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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第五章 城塞都市ダイスロープ編

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62、看板娘のプライド




 リベットのおじさんから工作用の部品を受け取るまでの三日間。


 わたしたちはダイスロープの裏側で、この街が抱える本当の痛みと、それに耐えようとする人々の体温に直接触れることになった。


 市場には相変わらず魚の姿はなく、日に日に野菜や塩の値段まで跳ね上がっていく。配給の列に並ぶ人々の顔からは余裕が消え、些細なことで言い争いが起きるようになっていた。

 海が死ねば、街も死ぬ。食堂の女将さんが言っていた言葉が、冷たい現実として胸に迫ってくる。


 わたしは少しでもこの澱んだ空気を換気したくて、女将さんの食堂で給仕の手伝いを買って出た。


 というより、半ば強引に「看板娘」の座を陣取ったのだ。

 支給された少し大きめのエプロンの紐を背中で固く結び、子役時代から2.5次元の舞台で培ってきた「健気で明るい少女」の演技プランを全開にする。


「はい、お待たせしました! 今日も海より深い愛情がたっぷり溶け込んだ代用シチュー、熱いうちに召し上がれ!」


 わたしは盆に乗せた木製の器を、荒くれた漁師たちが囲むテーブルへ軽やかに並べていく。


 客の大半は、漁に出られず、かといって別の仕事も見つからずに昼間から安い酒を舐めている海の男たちだ。彼らの顔は潮風で深く刻まれた皺に覆われ、数日前まではその皺の奥に険しい怒りばかりが溜まっていた。


「おう、嬢ちゃん。愛想がいいのは最高に嬉しいんだがよ、俺たちゃやっぱり、愛情より本物の魚が食いてえなあ」


 髭面の漁師が、シチューを木のスプーンでかき混ぜながらぼやく。

 わたしは両手を腰に当て、わざとらしく胸を張ってみせた。


「本物のお魚が食べたいなら、海軍のお偉いさんを説得して海を開けてもらうしかないわね。それまでは、わたしのこの特上スマイルで我慢しなさい。あ、スマイルは無料だけど、シチューの代金はしっかり頂くからね、船長さん!」


 わたしの軽口に、髭面の漁師は呆気に取られた顔をした後、腹の底から愉快そうな笑い声を上げた。


「違いない! こんなべっぴんさんの笑顔をおかずに飯が食えるなら、干からびた芋だって極上の肉に思えてくるってもんだ。おいお前ら、今日は俺の奢りだ! 嬢ちゃんの笑顔に免じて、景気良く飲もうぜ!」


 その声に呼応して、周囲のテーブルからもくぐもった笑い声と歓声が上がる。

 張り詰めていた食堂の空気が、少しだけ柔らかく解けていくのを感じた。


「ちょっと、お兄さん! そっちのテーブル、お酒の追加ね! はいはい、順番に伺うから急かさないの!」


 わたしは店内を蝶のように飛び回り、空いたグラスを回収し、冗談を交わし、時には酔っ払いのくだらない自慢話を適当にいなす。


 正直に言えば、体力も気力も恐ろしく消耗する労働だ。それでも、彼らがふとした瞬間に見せる、毒の抜けたような笑顔を見ていると、疲れなどどこかへ飛んでいってしまう。


 美味しいものを、誰かと笑い合いながら食べる。

 それこそが、理不尽な世界に対する最もささやかで、最も強力な抵抗なのだ。


 一方、わたしの弟(仮)であるすばるはといえば。

 彼は「労働は対価を得てこそ意味がある」などと小難しい理屈を並べていたが、結局はわたしの押しに負け、カウンターの奥で洗い物係に専念していた。


「お前、手際が良すぎるぞ。グラスが削れるんじゃないか」


 わたしが空いたグラスを山のように持ち込むと、統は一切の感情を排した顔つきのまま、目にも留まらぬ速さでそれを拭き上げていく。おそらく微弱な洗浄魔法でも併用しているのだろう。布巾が触れた瞬間に、どんな油汚れも消滅し、グラスは新品同様の輝きを取り戻すのだ。

 見事な職人技だが、愛想は完全にゼロである。


 先ほども、酒の回った若い水兵がわたしに絡もうとして手を伸ばしてきた瞬間、統がカウンターの奥から「絶対零度の殺意」を込めた視線を放ち、水兵を文字通りその場に凍りつかせていた。

