えて訴えてくる。
けれど、言葉も仕草も、どこの地方の流儀にも見えない。
フィーネは困ったように笑った。
「それ、何語なの……?」
すると少女は、少し考えたあと、道の左右を指さした。
それから空中に、妙な形を描く。四角い建物のつもりだろうか。いや、塔か、砦か。
「お城? 砦?」
そう問い返すと、少女はぱっと顔を明るくして何度も頷いた。
なるほど。
どちらへ行けば町か砦に着くのか、そう聞いているらしい。
そこへローデリヒたちが追いついてきた。
馬車がゆっくり止まり、ローデリヒが周囲を見回す。
「盗賊の待ち伏せじゃなさそうだな」
「ええ、たぶん違うわ」
「で、その子は?」
「言葉が通じないの。服も持ち物も見たことがない」
馬車の上からディルクが身を乗り出した。
「他国の子かのう?」
「そう思ったけど、それにしても変なのよ」
「変って、お前さん……」
「だって本当に変なんだもの。悪い意味じゃなくて」
フィーネは少女の鞄を見やった。
あんな素材、見たことがない。
ローデリヒも少女を観察しながら眉を寄せる。
「この街道沿いに砦なんて無いぞ」
「領都まで行っても数日はかかるぞい」とディルクが言った。
「遠国の使節団から逸れた、とか?」
「使節がこんな年頃の娘を一人で歩かせるか?」
憶測だけが増えていき、結論は出ない。
結局、ディルクがあっさり言った。
「ま、ここで悩んでも仕方あるまい。放っておくわけにもいかんし、次の町まで連れていこう」
「そうだな」とローデリヒも頷く。
「街まで行けば、誰かわかる者がおるかもしれん」
「じゃあ、私が伝えてみるわ」
フィーネは少女へ向き直った。
できるだけ穏やかに笑い、水袋を示してから、自分たちの馬車を指さす。
「一緒に来る? 次の町まで。ここにいるより安全よ」
少女はすぐには答えず、鞄の中を探った。
取り出したのは、金属のような光沢を持つ細い筒だった。
それを振ると、かすかに水音がする。
「ねえ、ローデリヒ。あれ、水筒かしら」
「竹じゃないな。見たことのない素材だが……たぶんそうだろう」
「水が少ないってことかも」
少女は必死にそれを示しながら、何かを話している。
意味はわからない。けれど、表情と声色から、敵意だけは感じなかった。
むしろ、ひどく困っているのだとわかる。
フィーネはゆっくり頷いて見せた。
言葉は通じなくても、頷きや笑顔なら少しは届くらしい。少女の顔から、わずかに強張りが抜けた。
何度かのやり取りの末、どうやら少女もこちらについて来るつもりになったようだった。
ローデリヒが幌をめくり、荷台の後ろを示す。
「ここから乗れ、ってことだ」
もちろん通じはしないが、手振りで十分だった。
少女は戸惑いがちに荷台へ足をかける。動きはぎこちなく、馬車に慣れていないのがすぐわかった。
それでもどうにか乗り込み、幌の内側に身体を収める。
フィーネはその様子を見届けて、小さく息を吐いた。
「よし。出発しましょう」
馬車がきしみを上げて動き出す。
荷台の中で少女は、警戒しながらも、幌の隙間から外をじっと見ていた。
迷い猫を拾ったみたいだ――と、ふとフィーネは思った。
ただし、この猫がどこから来たのかは、まだ誰にもわからなかった。




