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旅する不死者は昼も歩く ――死ぬのは二回で十分だ。三度目の人生は、七千歳(ショタ姿)の保護者と行く、最強吸血鬼の旅!――  作者: 真野真名
第五章 城塞都市ダイスロープ編

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59、斜陽の造船所と、泳げない密輸少女




 翌日、わたしたちは海軍の監視網が比較的緩いとされる港の裏手、旧造船所の跡地へと足を向けた。


 潮風に乗って鼻を突くのは、赤錆の強烈な匂いだ。

 かつては巨大な軍艦や大型商船を次々と産み出していたであろうその場所は、今や広大な鉄の墓場と化していた。組み立て途中で放棄された巨大な骨組みが、無抵抗のまま風雨に侵食され、巨大な古代生物の化石のように無残な姿を晒している。


「荒れてるわね。これも海上封鎖が原因?」


 わたしが錆びついたクレーンを見上げながら尋ねると、すばるは周囲の惨状を冷ややかに見渡して首を振った。


「いや、これは数年単位で放置された結果だ。おそらく、公爵の政治的思惑だろうな」


「政治的思惑?」


「自分の息の掛かった私設造船所や御用商人にのみ予算を回し、王国の正規の設備を意図的に干上がらせたのだろう。権力を一箇所に集中させるための常套手段だ」


 なるほど。海上封鎖による漁業の停止は最近の出来事だが、この街の「澱み」自体はずっと前から始まっていたというわけだ。


 見渡せば、錆びた鉄材の陰には、行き場を失った港湾労働者や、出撃命令を出されずにくすぶっている水兵たちが座り込み、安い蒸留酒で白昼から意識を濁らせていた。

 彼らの瞳に宿っているのは、未来への希望などではなく、やり場のない暴力的な鬱屈だけだ。


「治安の悪さが目に見えるようだな」


 統が淡々と言う。


 千年の時を生きる彼にとって、人間の営みが作り出す一時的な退廃など、道端の石ころ程度の価値もないのだろう。


「仕事を取り上げられて、海にも出られないんじゃ、荒れるのも無理ないわよ」


 わたしは行き倒れている男たちを視界の端に収めながら、同情と諦観の混じったため息を吐いた。


 その時だ。鉄骨の奥から、男の怒声と、それに負けないくらい甲高い少女の抗議の声が聞こえてきた。


「離せ! それはあたしらが食べる分だ!」


「うるさい! 小賢しい真似をしやがって。これはどう見ても密輸品だろうが。海軍が没収してやる!」


 声のする方へ視線を向けると、三人の水兵が、一人の小柄な少女を取り囲んでいた。

 少女は布の限界を試すような継ぎ接ぎだらけの服を着ており、その頭には、人間のそれとは違う、獣の耳――猫の耳が生えていた。


 水兵の一人が、少女の抱えていた麻袋を強引に奪い取る。口の開いた袋から、ひどく乾燥した果物や、石のように硬そうなパンが地面に転がり落ちた。


「返してよ! それがないと、あいつらが死んじゃうんだ!」


 少女が水兵の腕に噛みつこうとするが、あっさりと振り払われ、冷たい地面に突き飛ばされる。



「目立つなと言ったはずだが」


 統が、わたしの行動を先読みして低い声で警告を発した。


 しかし、わたしの両足はすでに彼のアドバイスを無視して前へ出ている。


「弱い者いじめを黙って見過ごすのは、わたしの美学に著しく反するのよ」


 わたしは統に背を向けたまま言い捨て、水兵たちと少女の間に割って入った。


「そこまでにしておいたらどうかしら。海を守る立派な軍人さんが、子供の食料を奪うなんて、随分と情けない光景じゃない」


 突然現れたわたしを見て、水兵たちは一瞬だけ間抜けな顔を晒したが、すぐに嘲笑の色を浮かべた。


「なんだお前。見ない顔だが、怪我したくなかったら引っ込んでな」


 男の一人が、威嚇するように腰に提げた鉄の警棒を引き抜く。


 わたしは、自分の内側にある吸血鬼の身体能力を、ほんの少しだけ表面に引き上げた。力を解放しすぎれば相手を肉塊に変えてしまう。目指すのは、暴力による制圧ではなく、圧倒的な力量差を見せつけることによる戦意喪失だ。


 男が警棒を振り上げる。

 わたしは一歩踏み込み、その男の手首を素手で掴んだ。


 男の腕の動きが、まるで強固な岩盤に衝突したかのように完全に停止する。


「なっ……!?」


 男が驚愕の声を上げる。


 わたしは掴んだ彼の手首から警棒を抜き取り、それを両手で挟み込んだ。そして、ただの粘土を曲げるかのような手軽さで、鉄の棒をU字型に折り曲げてみせた。


「これ以上やるというのなら、あなたの腕の骨を、この棒とまったく同じ形に曲げることになるけれど。どうする?」


 わたしは極上の笑顔を浮かべて提案した。

 曲がった鉄棒とわたしの笑顔を交互に見た水兵たちは、言葉にならない悲鳴を喉の奥で鳴らし、奪った麻袋を放り出して我先にと逃げ去っていった。

 背中を見せて逃げる彼らの後ろ姿は、ひどく滑稽だった。


「大丈夫?」


 わたしは地面に転がったパンを拾い集め、へたり込んでいる猫耳の少女に手を差し伸べた。


 少女はわたしの手を借りずに自力で立ち上がり、麻袋をひったくるように抱え込んだ。警戒心に満ちた野生動物の目をしている。


「……あんた、なんで助けたの。見返りなんて何もないよ」


「見返りを求めて助けたわけじゃないわ。ただ、ムカついたから口出ししただけ」


 わたしが肩をすくめると、少女は少しだけ警戒のレベルを下げたようだった。

 彼女の名前はミケーネというらしい。この港の裏側で生きる孤児たちの、長姉のような存在だ。


 彼女が麻袋に詰め込んでいたのは、言うまでもなく食料だ。海上封鎖によって物価が高騰し、孤児たちに行き渡る食べ物は完全に底を尽いていた。


「だから、夜の間に小舟を出して、隣のボーダーの町まで買い出しに行ってるのさ。海軍の連中は夜になると、沖合の封鎖線の監視が甘くなるからね。その隙を突いて、こっそり海を渡るんだ」