 過保護な用心棒のおかげで、わたしの貞操と安全は完璧に守られているわけだ。


「助かるよ、二人とも。ドレミちゃんが来てから、野郎どもの顔に久しぶりに生気が戻ったみたいだ」


 厨房から顔を出した女将さんが、目を細めて店内を見渡す。


「こんな時だからこそ、笑わなきゃ損ですよ。それに、女将さんの作るご飯が美味しいから、みんなここに来るんです」


「嬉しいこと言ってくれるねえ。ほら、まかないのシチューだ。腹が減っては愛想も振りまけないだろう」


 女将さんが差し出してくれた木皿には、客に出すものよりも少しだけ干し肉が多く入っていた。

 魚の出汁がない分、どうしても味の層は薄い。だが、野菜の甘みと、女将さんの不器用な優しさがたっぷりと溶け込んでいて、心底温まる味がした。


 裏街の孤児たちにも、次元収納のサコッシュからこっそり取り出した保存食を差し入れた。

 ミケーネは「お姉ちゃん、どこにそんなに食べ物を隠し持ってるのさ」と怪しんでいたが、背に腹は代えられないらしく、文句を言いながらも孤児たちに平等に分け与えていた。


 そんなふうにして、街の人たちと交流を深めていた三日目の午後。

 いつものように食堂で立ち回っていると、入り口の木扉が開き、一人の若い男が入ってきた。


 海軍の制服を身に纏った、背筋の伸びた青年。先日見かけた士官、ビクトル・クァイシュだ。


 彼は疲労の色を濃く浮かべた顔でカウンターに座ると、女将さんに深く頭を下げた。


「すまない、女将さん。今日も……海を解放する命令は下りなかった」


 ビクトルの声には、痛切な悔恨が滲んでいた。パトロールの合間を縫って、自分の無力さを詫びに来たのだろう。賑やかだった食堂の空気が、彼の言葉で一瞬にして重たくなる。


「あんたのせいじゃないさ、ビクトル。上層部が動かないんだから、若い士官のあんたがどうにかできる問題じゃない」


 女将さんは慰めるように、温かいお茶を彼の前に置いた。


 ビクトルは湯のみを握りしめ、自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「海賊ごときに港を封鎖されるなど、王国海軍の恥だ。私は明日も上官に直訴する。海と民を護ることこそが、我々海軍の誇りなのだから」


 彼の言葉は、正義感に溢れた若者特有の熱を帯びていた。

 しかし、その熱に冷や水を浴びせるような声が、隣で無心にグラスを磨いていた統から発せられた。


「誇り、か。ずいぶんと安っぽく、そして腹の膨れない言葉だな」


「な、なんだと?」


 ビクトルが驚いて振り返る。


「誇りなどという実体のない感情にしがみついているから、身動きが取れなくなるのだ。上層部が腐敗しているとわかっているのなら、選択肢は二つに一つ。力がないと諦めて沈黙するか、あるいは反逆してその首を物理的にすげ替えるかだ。直訴などという生ぬるい手段で事態が好転すると信じているのは、単なる思考の怠慢でしかない」


 統の言葉は、氷の刃のように鋭く、そして徹底的に合理的だった。

 悠久の時を生き、数多の帝国の興亡を見てきた彼にとって、個人の誇りなどというものは、歴史のうねりの前ではあまりにも無力で無価値なものなのだろう。


 ビクトルは目を丸くし、次いで深い皺を眉間に刻んだ。

 怒りよりも、純粋な戸惑いが勝っている顔だ。


「君は……本当に子供なのか? まるで、裏に隠れた陰謀のすべてを見透かしているかのような、老成した政治家のような物言いだが」


 ビクトルの鋭い指摘に、わたしは慌てて二人の間に割って入った。


「ご、ごめんなさい! この子、昔から大人びてて、難しい本ばっかり読んでるから頭でっかちなんですよ! 反抗期がこじれてるっていうか!」


 わたしは統の頭を乱暴に撫で回しながら(統は殺意のこもった目でわたしを睨んでいたが無視した)、ビクトルに向かって愛想笑いを浮かべた。


「でもね、ビクトルさん。彼の言うことも、冷たいようだけど一理あると思うの」


「……どういうことだ」


「上層部が海軍の誇りより自分たちの利益を優先してるなら、あなたがいくら正論をぶつけても響かないわ。……でもね」


 わたしは言葉を切り、女将さんや、食堂で肩を落としている人々を見回した。

 さっきまで笑っていた漁師たちも、今は不安そうにこちらを見つめている。


「あなたのその『誇り』は、無駄じゃない。あなたが本気で街を護りたいって思って走り回ってること、みんな知ってる。だから、街の人たちは完全に絶望しないで、ギリギリのところで踏ん張れてるんだと思う。あなたの誇りは、この街の最後の支柱なのよ」


 ビクトルは言葉を失い、自分の手の中の湯のみをじっと見つめた。

 やがて彼は深く息を吐き出し、立ち上がった。


「……子供に慰められるとは、私もまだまだ未熟だな。だが、ありがとう。君の言葉で少し目が覚めた。……私は私のやり方で、抗い続けるよ」


 ビクトルはわずかに口角を上げ、食堂を出て行った。

 彼の背中には、昨日よりも少しだけ強い意志が宿っているように見えた。


「余計なことを」


 統が不満げに呟く。


「いいじゃない。人間には、合理性だけじゃ割り切れないものがあるのよ。あんたには一生わからないかもしれないけどね」


 わたしは胸を張り、布巾でカウンターを拭き続けた。



 その日の夜。

 リベットの工房を訪れると、彼は目の下に深いクマを作りながらも、約束通り二つの奇妙な装置を完成させていた。

 一つは船の底に仕掛ける時限式の浸水トラップ。もう一つは、マストの頂上に仕掛ける、特殊な塗料を染み込ませた折り畳み式の帆だ。


「いいか、これは指定の深度と風圧に反応して作動する。船底の機構が発動すれば、船は沈みはしないが完全に足止めを食らう。そしてメインマストの仕掛けが展開すれば……ふふふ、見ものだぞ」


 リベットは自身の最高傑作を愛おしそうに撫でながら、悪党のように笑った。

 装置を受け取り、裏街の路地を宿へ向かって歩いていた、その時だった。


 路地の暗がりから、小さな影が弾丸のように飛び出してきた。

 ミケーネだ。

 彼女は激しく息を切らし、全身の毛を粟立たせていた。その顔は蒼白で、恐怖と焦燥に完全に支配されている。


「お、お姉ちゃん! 大変だ!」


 ミケーネはわたしを見つけるなり、すがりつくように叫んだ。


「今夜……海軍の連中が話してるのを聞いちゃったんだ!」


「どうしたの? 落ち着いて」


「あの黒い船が、見せしめにする気なんだ。今夜、物資を運んでくるボーダーの密輸小舟を、沖合で待ち伏せして沈めるって!」


 わたしの頭から、急速に血の気が引くのがわかった。


 密輸の小舟。

 それはつまり、ミケーネの仲間である孤児たちや、生活のために危険を冒して海に出る貧しい人々が乗る舟だ。

 公爵は、海賊の脅威をより決定的なものとして演出するために、無実の民間人を犠牲にしようとしているのだ。


「そんな……」


「どうしよう、お姉ちゃん! 今日舟を出してるのは、あたしの弟分なんだ! このままじゃ殺されちゃう!」


 ミケーネが泣き崩れる。


「大丈夫。今夜は、誰も沈まない」


 わたしの胸の奥で、静かに燻っていた怒りの炎が、一気に爆発的な熱量を持って燃え上がった。

 自分の権力を誇示するためだけに、必死に生きようとしている弱い人間を、海の藻屑にしようというのか。

 昼間、必死に笑ってシチューを食べていた漁師たちの顔が浮かぶ。


 許せない。

 絶対に、許さない。


「統」


 わたしは振り返り、最強の吸血鬼を真っ直ぐに見据えた。


「あの船、今夜こっそり港に補給に戻ってくるはずよね」


「ああ。日をまたぐ頃には軍港のドックに入るだろう。その後、再び出航して待ち伏せを行う手筈か」


「作戦開始よ。予定通り、あの船に極上のイタズラを仕掛けるわ」


 わたしはリベットの装置が入った袋を固く握りしめた。


「誰も殺さない。でも、あの公爵と、それに群がる連中を、死ぬほど後悔させてやる」


 海鮮丼への道は、どうやら想像以上に険しく、そして血生臭いものになりそうだった。

 だが、ここで引き下がるという選択肢は、わたしの辞書には存在しない。


 今夜、ダイスロープの海に、前代未聞の悪ふざけという名の正義を執行するのだ。




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