 ミケーネの言葉に、わたしは眉をひそめた。


「ちょっと待って。夜に小舟でって、怖くないの?」


 それにニャンコって水が苦手じゃなかったっけ。


 わたしの疑問に対して、ミケーネは尻尾を足の間に巻き込みながら、自嘲気味に笑った。


「怖いよ。泳げないし。もし舟がひっくり返ったら、そのまま海の底に一直線さ。でも、誰かが海に出ないと、あたしらみたいな裏通りの人間は、みんな干からびて死ぬしかないんだ」


 その言葉には、理不尽な世界に対する諦めと、それでも生き抜いてやるという泥臭い執念が混じっていた。

 自分の命を天秤にかけてまで、他の子供たちに食べさせるパンを運ぶ。


 テンペタ・フロップスで出会ったカコちゃんと同じだ。大人たちが作った権力の都合に振り回され、一番弱い立場の子供たちが、命を削って尻拭いをさせられている。


 わたしはサコッシュの中に手を入れた。

 次元収納の彼方から、テンペタの街で買い込んでおいた上質なパンと、日持ちのする果物の砂糖漬けを取り出す。


「これ、少しだけど持っていきなよ」


 差し出された食べ物を見て、ミケーネの猫耳がピクリと反応した。喉がゴクリと鳴る音が聞こえる。だが、彼女は意地を張るように顔を背けた。


「同情で恵んでもらう義理はないよ」


「同情じゃないわ。さっきのわたしの『かっこいい立ち回り』に対する、観覧料みたいなものよ。受け取っておきなさい」


 強引に袋に押し込んでやると、ミケーネはしばらく葛藤したあと、小さく頭を下げた。


「……恩に着るよ、お姉ちゃん」


 これで少しは懐いてくれただろうか。

 そう思った直後、ミケーネが突然、全身の毛を逆立てて後ずさった。


 彼女の視線の先には、少し離れた場所で腕を組んで立っている統の姿がある。


「あ、あいつ……何者?」


 ミケーネの言葉は恐怖で震えていた。


 わたしにはただの無愛想な子供にしか見えないが、野生の勘に優れる獣人の彼女には、統の内側に隠された深淵のような力が感じ取れるらしい。絶対に逆らってはいけない、食物連鎖の頂点に立つ捕食者を見る目だ。


「ああ、あれはわたしの弟。ちょっと愛想がないけど、害はないから安心して」


 わたしがフォローを入れるが、ミケーネは完全にわたしの背中に隠れてしまい、統の方を直視しようとしない。


 統はそんな彼女の反応に少しも動じることなく、ただ「厄介な野生の勘だ」と小さく吐き捨てた。


「ミケーネ、あなたに一つ聞きたいことがあるんだけど」


 わたしは彼女の意識をそらすために本題を切り出した。

 今一番の問題は、海上封鎖の元凶である「海賊」の正体だ。


「ここ最近、港の周りで怪しい船を見なかった? 海賊船とか」


 ミケーネはわたしの背中から顔を半分だけ出し、周囲を警戒するように見回してから、声を潜めた。


「海賊なんて、昼間はどこにもいないよ。でも……夜中になると、誰もいない時間を見計らって、沖の封鎖線からこっそり戻ってくる黒い船があるんだ」


「こっそり戻ってくる?」


「そう。軍の専用ドックの片隅に停泊して、夜明け前にはまた沖へ出ていく。海軍の連中は『王都からの特務艦だ』って言い張ってるけど、裏街の人間はみんな、あれが海賊の正体だって噂してる」


 わたしと統は視線を交わした。

 やはりそうだ。

 海賊が堂々と軍港に停泊しているわけがない。沖合で商船を脅し、夜間だけ補給や連絡のために、味方である公爵の軍港へ隠れるように戻ってきているのだ。


「その黒い船について、もっと詳しいことを知りたいんだけど」


 わたしが尋ねると、ミケーネは腕を組んで少し考え込んだ。


「あたしはただの運び屋だから、軍の船の詳しいことはわからない。でも……一人だけ、船のことなら何でもお見通しの頑固爺を知ってる」


「頑固爺?」


「海軍の造船所で設計のトップを張ってた人だけど、上層部と喧嘩して引退した変わり者さ。今はこの造船所の、一番奥の工房に引きこもってるよ。機嫌が良ければ、話くらいは聞いてくれるかもね」


 ミケーネは麻袋を抱え直し、鉄屑の迷路のような造船所の奥を指差した。


「案内してあげる。でも、あの弟くんは、なるべくあたしから離れて歩いてよね」


 野生動物の生存本能は、なかなか手強いらしい。

 わたしは苦笑しながら頷き、彼女の小さな背中を追って、赤錆びた鉄の迷宮へと足を踏み入れた。



 海鮮丼への道は、どうやらこの鉄の墓場の奥に隠されているようだ。




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